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4年前に、セーターを捨てるかどうか相談してくださった読者のとまとさんから、近況のお便りが届きました。今日はそのメールを紹介します。
とまとさんは、質問メールを書いたあとで、本当に聞きたかったことに気づいたそうです。
書くことがきっかけで、本当の問題に気づくことがありますよね。
では、まずメールを紹介します。一部重複部分を省いています。
私が本当に聞きたかったこと
件名:拙相談(質問)に返信いただいた後の経緯になります。
こんにちは。2021年4月6日に質のいい服だから:着ない服を捨てない理由と、それを乗り越えて捨てる方法(24)にて取り上げていただいた、とまとと申します。
その節は、ブログで取り上げていただきありがとうございました。
筆子さんにメールを取り上げていただいてから大分経ち、「実は聞きたい疑問は別なのではないか?」と気がつきました。
頭の中でもやもやとした思いをとりあえず文字化して、そのときは「これが私の知りたいこと」と思っても、実は真の疑問が異なっていることがあるのではないかと。
私が送った質問は「質のいい服だから捨てられない」という疑問でした。
筆子さんからは「とまとさん、そのセーターをあまり着ていないのですよね?」と言及があったのですが、実は大のお気に入りで猛烈に着まくっていたのです。
着まくっているから、「首周りが(伸びて)フガフガ」だったんですね。
筆子さんからは「捨てるほうがいい」との趣旨の返信をいただきました。
返信いただいてしばらくして、「この形のセーターが好きで、新しい同じ形のセーターを買ったにもかかわらず、お気に入り過ぎて手放せない。どうしたらいいか」が、実際の疑問だったなと気がつきました。
結果、私は件のセーターを実家に送り、実家滞在中の普段着として着ていました。
首回りがフガフガに伸び、外には着ていけませんが普段着ならば十分着られるからです。
ただ、自分でも考えなかった意外な形でウェスにすることにしました。
中年になって肌が弱くなり、あるときからチクチクして、辛くて着られなくなったからです。
筆子さんに言及していただいた関係で動きがあり、結果悔いなく手放せてよかったなと思います。
また、自分の使う言葉で相手に細かなニュアンスを理解してもらうには、もっと相手に伝わるように考えて書かないといけないなと反省しています。
実は、筆子さんのブログでほかの方の質問をみても、「もしかするとこの人の本当の疑問は別であって、今精一杯の言語化がここまでなんじゃないか」と思うときがあります。
とはいえ大事なことは、精一杯の言語化であっても疑問として表に出して、誰か第三者の応答があることではないかと思います。
その応答が、何らかの変化に結びつくことは確かだと思いますので。
筆子さんの応答は、相談した側にとっても何かしらの変化に結びつくなと感じています。
長文を読んでいただきありがとうございました。
カナダはこれからの時期寒くなりますね。どうぞ体調等御自愛ください。
とまと
とまとさん、こんにちは。近況を教えていただきありがとうございます。
なるほど、「捨てたいけれど、お気に入りすぎて捨てられないセーターをどうしたらいいか」ということが、本当に聞きたかったことだったのですね。
そこまでお気に入りなら、無理に捨てる必要もなかったと思いますが、結果的に肌に合わなくなって手放すことになったのですね。大好きなセーターをしっかり着て、納得してお別れできましたね。
とまとさんが書かれていたように、私たちはときどき、本当に聞きたいこととは少し違う質問をしてしまうことがあります。
本人がそのずれに気づいているとは限りません。
それと、「捨て方を知りたい」という相談の背景には、ものの処分を超えた心理的な要因や、別の解決したい問題が隠れていることがよくあります。
その問題を見つけるために、質問メールを書くことはいいことだと思います。
本当に聞きたいことと質問がずれる理由
本当に聞きたいことと、実際にする質問がずれてしまう理由はいくつかありますが、ここでは3つ紹介します。
1.問題に気づいていない
まずは、自分の本音にまだ気づいていないケースです。
なんとなくもやもやしていても、何が問題なのかは自分でも分かっていないことはよくあります。
問題が整理できていないので、ぼんやりとした質問や、的はずれな質問を投げかけてしまいます。
2.言語化できない
とまとさんがメールに書いていたように、うまく言葉にできないこともあるでしょう。
自分の気持ちを端的に言葉にするのは簡単ではありません。
思っていることを言葉に変えるには、思考を整理する必要があり、これは想像以上にエネルギーのいる作業です。
考えている途中でうまく言葉が見つからず、結果として的を外した質問になってしまうのです。
3.自分の心を守ろうとする
問題は別のところにあると薄々気づいていても、本当の問題に向き合うのが怖かったり、恥ずかしかったりすると、「とりあえず、捨て方を教えて」といった具体的な質問をして、逃げを打つことがあります。
質問する側は、聞きたい気持ちはありますが、本当の問題を話題にするのは避けたいのです。
本当の問題にしっかり向き合わないと、何度も似たような質問を繰り返すことになります。
ずれた質問でも、言葉にしようとすることに意味がある
質問がずれる、うまく言葉にできない。そんな状態でも、「書いてみる」「話してみる」「誰かに聞いてみる」という行為をすることに意味があります。
質問メールを送ることには以下のような効果があります。
1.冷静になれる
頭の中にあることを言葉にして書き出すと冷静になれます。
問題を解決したいとき、感情的になっているとうまくいきません。
いったん言葉にして落ち着くことは、解決のために動く最初の一歩です。
2.思考を整理できる
書きながら自分の考えていることに気づくことができます。
考えていることを言葉にしようとするのは、バラバラに散らばり、もつれあっていた思考や感情を順序立てることです。
そのとき、なんらかのロジックが生まれるので、「私が本当に困っているのはAではなくBだった」と、問題の核心に気づくことがあります。
問題がわかれば、解決策を探す方向に向かいます。
3.孤立感がやわらぐ
誰かに話したりメールを送ったりする行為は、「自分は一人ではない」と感じるきっかけになります。
相手が返事をくれなくても、誰かに言葉を届けたという事実が、心の支えになるでしょう。
悩んでいるとき、人は「自分だけが苦しんでいる」と思い込みがちです。
話を聞いてもらえば、「受け止めてくれる人がいる」とわかり、安心できます。
相手から何らかの反応があれば、「自分の言葉を理解してくれた人がいた」と感じられます。
こうした経験が、気持ちを立て直す助けになります。
心が落ち着けば、視野が広がり、問題を新しい角度から見直すことができるでしょう。
私は、要返信のメールにはすべて返事を書いていますし、いただいたメールはできるだけ記事で紹介しています。
その記事を読んだほかの読者から、「私はこうしている」「こうするといいと思う」というメールをいただいたら、それも記事にします。こうした記事が解決の糸口になることもあるでしょう。
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質問がずれてしまったり、期待した答えが得られなかったりしても、考えていることを文字にする行為は、意味のあることです。
答えを得るという結果よりも、書くというプロセスに大きなメリットがあるからです。
問題を解決したいとき必要なのは、何らかの行動です。
もやもやしていることをメールに書くという行動が、問題を解決するきっかけになります。
お知らせ:エッセオンライン
エッセオンラインに新しい記事がアップされたのでお知らせします。
今回は、書いて頭の中を整理し、ものを捨てていく方法を紹介しました。
⇒どうしても片付かないなら、書いてみて。「5つの質問」に答えて頭も家もスッキリ | ESSEonline(エッセ オンライン)
ぜひお読みください。












































