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今回のテーマは高齢化社会です。日本はすでに高齢化社会になっていますが、さらに高齢化がすすみそのうち超高齢化社会になります。
超高齢化社会になると、たぶん日本政府の経済は破綻します。少なくとも、福祉制度や、介護の社会化といったさまざまな問題点をクリアした制度が整う前の転換期で、庶民は苦しむことになるのではないでしょうか?そのとき頼りになるのは自分だけです。
国に頼らなくても、豊かな人生を送るためには、ものを持たない暮し、ミニマルライフというライフスタイルを選択するのが最適だ、と筆子は考えています。
高齢化社会でなくても、老後の心配は必要
20代、30代の若いときは、いつか、自分が年をとるということをなかなか考えられないものです。少なくとも、筆子は全く考えていませんでした。
筆子は56歳ですが、まだあんまり「老けこんだ」という意識がありません。精神年齢は26歳ぐらいからあまり変わっていないのです。
気が若いのはいいことですが、いつまでもぼんやりしていないで、老後の生活設計をしっかりしなければ、と思っています。
筆子と同世代の人でも、自分が老人になる道をまっしぐらに歩んでいることを自覚している人は少ないかもしれません。ですが、もうあと数年で、おじいさん、おばあさんになってしまうのです。
その日が来た時にあわてないためにも、今のうちから、お金と物の管理はある程度しておいたほうがいいです。
何度も書いていますが、物を整理し、生活を縮小したら、経済的にも負担が減っていきます。
50代は物は捨てる最後のチャンスかも?
物を片付けるのは早ければ早いほうがいいと思います。もしかしたら50代が、お肌の曲がり角ならず、お片づけの曲がり角になるかもしれません。
先日、去年の夏、実家に里帰りして、母の家を一緒に片付けた体験をつづった、「実録・親の家を片付ける」という記事を書きました。読者の方から感想をいただきましたので、お便りを引用します。この方の親御さんが筆子と同世代なので考えさせられました。
この記事です⇒実録:親の家を片付ける(1)~まずは自分のものをどんどん捨てる
【読者、きょんこさんのお便り】
きょんこと申します。
いつも楽しみに見ています。
子供が2年前に産まれ、それを期に家中をスッキリさせるべく奮闘中です。
普段は会社員なので、このGWは早起きして頑張っています。
さて、本題ですが…
我が実家はもう…ゴミ屋敷です。
32年生まれなので筆子さんとそう変わらないと思うのですが…
モノモノモノ
もう大量のモノであふれかえっています(T^T)
多分捨てるという概念がないのです。
今回の「親の家の片付け」
なのでとーーーっても興味あります。
次回も楽しみにしています。
【筆子のお返事】
きょんこさん、お便りありがとうございました。
お父様かお母様が昭和32年生まれなのですね。
まだ50代だから、「片付けよう」という気になりさえすれば、片付けられますよ、きっと。
ただ、50代が最後のチャンスじゃないかな~、という気もします。まだ自分が60代になってないから、どの程度、体力や気力が衰えるのかわからないのですが、今よりパワフルになるとは考えにくいです。
片付けってけっこう体力がいるし、心の余裕もないとできないです。場合によってはお金も必要です。
すでに本格的なゴミ屋敷になっているとしたら、自分たちだけの力では片付けられませんから、部分的に業者を頼むことになるでしょう。筆子のブログを紹介してみてはどうでしょうか?
片付けの話ばかりではなく、「サザエさん」とか「奥さまは魔女」とか、昭和30年代生まれの人なら、興味の持てる話題も書いていますから。
サザエさんのこと⇒捨てずに持ってる本もある~『サザエさんうちあけ話』の光と影
生前整理のことも、それとなく勧めてみるといいかもしれません。じゃないと、遺品整理がとてつもなく大変になってしまいそうです。
本当は若いうちからミニマリストになっておくといいと思います。ですが、若いうちはやはり、あれもやりたい、これもやりたい、と好奇心旺盛で、買い物もたくさんんするだろうし、人付き合いもあって、物が増えるのが普通ですよね。
若いうちはそれでもいいと思うんです。
でも、50歳になると、そろそろ老後が切実になってくるし、生活を縮小したほうがいいでしょうね。
今50代の人は、バブル経済の恩恵を受けている人が多いです。筆子は違いますが。若い時、けっこうはぶりがよくて、そのまま生活を縮小していない可能性が高いです。するとたいてい不用品をいっぱい持っています。
また、自分の親たちがわりと年金をしっかりもらっていて、悠々自適で暮しているのを身近に見ているので、なんとなく自分もそんな老後を送るんじゃないのかな、と思いがち。ですが、そんなことは起きません。
なぜか?
これからどんどん高齢化社会になるからです。
迫り来る超高齢化社会
国連は、総人口のうち、高齢者の人口が7%を超えた社会を「高齢化社会」と定義しています。
高齢とは65歳以上のこと。日本は1970年代にすでに高齢化社会になっていましたが、その率はどんどんあがり、平成25年には高齢者は24.1%となりました。
4人に1人が65歳以上ということですね。
え、思ったより少ない?たいしたことない?
でもね、昭和25年には5%だったのです。昭和25年は1950年。今から64年前のことです。そんなに前ではありません。
さらに、50年後には、2.5人に1人が65歳以上、4人に1人が75歳以上という予測が出ています。
詳しくはこちら⇒(2)将来推計人口でみる50年後の日本|平成25年版高齢社会白書(全体版) – 内閣府
2.5人に1人が65歳以上っていったい、どんな感じなんでしょう?
去年の夏、名古屋に帰省したとき、昼間市バスに乗ってぶらぶらしていました。赤ちゃんを連れた若い主婦や、部活や塾に行くらしい中学生や高校生も見かけましたが、乗客のほとんどが、おじいさん、おばあさんでした。
50年後には、現在の昼間の市バスの状況が、ゴールデンウィークに遊びに出かけた先で、ごく普通に展開されるのかもしれません。
医学も進歩して、平均寿命も伸び、介護問題はさらに深刻になりそうですね。
また、少子化のため、人口はだんだん減って行きます。人口が減り、お年寄りが異様に多い国の経済はどんなふうになるのか?
べつに経済学を学ばなくたって、ちょっと想像してみれば、「経済成長などありえない」、ということはわかるでしょう。
消費税は上がり、年金の負担も増えるでしょう。今の年金制度が途中で破綻しなければ、の話ですが。
こんな超高齢化社会はこれまでなかったですから、実際になってみないとわからない部分も多いです。筆子もちょっと想像がつきません。
しかし、確実に言えるのは、若い人も年をとっている人も、老後に国の年金をあてにすることはできない、ということです。家計の見直しをして、老後の生活費のめどをたてておくべきですね。
生活費を得るためには、収入を増やすか、支出を減らす、あるいはこの両方をやる必要があります。
一般的に考えて、年をとっていくと、収入アップはもう見込めません。投資をやって資産を増やしている人は別ですが。
すると支出を減らす、つまり節約をするしかなくなります。ここでいう節約はチラシでお買い得商品をチェックして、1円でも安いものを買うことではありません。
以前、この記事で書いたような節約が理想的なのではないかと思うのです。
つまり生活の縮小です。
断捨離や片付けをして物を整理をしながら、自分の心も整理し、人生で本当にやりたいことをやっていく。
物にふりまわされる生活はもう終わり。
少ない物と資金で、心豊かな生活を追求するミニマルライフこそが、超高齢化社会を乗り切る生き方だと思うのです。