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昨年の夏、母と一緒に実家で断捨離した様子を綴っています。今回は母の洋服を捨てた話です。
この時、母は81歳。高齢です。この世代の人は、たいてい物をたくさん持っていますが、特に多いのが食器と洋服です。
生きている年数が長いため所持品が多いのと、高度経済成長期を経ているので、やたら買ってしまったあげく、始末に困って家の中にためこんでいるのです。
使わない物を捨てるという考え方をしない母
何より問題なのは、「使わないものは処分する」という発想が全くないことです。
そのため、母も、古い服から、新し目の服、子供の服まで、着ない服ををすべて押入れにつっこんでいました。
この押入れ、筆子的には、「ゴミ箱?」と呼んだほうがいい代物でした。もちろんそんなことは言いませんでしたが。
もういらないものは、本来なら家の外に出すべきなのに、ゴミ箱に捨てる代わりに、押入れに入れている、という状態です。
確かに「押し入れ」は物を押し入れる場所ですが、ゴミまで押し入れてはいけません。
母はきれい好きですから、一応、なんとなく分類して、たたんで収納してはいました。
なぜもう着なくなった服を捨てられないのか?
着ないのに、捨てない理由を母はいろいろ言いました。それに対して私は以下のように説得しました。
●いつか着るかもしれない
いえ、母は81歳ですし、こんな若いデザインの服はもう着ません。
●まだ着られるし
たとえ、洋服の機能を備えているものでも、着る人がいなかったら、それは洋服としての使命を発揮することができません。
押入れやたんすの中で死蔵されている衣類の本質は、「着るもの」から「ガラクタ」に変質しています。
●娘が着るかもしれないし
着ません(キッパリ)。
●嫁が着るかもしれないし
お嫁さんは作り笑いを浮かべながら、受け取ってはくれるでしょう。しかし絶対着ません。「ありがた迷惑」という言葉を思い出すべきです。
お嫁さんが物をためこむ人だったら、別の機会に、「先日、お義母さんに、いただいたので。これ、私にはちょっと地味なので」と、お返しに、何か別の変な服を持ってくるかもしれません。
●孫や姪が着るかもしれないし
押しつけてはいけません。
●友だちの◯◯さんにあげると着てくれるかも
◯◯さんの家のタンスにも着ない服がびっしり入っています。
●これ高かったから
この服に支払ったお金は、ここに何十年と押し込んでいても、決して回収することはできません。
回収したいなら、リサイクルショップ、ヤフオク、フリマなどで売るしかないのです。
しかし、そうすることは手間と時間がかかります。残り少ない貴重な人生をそんなことに費やしたいのですか?
買ったとき高くても捨てないとますます損をします⇒「値段が高かったから」といって捨てないとガラクタは増える一方~断捨離マインドを鍛える
●ゴミにするのはもったいないし
すでに家の中でゴミになっています。家の中のゴミと化している物でも、いったん外に出せば、その服はまた服としてのライフを取り戻す可能性が生まれます。
寄付すれば、誰かが袖を通したり、雑巾にするかもしれません。
このまま押入れに入れておいて何になるのでしょうか?虫に喰われてちょっぴりカサが減ることはあっても、ずっと放置され、母が亡くなったあとに、誰かがまとめて捨てるだけです。
●これ、昔好きでよく着ていたから
今は21世紀で、もう「昔」ではないのです。昔は「好き」だったかもしれませんが、今は好きでないことは、押入れにつっこんでふだんは全く顧みないことからもよくわかります。
●いつからやせたら着るんだ
私が若いころからそう言っていましたね。30年やせなかったら、いい加減、あきらめたらどうでしょうか。
万が一、やせることがあったとしても、その時は店で新しい服を変えばいいのです。洋服の流行は繰り返すといいますが、それはデザインだけで、素材やカッティング、縫製は、昔に比べるとずいぶん違います。
やせたごほうびに買う服は、新品にしたほうが、自分を大事にすることにつながります。
●1度も着てないけど、◯◯さんにもらったから捨てるのは悪い
ありがたくもらったときに、◯◯さんへ感謝の気持ちは伝わっています。着ないまま、ずっと押入れに突っ込んでいるのを知ったら、◯◯さんは、どう思うでしょうか?
それ以前に、贈り物をしたことを、たぶん本人は忘れています。
●これ、すごく物がいいの
確かに素材は上等なウールで縫製も丁寧なコートですが、重すぎます。80過ぎたら(というよりどの世代でも)、こんな重い服を着て歩くと疲れる一方です。
●これ、きれいな柄だから、何かにリメイクしようと思って
母は手芸や裁縫が好きなので、こういう発想があるようです。
リメイクすれば、古着に新しい命を吹き込むことになりますが、いったいいくつリメイクするつもりなのでしょうか?
自分の人生の残り時間と本当にやりたいことを考えるべきです。
人生の最後に、カビ臭い服をばらして、ティッシュケースや小袋を作ることに時間を費やしたいのかどうか、自分に問うてみるべきです。
☆このシリーズを最初から読む方はこちらから⇒実録:親の家を片付ける(1)~まずは自分のものをどんどん捨てる
いろいろ説得して、なんとか捨てたのが以下の服です。
断捨離した母の服のごく一部
左上の黒いベストは私が、DCブランドが流行っていた80年代に買ったもの。ニコルのです。右上の黒いのも私の服です。私は捨てたつもりでしたが、母は自分で着ようと思って、拾ったのかもしれません。
紺色のパンツ(わかりにくいけど左上)は大昔、私がはいていたもの。裁縫の得意な母は、ベルト部分に別の布を継ぎ足して、自分ではいていました。
手前の3つのニットは、母が義理の娘(弟のお嫁さん)にもらったものです。彼女は誕生日や敬老の日に母に衣類をプレゼントすることが多いです。よいお嫁さんなのですが、大半は母の趣味に合わずお蔵入りに。
義理の娘なので、母は「趣味じゃない」と言えないのです。私も贈り物にケチをつけるのはよくないと思います。
ただ、もらったあと、自分が着ないなら即処分すべきです。捨てるタイミングを逃すと、どんどん捨てにくくなります。
プレゼントを捨てることは悪いことではありません。その理由はこちら⇒罪悪感を感じる必要なし、人からもらった贈り物を捨てる3つのコツ
すべてもらいもの。母は黒い服は冠婚葬祭以外ではあまり着ません。もっと早くに処分しておくべきでした。
マフラーは私が子供の頃、母が編んでくれたもの。モチーフをつないだ、いかにも昭和なアイテムです。
水着は母が23、4歳の頃、買ったもの。昭和30年代はじめの商品です。つまり57年前の水着です。
「なぜ捨てない?」
子供のころ、内海(うつみ)に海水浴に行ったとき、母が着ていました。海水浴には1回しか行った記憶がないので、そんなに使ってなかったと思います。
母は「あんた、着る?」とこの黄色い水着を差し出しました。冗談ではないようです。もちろん断りました。
母の生前整理の話、続きます。