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部屋の中にあふれている物は、その部屋の住人の心の表れである、とよく言われます。
端的に言って、不用な物にいつまでも執着しているから、ガラクタが増えるのですが、その執着の理由はさまざま。
自分がいらない物を捨てない理由を知れば、多少は捨てやすくなると思います。今回は、人が「明らかに不用な物」をいつまでも捨てない、精神的な理由、心の闇を3つお伝えします。
1.物がいっぱいあると安心できる
これは私の母が言った言葉です。「そんなに何でもかんでも捨てると寂しくなってしまう」と母は言いました。
決して、そこまでしっかり断捨離したわけではなく、物はまだまだたくさんあったのですが。
実は、この「物に囲まれていると何だか安心」という気持ちは、偽りの安心感です。
もちろん、ライナスの毛布みたいなものはあるかもしれません。
ライナスを知らない人のために書いておくと、スヌーピーの漫画に出てくる、いつも毛布をひきずっている男の子がライナスです。画像を紹介したいところですが、著作権にふれそうなのでやめます。
「ライナス」で画像検索をすれば、水色の毛布を持って、指をしゃぶっているライナスの絵がいっぱいでてきます。
実はライナスは聖書のそこかしこを暗唱できる天才児ですが、慣れ親しんだ毛布を手放すことができません。
このような毛布は英語でセキュリティ・ブランケット(security blanket)と呼ばれています。日本語ではセーフティブランケットとも呼びます。参考⇒Comfort object – Wikipedia, the free encyclopedia
ライナス以外にも、毛布やお気に入りのぬいぐるみに執着している子供はいますが、大人になると、さすがにもう毛布は引きずっていません。
実はこの毛布は母親代わりなのです。
赤ん坊は生まれてからしばらくは母親にべったりとくっついていますが、そのうち母親から離れなければなりません。
このとき、毛布やぬいぐるみを持っていると、母親といっしょにいたときの安心感を得られるのです。
ライナスはもうけっこう大きいのに指をしゃぶっていますが、これも彼の不安定な気持ちの表れです。彼にはすごくパワフルなルーシーという姉がいるので、そのせいもあるかもしれませんね。
たとえ自分が、ライナスの安心毛布のような物を持っていたとしても、1つで充分です。
どう考えても、部屋にあるガラクタすべてがセキュリティブランケットだとは思えません。
物でぐしゃぐしゃの部屋にいると、安心感どころか、人はストレスを感じるのです。ガラクタは、「何かが完了していない」象徴なので、いつも罪悪感を感じるはめになります。
自分が寂しさを埋めるために、たくさん物を持っていると感じたら、どれか1つだけお気に入りを残してほかは捨てるようにしてください。
心配だったら、少し箱に入れて、どこか別のところにしまっておいてもいいと思います。物を捨てても世界が崩壊することはありません。
それによくよく考えると、日本においては、物があまりないほうが安心なのです。地震大国ですから。
2.ばかな買い物をしたことへの罪悪感
部屋にあるガラクタのほとんどが衝動買いの産物である場合、なかなか断捨離がすすみません。
なぜなら、そのような品物に向き合うことは、過去の自分の失敗に対峙して、自分の過ちを認めることになるからです。
衝動買いにたくさんのお金を使ってしまい、その物を活用できないでいることに、人は心のどこかで罪悪感を感じています。
ろくに使わず、しまいこんでいる物と向き合うのは、実にいやな気分です。できればそんな物は、ずっとたんすや押し入れの奥に押し込んでおきたいのです。あるいは、自分の知らないうちに誰か他の人に捨ててもらいたいと思っています。
自分はまた何か別の新しいものを衝動買いして、うきうきしたいのです。
人によっては、いつか活用できる日が来るかもしれない、というはかない望みを抱いているかもしれません。
私もたくさんの物を断捨離したので、自分が無駄に買ったものを捨てるときに、いやな気分になる気持ちはよくわかります。
「こんなにたくさん買わなければ、今頃貯金があったのに」と今さら考えてもしかたのないことをよく考えました。
ただ、いくら過去の失敗を認めたくないからといって、そのままにしておいても、何の解決にもなりません。
過去の問題にケリをつけて、新しい人生を歩んだほうがずっといいのですから。
過去の失敗は失敗として認め、せめて手元に残ったガラクタは有効活用できるように努力してください。
つまり、家の外に出して、それを使ってくれる人の手に渡すのです。
家の中にいつまでも放置しても、物の立つ瀬がありません。自分はもちろん使わないし、他の人も使わなければ、純正ガラクタになってしまいます。
今ならまだ間に合います。不用品を寄付センターに持ち込んだり、使ってくれる人に譲って、物が活躍するチャンスを作ってください。
過去の失敗から学べは、それは失敗ではなく、よりよい暮らしへの1つのステップになります。
3.さまざまな恐怖
人は、もう使っていない物なのに捨てることに恐怖を感じます。
よくあるのは、楽しい思い出を失ってしまう恐怖です。でもこれは取り越し苦労です。物を捨てても思い出はなくなりません。
思い出とは記憶であり、物質的な物ではないのです。
脳は、その人が、生物として安全に生存できるための記憶を選んで保持していると思います。
しかし、何かを無理やり覚えることは可能です。何度もその思い出を反芻する(繰り返す)と記憶が定着します。
楽しい思い出は、何度も思い出すので、いやでも定着します。
仮に、そこまで楽しい思い出でもないけれど、忘れたくない思い出があるとしたら(何かをがんばった体験とか)、忘れても大丈夫なように、みんな作文に書いておけばいいだけです。
作文を長々と書くのが面倒なら、和歌にでもしてください。とは言え、たくさんの思い出の品を1つずつ出して、和歌を詠む時間がある人はあまりいないでしょう。
過去の思い出をキープするために、現在の時間を犠牲にすることになります。
私は思い出の品をたくさん持ちたいとは思いません。何も持ってないけれど、ときどきふっと昔のことを思い出します。たぶん、昔取り入れた情報はすべて私の脳の奥底に入っているのです。
大半の古い情報は、ふだんはものすごく小さく圧縮されており、何かの拍子にふっと思い出されるのだと思います。
そういふうにふっと頭に浮かんだことだけで、充分楽しい気持ちになれるので、わざわざ大量の思い出の品を持ちたいとは思いません。
思い出の品の捨て方⇒今度こそ捨てられる。思い出の品を断捨離する5つのステップ。
ほかにも、これを失ってしまったらもう二度と手にすることができない、という恐怖もあるかもしれません。
ふだんはその存在をすっかり忘れていて、いざ捨てようとした時に、そういう恐怖を感じるなら、それはまやかしの恐怖心です。
これまで、その物は自分の生活の中にも心の中にもなかったし、それでじゅうぶん普通に暮らせていたのですから。
恐怖の手放し方⇒不安や恐怖のせいで物が捨てられない。恐れる心とうまくつきあう方法
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今回は3つの心の闇を紹介しました。ほかにも闇はあるかもしれません。なかなか捨てられない人は、なぜ自分が物を捨てられないのか、考えてみてください。
たいてい、「ただ、なんとなく」ではないでしょうか?
そういうものは、別に捨てても問題ありません。逆に、強い執着心を持っている物を捨てると、執着していた気持ちが強ければ強いほど、心は軽くなります。物にとらわれていた心から自由になれるからです。
それでもやっぱり捨てられませんか?
そういう人は、捨てるのが簡単なものを断捨離する一方で、心を整えるために、何か自分が好きなことに打ち込むようにするといいでしょう。
道具なしで始められる趣味を紹介しています⇒ミニマリストに最適な趣味とは?物をたくさん持たなくても人生は充分楽しい
物をたくさん買い集めなくても、人生は充分楽しいのです。
私は、物を捨てられない人は概して欲張りだと思います。あれもほしい、これもほしいというメンタリティを持っているのではないでしょうか?
お店や友達の家に置いておくだけでは飽きたらず、全部自宅に置きたいという気持ちです。
しかし、何でもたくさんあればあるほど、1つ1つの価値は低下します。
たくさん物を持つより、数をしぼったほうが、より深く楽しんだり味わうことができます。
「あればあるほどいい」という思考を捨てたほうが、結局は、豊かな気持ちで過ごすことができるのです。