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ミニマリストになっていなかった頃はたくさん持っていたボールペン。最近とうとう1本になりました。
ボールペン1本生活となる
ふつうのボールペンのほかに、複合ペンを2本持っていましたが、思いのほか、速く、使い切ってしまいました。なぜなら、1本は途中で壊れてしまったからです。
とはいえ、まだサインペンは3本あるので、今はボールペンとサインペンを混ぜながら使っています。
いずれはボールペン1本にする予定です。
数年前、手持ちの文房具を厳選して、残りを断捨離。手元に残したペンは1本ずつ使い切りました。
私、それはそれはたくさんの文房具を持っていました。学生のころは、さほど持っていませんでしたが、短大以降、キャラクター雑貨を含めて、たくさん買っていました。
特に筆記具が多かったです。
自分としては信じられない、ボールペン1本生活者になったわけです。
ボールペン1本生活者って大げさな表現ですよね。
しかし、昔の私は、ボールペンについて考えたり、ボールペンを買ったり、整理したり、捨てたりということに貴重な時間を費やしていたので、1本生活者になることは、人生の階段を一段あがったような快挙です。
さて、ボールペン1本生活者になったら、自分がなぜあんなに物を持っていたのか、その理由の1つがわかりました。
なぜ私はそんなに筆記具を買い集めてしまったのでしょうか?全部使い切れるわけでもないのに?
その理由とは?
文房具にこだわりがありすぎたからです。しかも、この「こだわり」は買い物するための、後付(あとづけ)の理由でした。
私の持っていたこだわりとは?
こちらに、去年の4月の時点で、私が持っていた筆記具の画像をのせています⇒大量に文房具を断捨離したあと、筆記具は手持ちのものを使い切る方針へ
こんなふうに写真にとって記事にするところからして、文房具に対する異様なこだわりが見てとれます。
しかも、「ボールペンはコクヨのパワーフィットがいいし、シャープペンはぺんてるのタフシャープがいい」なんて書いています。
この2つ、今も使っていますが。
以前は、カレンダーに記入するときや、友だちに手紙やカードを書くときはフリクションボールが便利だと思っていました。
フリクションは、ペンの頭で文字を消して修正できるからです。しかし同時に、修正ペンも持っていました。
確かにフリクションボールは便利ですが、どうしても必要なわけでもありません。なければないで何とでもなります。
それにフリクションボールのインク、すぐになくなるので、コスト高です。
しかし、以前は、こういうときはフリクションボール、こういうときは油性ボールペン、こういうときは水性ボールペン、外出する時は複合ペン、本を使って単語を覚えるときはカラフルな色が揃う複合ペン、なんて思っていました。
現在、赤いボールペンをすべて娘にあげてしまって、ちょっと不便だな、と思うときもありますが、べつに色鉛筆を使えば事足ります。
私が、本当にないと困るのは、ボールペンだけ。
ボールペンは、複合ペンを使いきった時点で、使用をやめるつもりでしたが、小切手を書いたり、裏書するときに鉛筆ではまずいので、使い続けることにしました。娘の学校関係の書類に署名するなど、ほかにもボールペンでないと困るときがあります。
よって、ボールペンと、あとちょっと区別するときのために書く赤い色鉛筆、メモ書きやノートを取るときのシャープペンの3本あれば大丈夫なのです。
ノートについても筆記具と同じく、こういう用途はメモ帳、こういう用途ならA5、こういうノートなら、ふつうのノート。罫は広いほうがいいし、方眼もいいよね、なんて思い、いろいろ買って試してみました。
ですが、こうしたこだわりは、結局すべて買い物をする言い訳だったのです。
そんなこだわりがあるなら、買ったものは用途別に使い分けていたはずですが、実際は、そんなことはなく、ほとんどの物がペン立てやペンケース、引き出しの中に無造作に転がっていました。
私は買い物がしたかっただけなのです。
買い物は楽しいですからね。1つ1つは安い文房具。気分転換に買うのはもってこいの品物です。
優秀すぎる日本の文具メーカー
日本の文具メーカーはとても優秀で、どんどんニッチな機能を持った新製品を開発します。文房具の市場なんてとうの昔に成熟しきっていると思いますが、それでも短いサイクルでユニークな新製品が発売されていますね。
全く新しい機能を持った商品と言うよりも、既存の商品に何か視点の違う機能を持たせたもの。「こんなときは、これを使うと便利だよ」「こんな人に、この商品はうってつけです」というもの。
そんな商品がお店にはびっしり並んでいます。
たとえば蛍光ペン1つとっても、いろいろな種類があります。たかが文字に色をつけるだけのためだけのペン。マーキングして目立たせなくても、困ることなんて何もありません。どうしても目立たせたいなら、赤い色鉛筆があれば大丈夫。
蛍光ペンは軸とペン先とインクとデザインぐらいしか変えるところはないのに、2色一度に引けるのとか、先が細いのとか、軸の一部が透明なのとか、ずいぶんいろいろなペンが出ています。
そんなペン、カナダには1つも売っていません。カナダの蛍光ペンは軸の太さも2種類ぐらいで、蛍光ペンらしい蛍光ペンです。
それから、クルトガが出てから注目を集めているシャープペンシル。「オレンズ」という0.2mmの芯のあるシャープペンがあります。0.2mmなのに、折れないので「オレンズ」らしいです。
なぜ、0.2mmなんて極細の芯で文字を書かなければならないのか、よくわからないのですが、売れているようです。
その技術や工夫はすばらしいと思います。
ですが、本当にそんなにいろいろな機能を私たちは必要としているのでしょうか?私はそういうプラスアルファのメリットに惑わされ、特に必要でもないのに、たくさんの筆記具を買ってしまったのです。
文房具を断捨離して、本当に使い始めたら楽しくなった
ボールペンを1本にしてみて、別にそんなに色を取り揃えたり、書き心地の違うペンを揃える必要なんて全然なかったことに気づきました。
私はデザイナーでも建築家でもありませんから。
私には本質的な機能だけがあればよかったのです。今まで、「これはこういう時に使おう」と思っていたのは、全部自分の無駄遣いを正当化するための、都合のいい言い訳だったと気づきました。
自己弁護しながらたくさん買ってきたペンですが、ほとんどすべて捨てました。もったいないことをしました。使い捨てにすら至っていません。
どの商品も買う時は楽しかったし、必要だと思っていたけれど、いったん買ったら、その「幸せ」も「必要性」も急速に消滅しました。
しばらくしたら、新しい筆記具を買って、そのときだけ喜んで、また、「幸せ」はすぐにしぼみました。
むしろペンを減らしてから、ボールペンを1本ずつ使い切る方がよっぽど楽しいです。こんなふうに使いきっています⇒持たない暮しをめざすなら、ぜひマスターしておきたいボールペンを使い切るコツ
これぞ持続する幸せです。
ペンのような、もともと使うためにあるものは、使わないと、楽しくないことに気づきました。使い分けるより、1つをとことん使うほうが楽しいのです。
買い物するときの幸せはすぐに消えますが、物を使いこむ楽しさは持続します。物を減らして、1つをしっかり使う。それが、持続する幸せを見つける鍵だったのです。