シニア目前、主婦でミニマリストなブロガー筆子が、断捨離と節約をして「老い支度」に励む日々をつづっています。

引っ越し時の物の捨て方のインタビューがマイナビニュースに掲載されました。


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引っ越しをする時に、まとめて物を捨てるコツについてインタビューに答えた記事がマイナビニュースに掲載されました。

こちら⇒ミニマリストの引っ越し術 – 物を捨てるのに本当に必要なのは"心の余裕" | マイナビニュース

当ブログや本にはのっていないことを語っていますので、ぜひごらんください。

ここから引っ越しの話

さて、告知だけで終わるのも寂しいので、今回は、私の引っ越し体験について少し書きます。物を捨てる話ではありませんが、お時間のある方は、おつきあいください。

マイナビの記事で、引っ越しには心の余裕が必要、と答えていますが、これは私の実体験からの魂の叫びです。

厳密に言うと、心の余裕は、お金の余裕があってこそです。

1996年の春にカナダに来て以来、私は5回引っ越しをしました。最初の2回は独り身だったので、荷物も比較的少なく、わりと簡単でした。

ところが、子どもが生まれてからした3回の引っ越しはとてつもなく大変でした。荷物が多かったから、というより、毎回、引っ越し先がスムーズに見つからなかったからです。

1998年の引っ越し(春)

子どもが生後6ヶ月のときにした引っ越しは、明日は家を出なければならないその日の午後に引越し先が決まりました。3月の終わりのことです。

私は、子どもが生まれる前から、大きなおなかで、家探しをしていたのですが、夫がわがままで、なかなか決まらなかったのです。「自分はアパートには住めない。庭付きの家でないと生活できない」と言うのでした。

子どもが生まれてからは、もう私は家探しをしている余裕がなく、夫に全面的にその業務をたくしました。夫は、なかなか引越し先を決めませんでした。

家を出る前日の午後(この時、夫は家探しに奔走)、風邪が強い中、近所を乳母車を押して歩いていたら(つまり散歩)、偶然、当時の家主さんと会いました。

家主さんは、車から、「筆子、家は決まったのか?」と聞きました。「いいえ」と答えたら、「じゃあ、君とベイビーはもうしばらく家にいてもいいけど、◯◯(夫の名)は出てもらわなきゃ困る。別の人が来るからね」と言われました。

「どうなるのかなー」と暗い気持ちで乳母車を押したことを覚えています。

しかし、奇跡的に、ぎりぎりになって夫が家を見つけました。

その家は、広告に出ていたものではなく、広告を出していた人(中国系のカナダ人)が、親族に貸すためにとっておいた家です。都合で親族がマレーシアから出てこられなくなったのです。

その家に、娘が8歳ぐらいになるまで住みました。


2007年の引っ越し(夏)

次の家探しも難航したのですが、このときは前よりすんなり決まりました。

やはり広告にのっている家は、全部だめだったのです。が、たまたま近所のおじいさんが、「あの家に住んでいた人は一家離散して、家主が次の住人を探している」と夫に教えてくれたのです。

この一家離散した住人は、以前も記事に書いたことがありますが、貧乏すぎて、家賃が払えなくなったため、家主から追い出されたのです。

その住人のネガティブなエネルギーが家に残っていた、と私は考えています。

詳しくはこちら⇒スペース・クリアリングとは何か?そのやり方とは?~カレン・キングストンに学ぶ 私が感じた「空間にたまったネガティブなエネルギー」をお読みください。

家は、超絶ボロボロだったのですが、夫が仕事のあと、修繕したり、ペンキを塗ったりして、なんとか再び人間が住める家にしました。

ものすごく虫がいましたが。

このときの引っ越しは前の引っ越しとは別の意味で大変でした。

新居(ボロ屋だけど)と住んでいた家とは、1ブロック(100メートルぐらい)しか離れていないので、私たちは、車なしの引っ越しを決行したのです。

もともと車がないのですが、引っ越しするときは、ふつうの人はトラックぐらいは借りるものです。

しかし、そんなお金はなかったので、大きな家具はリヤカーみたいなのにくくりつけて運びました。

小さな荷物は手で運びます。

これが死ぬほど大変だったのです。

1回に運べる量が少ないので、何度も往復しなければなりません(荷物運びのほとんどは夫と娘がやりましたが)。

私は主に荷造りと掃除を担当していました。まだ、完全なミニマリストではなかったので、物がくさるほどありました。

何度、箱や袋に詰めてもなくならないのです。前の夕方から、何も食べず、不眠不休でひたすら荷造りと掃除。

やってもやっても終わらず、はたして家を出なければならない日に出られるのであろうか、という不安が襲ってきました。

昼過ぎに、家主さんが見に来て、「大丈夫ですか?」と聞かれました。プレッシャーを感じながらも、「はい、大丈夫です」と引きつった笑顔で答えました。

あとで聞いたところによると、本当は午後の3時までには家を出ていなければいなかったそうです。

その後もひたすら荷造り。夕方暗くなってようやく荷造りが一段落したので、私も夫や娘と荷物の運び出しをがんばりました。

完全に引っ越しができたのは、その日の夜10時半ぐらい。体のあちこちが痛くて、その夜は眠れませんでした。

「もう2度と引っ越しはごめんだ」。

そう思いましたが、家を借りて住んでいる私たちは、引っ越しからは免れないのです。

2014年の引っ越し(秋)

マイナビニュースで語っている、直近の引っ越しとは、この怨念が残っている古い家を出たときのことです。

家主が家を別の人に売って、新しい家主が、取り壊して、新居を建てることになりました。

前の家主が「家を売るつもりだ」というのは、家を出る前の年の暮れに聞いていました。しかし、ここでもまた、何でもギリギリにならないとアクションを起こせない夫がぐずぐずしており、家を出る期限が来ても引越し先が決まっていませんでした。

私は思うのですが、人間というのは、何度も同じパターンを繰り返すのです。もちろん、失敗から学びを得て、成長している人は違いますが。

このときは、さすがの私もかなりのストレスをかかえていました。

親がだらしないせいか、やたらとしっかり者に育った当時高校2年の娘が、インターネットであたりをつけて、よさそうな物件を見つけて、夫に知らせたり、時には電話をかけて見に行く段取りをつけていました。

ですが、またしても夫が、「アパートは嫌だ」とわがままを言っていたのです。

明日は家を出なければならないその日に、夫は、「とてもそんなことは考えられない」とか、わけのわからないことを言って、自転車に乗ってどこかに買い物に行ってしまう体たらく。

たぶん、ストレスが多すぎて、脳がまともに機能していなかったのだと思います。メンタルブロックがかかっていたのです。

ここには詳しくは書きませんが、とんでもない修羅場がありました。ところが、この時も奇跡的に、夫の職場のビルに入っている歯医者さんから、まだ広告は出していない家を借りることができたのです。

私たちは家を持っていないので、またいつかは引っ越しをしなければなりません。しかし、もう年も年なので、このアパートが終の棲家になる可能性もあります。

昔、私は本当にお金がなかったので、夫に引っ越しの主導権を握らせざるを得ませんでした。しかし、今は、少しは蓄えがあるので、今度の引っ越しで、夫がぐずぐず言ったら、速攻で娘と2人だけで、どこかに引っ越すつもりでいます。

そのために、今も、日々、少しずつ物減らしに励んでいいます。


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