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スマートフォン人口はすごい勢いで増えていますね。ミニマリストの中にもスマホのヘビーユーザーが多いです。ですが、この便利過ぎるツールが、ミニマルライフをミニマルでなくしてしまう可能性があることを忘れるべきではありません。
なぜスマホが人生を複雑にしてしまうのか?
今回は、この点について書きます。
Macの商品はミニマリストの必須アイテムなの?
ミニマリストたちのブログを拝見していると、よく「ミニマリストの持ち物」を紹介する記事があります。
ミニマリストというのはできるだけモノを持たない人たちですが、モノを持たないと生きていけないので、やはり少しは持っています。
そして、そういう所持品をブログで写真つきで見せているのです(私もやっています⇒ミニマリストの持ち物 | 筆子ジャーナル)。ミニマリストになりたい人は、「ああ、こういうのを持てば、ものが減らせるのか、真似しよう」と思うかもしれません。
しかし、安易に真似すべきではありません。
その理由は2つあります:
1.ミニマリストは自分軸で生きる人だと思うから
2.多くのミニマリストは「モノを持たない」と言いながら、電子機器は例外としているようであるから
1つずつ説明します。
1.ミニマリストは自分軸で生きる人だと思うから
今の社会は、できるだけたくさんのモノを持っているほうが幸せだ、だから、お金を稼いでたくさん買ってどんどん消費しよう、という方向に向いています。
しかしミニマリストは「モノはいらない」というスタンスに立つ人です。
つまり、一般の社会通念とは逆の、自分独自のライフスタイルを貫く人だと思うのです。自分軸で生きるのだから、人の真似はすべきではありません。
ミニマリストの生き方はミニマリストの数だけあるのです。
2.多くのミニマリストは「モノを持たない」と言いながら、電子機器は例外としているようであるから
ミニマリストと名乗っている人のブログを見ると、アナログの手帳は断捨離して、スマホでスケジュール管理している人が少なくありません。
パソコンはMacBookAirを愛用。なんとなくMac派が多いみたいですね。新しいiPhoneが発売されるとすかさずレビューしています。
また、スマホの通信費用をできるだけ安くあげるようなワザを記事にしているミニマリストも多いです。
Macの人気が高いのは、スティーブ・ジョブズがミニマリスト的生き方をしていたからでしょうか?
スティーブ・ジョブズの話はこちら⇒スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式のスピーチからミニマリストが学んだこと
私はMac製品はiPhoneしか持っていませんが、確かにMacの製品はシンプルなデザインの物が多いですね。
ですがiTunesの使い方はシンプルではないと感じており使っていません。
人がどんな電話を使おうと別にかまわないのですが、問題はiPhoneに代表されるスマホという便利なツールです。
スマホ1台あれば多くのモノを断捨離できるが、それはスマホ依存につながる
スマホは究極に便利な品物です。かくゆう私も去年の春、iPhoneを手に入れ毎日使っています。もともとがアナログ派の50代の主婦ですから、とても使いこなしてるとは言えませんが、それでも重宝しています。
スマホは驚くほど多機能です。
音楽も聞けるし、インターネットをすることもできる、映画も見られる、本も読める、ネットショッピングもできる、地図も見られる、写真もとれる、もちろん電話もできるし、テレビ電話だってできるし、動画を撮影することもできるし、友だちとチャットもできるし、フェイスブック、ツイター、インスタグラム、LINEなどあらゆるSNSを使って、人とつながることもできる。
昔は、これだけのことをしたかったら、それぞれ専用の機器を持つ必要がありました。
スマホ1台あればこうしたことが可能なので、これだけ持てば確かにモノを減らせます。だからミニマリストはスマホを持つべき、と言うのもわかる気もします。
実際、私もスマホを使い始めてから、それまで使っていたカメラ、方位磁石、計算機、地図、本数冊を断捨離しました。
ですが、その便利さゆえに、常にスマホばかり使って依存してしまうのが問題だと思うのです。
スマホ依存の実態
スマホには依存性があります(何を今さら書いているの?と思われてしまうでしょうか?)。
スマホ依存症とは、常にスマホを所持したり、使っていないと不安になる現代病です。
症状としては、ちょっと時間があれば、スマホを見て新しい情報がないかチェックしたり、食事中、入浴中、トイレの中でも、スマホを見ていたり、寝る寸前まで使っていて睡眠不足になったり、といったものです。
1日中どこへ行くにもスマホを携帯していて、電池が切れると困るので充電器も忘れません。
スマホ依存の実態にピンと来ない方は、この有名な動画を見てください。
アメリカで2年前に作られた動画です。みんながスマホばかり見ていて、目の前の人を見ていないことがよくわかります。
2分ぐらいでセリフはありません。
とてもリアルですね。
去年の夏、名古屋に里帰りしたとき、駅で奇妙なポスターを見ました。
☆名鉄のポスター
「歩きながら携帯電話を使ってはいけないよ」、と注意しているポスターです。
初めて見たとき、「なぜ駅にこんなポスターがあるんだろ?小学校じゃあるまいし」と不思議でした。後日、友だちに聞いたら、スマホを見ながら(前を見ずに)歩いていて、ホームに落ちる人がいるというのです。
信じられません。
大人なのに?
でも「歩きスマホ」は本当にあるのだそうです。
確かに、名古屋で電車に乗ったら、たくさんの人がうつむいてスマホを見ていたので、「そういうこともあるのかも」と納得しました
スマホから離れられない人が多いので、nomophobia(ノモフォビア)という言葉も生まれました。フォビア(phobia)は恐怖症という意味。nomopho 部分は、”no mobile phone” (モバイルフォンがない) の頭文字です。
つまり「モバイルフォンを持っていないことを恐れる」病気です。
こんな病気にはかかりたくないですね。
なぜスマホが生活をマキシマムにしてしまうのか?
生活に必要なすべての機能をスマホに集約させてしまうことは、自分で自分をスマホ依存させるようなものです。
スマホに依存したら、暮しはミニマルになるどころか複雑になります。というのも、ミニマルライフはある意味「便利さ」を手放すことで、得られる生活だからです。
現在の物余りの大量消費社会は、皆が「できるだけ便利なもの」を追求し続けた結果生まれました。
スマホを使って、どこまでも便利なことを追い求めると、生活は不用なもので埋まります。
それは物理的な物ではありません。情報です。スマホを使えば使うほど、いらない情報をどんどん取り込み、時間が奪われ、生活に余白がなくなるのです。
この点についてはこちらの記事でふれています⇒ミニマリズム~何もしない時間、何もないスペースを作ってより充実した人生を
たとえば、あなたはちょっと手持ち無沙汰になると、スマホを手にとり、何かを探し始めたりしませんか?
あなたが探しているその情報は、「本来は必要なかったこと」なのではないでしょうか?
せっかく自分らしい暮しをしたくて、物を減らしたのに、スマホをかまうことで、心の中はいらないものでいっぱいになってしまうのです。そしてまたストレスフルな生活に逆戻りです。
ミニマリスト的な生き方には、スマホの利用は諸刃の剣(もろはのつるぎ)になります。
スマホでスキマ時間を埋めてしまうことは、今、この時をリアルに生きたいミニマリストの生き方と逆行してしまうのです。