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いまは使っていないけど、思い出がたっぷりあるから捨てられない、と人々が執着してしまう物は、いろいろあります。
写真や、子供が昔使っていた物、嫁入りのときに親からもらった物、卒業アルバム。まれに通知表や制服が捨てられないという人もいますね。
少しぐらいだったら持っていても、生活に支障はありません。ですが、ありすぎると、ほかのガラクタと一緒で、管理が大変になりストレスになります。
今回は、思いがたっぷりこもっている、と自分で思っているものを手放すヒントを4つ紹介します。
まず、この記事を書くきっかけになった読者のお便りを紹介します。パンダさんからいただきました。
母が作ってくれた着物を捨てることにした
件名: 迷った末にようやく
はじめまして。
去年からこちらを訪問しては参考にさせていただき、大部分の家具や衣類、雑貨を処分して引っ越し、このたびようやく着物の処分を思い立ちました。
母子家庭だった母が作ってくれた訪問着や黒喪服などです。
子供も成人して着る機会もありませんし、着せてもらわないと着られない着物が重荷でした。
実際に着物やその小物は重いですね。
今後もこちらを参考にさせていただきます。
パンダさん、はじめまして。お便りありがとうございます。
引っ越しがうまくいってよかったですね。
パンダさんのメールを拝見し、そういえば、自分の家も母子家庭とえいば、そうだなあ、と気づきました。
母子家庭とは、辞書によると、「配偶者のいない母と未成年の子供を主な構成員とする家庭」とあります。私の父は私が14歳のときに亡くなったので、私にとっては、6年ぐらい母子家庭だった、と言えます。
私の母も私のために、たくさん着物を作ってくれました。
もうみんな捨ててもらいましたが(引取価格があまりに安かったので、母は腹立たしく思っていたようです)。
私も、人に着せてもらわないと着物を着ることができません。浴衣なら、なんとか着られましたが。それに、べつに着物が好きでもないので、60年近い生涯で、着物を着たことは、私の記憶では4回だけです。
そのうち1回は七五三のとき、もう1回は、小学校にあがるぐらいの年のお正月です。あとの2回は大人になってからで、友達の結婚式で来ました。
今後も着物を着ることは、まずないでしょう。
それなのに、数年前まで、実家のタンスの引き出しの中に、母が私のために作ったきれいな着物が何枚も入っていたのです。
うちの場合、私が「着物なんていらないよ」と強く主張したのに、母が勝手に着物を作りました。母が私の着物を呉服屋で作った経緯はこちらに書いています⇒親が買ってくれた着物を断捨離する方法。捨てることで幸せになる方を選ぶ
だから、着物を捨ててもらうことに、「申し訳ない」とは思いませんでしたね。
ですが、パンダさんのように、お母さんが、ちょっと無理して用意してくれた着物を捨てるのは、罪悪感を感じて、手放すのが難しいかもしれません。
そういうときは、以下のように考えてください。
1.思い出の品として残すなら1つだけにする
着物は着るために製造されるので、着ない着物は、たんすの中にある、見た目が美しいガラクタです。
誰も着ない着物を大事にしているのなら、もはや、それは着る物としてではなく、親の愛情を象徴する、思い出の品・記念品となっています。
思い出の品を持っていると、心がほっこりしたり、元気が出たりして、豊かな気分になるから、私はすべてを捨て去れ、とは言いません。
ただ、数をしぼったほうがいいです。
思い出を感じたい対象、1人につき1つ、1つのイベントにつき1つ、というように。
お母さんの愛情が感じられるものを1つだけ残せば、それはとっても大事な物になるし、場所もそんなに取りません。
2.その品物が体現している思い出(感情)を調べる
思い出があるから、捨てられない(でも邪魔)と思っている品物が象徴していることを少し掘り下げて考えてください。
なぜ、自分はその品物を残したいと思っているのか、その品物を残すことで、何を得たいのか、ということです。
思い出は、物にはなくて、自分の心の中にあります。自分が執着しているものは、その物ではなく、それが表している人、場所、時間、できごとなのです。
物がなくても、自分が生きている限り、思い出そのものはなくなりません。
途中で記憶喪失になったり、認知症になったりしたら忘れるでしょうけど。でも、そのときは、物があっても、何も思い出せません。
自分あっての思い出の品です。
自分が執着している記憶や感情が見つかったら、それは、執着する価値のあることなのか、考えてみてはどうでしょうか?
どうしても忘れたくない感情だ、と思ったら、品物を写真にとるなどして、別の形にして残せばいいですね。
やり方をいくつかを紹介しています⇒記念品や思い出の品を捨てたほうがいい理由と捨て方のコツ 「それでも思い出の品を捨てられない時はこんな方法を」のところです。
3.物がなくても、いくらでも思い出せる
2番で「自分あっての思い出の品」と書いたように、自分さえ残っていれば、物などなくても、いくらでも思い出にひたることができます。
私は古い物や記念品を断捨離するときは、
・思い出そのものもいらないと考えて、物ごと捨てる
というのをよくやります。何もかも、覚えておこうとするのではなく、記憶するものは、自分の脳にまかせしてしまうのです。
すると、必要なときに必要なことを思い出すだろう、と考えています。
私の経験では、大事なことは、たいてい脳が覚えています。
いわゆる思い出品はほとんど持っていない私ですが、毎日のように、以前あったことを思い出します。
いまは、YouTubeがあるから、懐メロを聞いたり、古いドラマのワンシーンを見たりするだけで、「そういえば、あの頃、あんなことがあったなあ」と芋づる式に出てきます。
ニュースを見ていても同じことが起きます。
さきごろ、さくらももこさんが亡くなりました。そのニュースを読んでいるとき、「ちびまる子ちゃん」の時代背景である昭和40年代後半(1970年代半ば)のことも、「ちびまる子ちゃん」が、雑誌「りぼん」に初めて登場した1986年あたりのことも、思い出しました。
たとえ自分は何も持っていなくても、昔を思い出す手がかりは周囲にあふれています。
4.思い出品がギフトの場合
パンダさんのように、人からいただいた物が思い出の品になっているときは、「いかに、罪悪感を感じないか」が捨てる鍵になります。
以前、もらった時計を飾っていないことが相手に知れると困る、という質問をいただいたことがあります⇒贈り物を捨てたことが相手にばれそうでとても心配です←質問の回答
こんな悩みは、本来必要のないものです。
くれる相手は、「相手は必ず使っているはずだ」と、思っていないことのほうが多いです。贈り物をあげたらすぐに忘れる人が多いと思います。
まあ、なかには、誰に何をあげたか記録をとっている人もいますが、これは同じものをあげないようにするためでしょう。
「私があげた物は、必ず、使っていてくれなければ困る。使っていない人はもう友だちじゃない(縁を切る)」と考える人も、まれにいるかもしれませんが、本来、こんな期待はするべきではありません。
贈り物は、相手を喜ばせるために贈るのであって、苦しませるためにあげるわけじゃないですから。
その贈り物を使おうと、使わまいと、自分が一番、愉快でいられる選択をすればいいのです。
贈り物を捨てることが苦手な人はこちらもどうぞ⇒罪悪感を感じる必要なし、人からもらった贈り物を捨てる3つのコツ
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今回は、長く持っている思い出品を捨てるコツを紹介しました。
結局のところ、「自分は、物でできているわけではない」と知ることが、一番の近道です。
仮に、いま持っているものをすべて捨ててしまったとしても、自分という存在は残ります。3番に書いたように、記憶さえ残っていたら、いくらでも思い出せるのです。
思い出品にしろ、その他の不用品にしろ、部屋から物があふれているのに、「捨てられない」ともんもんとしている人は、自分より、物を大事にしすぎているのかもしれません。