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思い出の物を断捨離するのがむずかしい、捨てられない、というのはよく聞く声です。
しかし私は思い出の物を捨てたら、より豊かな思い出がよみがえってきた体験があります。
きょうはそんな体験をお話します。
モノを捨てたことで思い出が鮮やかによみがえる
私は、去年から今年にかけて、少しだけ残っていたカセットテープ(通称カセット)と小さなカセットテープデッキをテープ1本だけ残して、すべて断捨離しました。
カセットテープとは、音声を録音する媒体で、その正体は小さなプラスチックの容器に入っている磁気テープです。こんな形のものです。
カセットテープデッキは、カセットに音を録音したり、再生する機械です。
こちらが私の持っていたカセットテープデッキ。
私、一時期は、山のようにカセットテープを持っていたのです。大部分は実家に置いてきたので、里帰りするたびに捨てていました。
片付けているときに、市販の懐かしいテープを見つけると、少しだけカナダに持ち帰っていました。デビュー当時のマドンナのテープ、ザ・ピーナッツのベストアルバム、ピンクレディー、ヤズーやフリートウッド・マック、そんなテープです。
それらもすべて断捨離したのですが、捨てているとき、それまでは全く意識に昇ることがなかった、カセットテープにまつわる思い出が一気に噴出したのです。
初めてのカセットテープ
私が1番最初にカセットテープにふれたのは小学生のとき、父が買ってくれた英語の教材としてです。このテープは最初の1本をのぞいて、全然聞かなかったのですが。
このテープについてはこちらに書いています⇒捨てずに持ってる本もある~『サザエさんうちあけ話』の光と影
次に、カセットテープを手にしたのは中学生のとき。
筆子は幼い頃から音楽が大好き。よくラジオで歌謡曲を聞いていました。
今でも覚えている番組は、ロイ・ジェームスの「不二家歌謡ベストテン」。日曜日のお昼に放送していた番組で、毎週楽しみにしていました。
聞くだけではあきたらず、曲を聴きながら、歌詞をこっそりノートに書き取っていたほどです。1度そのノートを父親に見つかり、すごく恥ずかしかったことを覚えています。
小学校高学年からだんだん洋楽に興味が移りました。中学生のとき、自分専用の、ラジオが聞けるカセットテープデッキを父親に買ってもらったのが、カセットテープと本格的に付き合い始めたきっかけです。
エアチェックにはまる
このデッキを使って、ラジオからたくさんの音楽をカセットテープに録音していました(これをエアチェックといいます)。
インターネット世代の人には、想像できない行為だと思いますが、当時、レンタルショップもなかったので、好きな音楽を手元に集めるにはこの方法が1番でした。
ちょうど音のいいFM放送が始まり、次第に人気を集めていったころです。
エアチェックはけっこう面倒な作業です。
まあ、やることはシンプルなのです。番組を聞きながら、「次の曲は~です」というアナウンサーの声を合図に、ガチャッとカセットテープデッキの赤い録音ボタンを押します。
筆子のデッキは録音ボタンと再生ボタンを同時に押し込むものでした。録音ボタンと再生ボタンのあいだに何か別のボタン(早送りボタン?)がはさまっていたので、両手の人差し指を使って、2つをがちゃっと押します。
手順は簡単ですが、このタイミング合わせが難しいのです。
アナウンサーの声は入れたくないけれど、曲は最初からきれいに録音したいのです。当時、テープの編集はできませんでした。
もう少し時代がたってから、ダブルカセットデッキという、デッキが2つついたものが発売されました。そちらも手に入れましたが、編集はめんどくさいので、私向きではありません。
もし、アナウンサーの声が入ってしまったり、曲の頭が欠けたら、それは失敗。また録音しなおします。
失敗につぐ失敗。同じ曲を何度でも録音し直していました。この執念たるや、エジソンにも負けなかったのではないか、と思うほど。
よほど完璧主義だったのでしょうね。とにかく何度も何度もやり直し。
回数を重ねて行くうちに、番組の構成や、アナウンサーのしゃべるクセ、曲を紹介するタイミングがだんだんわかってきて、失敗も減っていきました。
今思うと、「本当にひまだったんだな」、の一言です。
カセットテープのラベルも熱心に作っていた
1曲1曲録音してカセットテープの録音時間(おもに60分)がいっぱいになると、今度はラベルを作ります。
ラベルに収録した曲名を書いて、カセットテープのケースに挟みこみます。
これまた、今の私にはできない、相当面倒な作業です。
当時、FM Fanや、FM STATION といった、FMラジオの番組表や新譜、アーチストの情報がのっているFM雑誌を愛読していました。
こういった雑誌に、カセットテープのラベル用の紙(表はきれいな写真やイラストがついていて、うらに曲名が書けるように罫線が印刷されている)がとじ込みで毎週ついていました。
それをはさみで切り取って、空き箱に入れてためこんでいました。
毎週のように雑誌を買っていたので、ラベルも大量にありました。カセッテテープを買えば、はラベルがついてくるので、そんなにラベルばっかりためてもしょうがないのですが。
このラベルも数年後に一気に断捨離することに。
大量のカセットテープがたまってしまった
エアチェックは筆子が20代半ばになるまで続きました。
およそ10年の長きわたり、せっせとエアチェックしたカセットテープ。全部で軽く800本ぐらいはあったかも。
カセットテープを入れる専用の箱やケースをフェリシモなどの通販で買って、きれいに並べていました。
さすがに800本もあると、すべてを満遍なく聞くことはできず、テープは部屋の中で静かに眠っていることが多かったです。
「聞かないともったいない」という気持ちがあったので、何年もテープはそのままでした。
そうこうしているうちに、CDやミニディスクの時代になり、iPodが登場。
あんなに苦労してたくさんのテープを作ったのに、あまり活かせなかったわけです。
私のやったことは多いなる無駄でした。貴重な青春の時間をエアチェック作りに捧げていたとも言えます。
「馬鹿だなー」と思うけど、楽しかったのもまた事実。
カセットテープを捨てながら、若いときにこんな「楽しい無駄」をしたことは、貴重な思い出であることに気づきました。
思い出は心の中にあるもの
こうしたことは、カセットデッキと長らく持っていた数本のテープを断捨離したからこそ、思い出すことができました。
いつまでも古いテープを箱の中に入れたままにしていたら、こんなことを想起することははなかったでしょう。カセットテープのことなんて、ずっと忘れていたのですから。
私が、モノを捨てれば捨てるほど、楽しかった思い出をいつくしむことができるというのは、こんなことがあったからなのです。
思い出を記憶にとどめておくために、特にモノが必要か、というとそうでもありません。
単にモノは、思い出を象徴しているだけですから。
モノを捨ててしまっても、うれしかったこと、楽しかったことってちゃんと心の中に残っています。
箱の中に入れっぱなしだった思い出の品と向き合うことで、眠っていた思い出を呼びさますことができます。
人生の最終章には、もう物はあまり必要ありません。そこにあるのは「思い出」だけ。
存在を忘れていた物を捨てながら、楽しかった思い出をいっぱい掘り起こすのも、断捨離の愉しみの1つですね。