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ひととおり、不用な物を捨ててみたが、まだまだスッキリしない、と悩んでいる人に、まだ捨てるべきものが残っているカテゴリーを紹介しています。
前編では、こんなガラクタが残っていると書きました。
1.見慣れたガラクタ
2.大事なものに思えるガラクタ
3.義理で持ち続ける不要な贈り物
中編は、
4.残さなくてもいいのに残しているあれこれ
5.ありすぎる思い出グッズ
1つずつ実例をあげ、捨てられる考え方を紹介します。
4.残さなくてもいいのに残している物
必要になるかどうかわからない物を残していると、ガラクタが減りません。
雑誌の片付け特集では、「これは捨てて、あれは残しましょう」という提案が多いと思います。
たとえば、ショップの袋だったら、大中小、それぞれ2枚残して、あとは捨てましょう、とか。
そうやって残した物が増えすぎて場所ふさぎ・タンスの肥やしになっている可能性があります。
実はショップの袋を残す必要なんてありません。
私は持っていませんし、それで、毎日ふつうに生活できています。
そもそも、ショップの袋をためこむ人は、たいていほかの袋もたくさん持っています。
なぜ日本人はこんなにバッグ、袋、ケースをたくさん持っているの?
まともなバッグ、エコバッグ、レジ袋なんかもたくさんあるんじゃないでしょうか?
買ったわけでもなく、単に商品にくっついてきただけの袋なんて、なくても何の支障もありません。
もちろん、明確な使いみちがあって、日々、消費しているのなら残してもいいのですが。ちゃんと消費しているのなら。
残さなくていい物を捨てるには?
残さなくてもいいのに、見ず知らずの誰かの「残しましょう」という言葉に従って、残している物があるなら、このさいみんな捨ててはどうでしょうか?
以下のように考えると、捨てられます。
なくても大丈夫
母や日本在住の友人の様子を見て判断したところ、ショップの袋は、ふだんサブバッグとして使うか、プレゼントを入れて、人様に差し上げるのに使うようです。
バッグとして使うなら、ふつうのバッグやエコバッグを使えば事足ります。
人にプレゼントするとき、どうしても袋が必要で、家にまったくなかったら、100円ショップで紙バッグを買ってこればいいのです。
繰り返しますが、どうしても必要なら、です。代用できる袋ものや入れ物は、ほかにもあると思います。
ショップの袋に入れたプレゼントにおいて、一番重要なのは中身のプレゼントです。
このプレゼントさえ、相手の手に渡れば、それを運搬する袋なんてたいして重要ではありません。
ふろしきや、そのへんにある手提げ、レジ袋、こんなものを利用してもいいわけです。
お金をかけず家にあるもので間に合わせるギフトラッピングのアイデア
「レジ袋すらないのよ」と言うなら、食品の買い物に行くとき、もらえば(買えば)いいのです。日本のレジ袋、いくらか知りせんが、50円もしないですよね?
ふだんどうでもいい物を買って、無駄遣いしている人が、レジ袋の値段だけ、異様に神経質になることもありません。
自分軸を発揮する
雑誌に書いてあろうが、どこかの片付けコンサルタントが言おうが、自分がいらないものまで、無理に残す必要はありません。
自分で決めることが重要です。
私の経験では、「捨てようかな、どうしようかな」とふと迷うものは、捨てても問題ないものばかりでした。
本当に大事な物、いつも使っている物なら、誰に言われなくても、最初から、捨て候補にはならず、ちゃんと残します。
先まわりしすぎない
ショップの袋、筆記具、靴下など、消耗品は、「いつか、何かのためにとっておこう」とか、「全部捨てちゃうと、あとで困るかも」という気持ちになって、中途半端に残しがちです。
ですが、そんな先の心配をする必要はありません。
なぜなら、自分も生活環境も変わるから。
人は変わり続ける。未来の自分に対する心理:ダン・ギルバート(TED)
1年前と比べても、いろいろ変わっている部分があるんじゃないでしょうか?
今と同じ生活がずっと続く、と思って、がちがちに物で武装する必要はありません。先のことはコントロールできませんよ。
コントロールしようとするとストレスがたまるので、先回りして、あれこれ揃えるのをやめたほうが、穏やかに暮らせます。
こんな人の家にはガラクタがいっぱい。物をためこんでしまう5つの性格
5.ありすぎる思い出グッズ
いつも書いていますが、思い出の品(いま、使っていないし、この先も使わないもの)はそんなにたくさんはいりません。
思い出品や記念品が多すぎると、現在の生活がおびやかされるだけです。
先日、センチメンタルヴァリュー(心情的な価値)に関する考え方を書きました⇒こんな思い込みが、あなたの所持品を増やしてしまう。 「5.特別な物は持ち続けるべきだ」のところです。
多くの人は、思い出の品に対して、「これは、私にとって特別なもの、大事なものなのだ」と思いすぎているのではないでしょうか?
ここに100個思い出グッズがあったとして、それぞれに、「これは大事」「あれも大事」と、意識を向けると、1つひとつの「大事な思い」が薄まります。
よって、すべて、「わりとどうでもいい物」になります。
100個あるうちの99個を捨て、1個だけ残したら、その1個は、本物の「特別な物」になります。
思い出グッズにしがみつくのをやめるには?
思い出グッズを捨てる考え方、今回は3つ書きます。
大事なことは自分の中に残っている
それを見ると、いろいろなことを思い出す人形があるとしましょう。
その人形を捨てても、本当に大事なことなら忘れません。
私、小学校5年か6年の頃、夏休みに、家族で大阪の万博に行きました。
こんなパビリオンを見た、こんなことをした、ということはいっさい覚えていません。
しかし、旅館(料亭をやっている旅館だったと思う)で、刺し身や、お造りみたいなものを大量に食べすぎ、熱とじんましんが出て、体中がかゆくなり、その夜、あまり眠れなかったことは覚えています。
父は、翌日、予定を変更して、早めに家に帰ることにしました。
「調子にのってごちそうを食べすぎると、体調が悪くなるよ」という警告として、私の脳は、いつまでもこの出来事を忘れないのでしょう。
じゃあ、家族で旅行したこと、万博で楽しんだこと、母が、弟のシャツと共布でノースリーブのワンピースを作ってくれたこと、そういうことは忘れてしまったのか、というと、それはそれで、心の奥底で、満たされた思い、として残っていると思います。
具体的に言語化できなくても、強烈なイメージがなくても、自分の人格を形成するものの1つとして残っているのです。
そういうものは、物がなくても消えないと私は考えています。
忘れても困らない
思い出の品物をたくさん残したいとやっきになる人は、「その思い出を忘れたくない」という強い欲求があるのだと思います。
そうですよね?
しかし、その人形を見ないと思い出せないことを、仮に100%忘れてしまっても、何も困りません。
脳は、忘れていけないこと、重要だと認識していること、忘れると今の生活が立ち行かなくなることは、忘れません。
逆に忘れてもいいことは、忘れています。
だから、人形を捨てて、何かを忘れてしまったとしても、それは忘れてもいい思い出なのです。
必要なときが来たら、また思い出します。
終わらせてスッキリする
以前、「我が家は広くて収納スペースはいっぱいある、生活する場所はいつもとてもきれいにしている、だから、物入れにいっぱいある遺品を捨ててしまうのは罪悪感を感じる」というメールをもらったことがあります。
このように、収納スペースがたっぷりあると、見向きもしない思い出グッズをずっとしまいっぱなしにすると思います。
目に見えないから、視覚的なノイズにはなっていないでしょう。しかし、心の中でノイズが生じています。
つまり、心の中でひっかかっているのです。
どんなに部屋をきれいにしていても、「ああ、あそこに、物がいっぱいあるんだよね」とか、「いつかは、あそこを片付けなきゃいけないんだよね」という、「完了していない気持ち」は、心の奥底でくすぶります。
すると、「おかしいな、断捨離したのに、なんかスッキリしない」と感じます。
しまいっぱなしにしている大量の思い出グッズと向き合って、ちゃんと始末をつければ、問題が解決して、次に進むことができます。
思い出品がまずいのは、ずっと放置してしまうことです。
思い出すために持っているのなら、たまには引っ張り出して、思い出す、ということをしたほうがいいです。
そうしないと、アメリカのミニマリスト、ジョシュア・フィールズ・ミルボーンのお母さんみたいに、箱に詰め込んだまま、何年もベッドの下に突っ込んで、ほこりがたまり放題、という状態を招いてしまいます。
そして、それを片付ける人が、むなしい気持ちになります。
ジョシュアのお母さんの話⇒捨てる生活が夢を叶える。ミニマリストに学ぶ手放す技術(TED)
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まだまだ捨てるべきものがありそうな分野を紹介する記事、中編でした。
前編はこちらです⇒部屋が汚い人に伝えたい、捨てるべきガラクタがひそんでいる7つのカテゴリー(前編)
後編はこちら⇒いらない物、まだここにありますよ:ガラクタがひそんでいる7つのカテゴリー(後編)
捨てる物を具体的に知りたい、というお問い合わせがありました。
たとえば、穴のあいた靴下、ワイヤーが飛び出たブラ、中途半端に残っているローションなどは、昔書いた記事に書いているのでそちらをごらんください。
まとめから探すとよいでしょう⇒まとめのまとめ:捨てるコツをぎゅっと詰め込みました。
捨てたほうがいい物の具体例は、これからも記事に書いていく予定です。