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本は豊かな文化をはぐくむから、捨てない方がいいのでは? という問い合わせに対する私の回答の感想メールの紹介。その3です。
発端になった記事はこちら⇒本は貴重な文化財だから捨てるべきではない、という意見に私が思うこと。
今回も2通シェアします。小見出しは私が入れました。
内容:
・捨てなくてよかったと思う本
・本は1冊持ってるだけです
・エッセオンラインに新しい記事がアップされました。by 筆子
今回お便りを紹介するお2人は、ともに読書好きで、本があふれていた家で育ちました。
では、まずgraycatさんより
大学の教科書を捨てなくてよかった
件名:本について
数ヶ月前に読者になりましたgraycatと申します。
筆子さんの筆致がとても痛快に自分の課題に響き、おかげさまで今、心身ともに人生で一番すっきりと暮らせています。
本のことについて、感じたことをお送りしてみます。
筆子さんのアドバイス、いつもながら的確で、その通りだなぁと思いながら読みました。
以下のエピソード、「大事なものは残し給え」の側のカテゴリーに入る話としてお読みいただけたらと思います。
残してよかった本
私は子供の頃から本好きで大学も文学部に進みました。研究の道を希望していたのですが、体調を崩してあきらめることになりました。
ずっと体調が悪く、まともに本を読めない悲しい時間が続いたのですが、徐々に回復してここ数年は大分読めるようになりました。
大学時代の本を今読み返すと、あの頃難解で分からなかったことが染み込むように分かったりして、何もしていないようで自分も変わっているのだなぁ、生きるのは面白いなぁと感じます。
あの時先生がおっしゃっていたのはこういうことか、とか、初めに読んだ時のことを空気感までありあり思い出すこともあり、自分にとって読書は大切な営みだったんだなと実感しています。
もう読めないのかしらと思いつつ(物理的に頭痛が起きるのと、目にすると何となく悲しいのとで、一時は本の姿が見えないように引き出し式の本棚にしまっていました)取っておいたのは、自分にとってどこかでやっぱり大切だったからなのかも知れません。
私の場合は体が戻ればという希望があったから捨てなかったのだと思いますが(より正確には、捨てる作業=アイデンティティの大きな部分をあきらめること、をマイナスと感じていたのかも)、実際に読むこと、大事ですね。
読める今がとても嬉しいです。
若い人に本を読んでもらいたい
以下はHさんの投げけられた論点や筆子さんのコメントについて、私なりに感じることです。
最近、10代の生徒の個人指導をするようになり、若者の読解力低下、と言われることの実態を垣間見ている気はしています。
教えれば分かるのに、読む機会がなかったんだなということも分かり、一抹の勿体なさ淋しさは感じます。
他のメディアの充実、他の活動の忙しさ、などなど、時代の流れというものでしょうが、せっかく一緒にいろいろな文章を読める間に精一杯、この豊かな経験を楽しんでもらえたらと思ってやっています。
私の父は研究者ですが、私は本好きでも姉はほぼ読みません。
家にあっても手に取るかどうかはそれぞれだ、というのはとてもよく分かります。
そして私個人としては、本が家にあふれれていてとてもありがたかったです。同じ本が、姉にとっては邪魔だったり余計なプレッシャーだったりしたかも知れません。
他の人の手に本が渡るように
このブログの「捨てる」は「手放す」と同義ですね。
世の中の人の「本を捨てるな」は、廃棄処分にするな、というニュアンスが強いのかなと私は感じます。
なるべくゴミにせず活かせればいいのは本に限らない話ですが、文化を豊かにしてくれるような、読み捨てず大切にされてもいいような本は、次の人に渡るような手放し方をみんながしてくれるようになったら嬉しいなと個人的には感じます。
古い本は業者にはなかなか買い取ってもらえないので、ひと手間多くかかりますが。
でもゴミになっても環境負荷があまり大きくないのも本のいいところですね。リサイクルもできますし。
お読みいただきありがとうございました。筆子ジャーナル、今後も楽しみに読ませていただきます。カナダはもう寒いですね。どうぞお体をお大事に。
graycatさん、はじめまして。お便りありがとうございます。
体調が戻って、読書できるようになってよかったです。
大学の教科書にそんな楽しみ方があるのですね。
私は、中国語の教科書は残しましたが、ほかは速攻で捨てました。中国語の教材も結局使わなかったので、早く捨てればよかったと思っています。
中国語の教材と本を断捨離するのに12年かかった私がとうとうたどりついた真実とは?~ミニマリストへの道(18)
学校で勉強した内容はみな忘れましたが、授業や学生生活で覚えていることはわりとあるので、物はいらない、とも思います。
でも、人それぞれですよね。
graycatさんが、大学の教科書から喜びを得られたのはとてもよかったと思います。
なお、古本屋やブックオフなど、読み終わった本を回すシステムはすでにできあがっているから、本をゴミ箱に捨てる人はいないと思います。
では、graycatさん、これからも、お元気でお暮らしください。
次はKammla (カムラ)さんのお便りです。
図書館が私の書庫
件名:本を捨てることについて
表題の件でメール募集されていたので早速回答します。
私も以前は本を千冊ぐらい持ってました(コミック含む)。
家族も本が好きだったので、本は家にあるのが当たり前だと思っていたからです。
大学を卒業後就職しても引越しのたびに段ボールに本を詰めては一緒に移動してました。
引越し代も馬鹿にならずでした。
1冊だけ所有
現在は私の部屋にある本は1冊です(お気に入りのマンガのみ)。
全部売ったり譲ったりして手元には残さず、本は図書館で借りることにしました(歩いて行ける範囲で市の図書館が3つあります)。
絶版になった本も新刊も雑誌も図書館にあるので、私は巨大な書庫を家の外に持っているのだと思うことにしました。
図書館のホームページで読みたい本を取り寄せられますので何の不便もないです。
図書館にない本は買うこともありますが、読み終われば図書館に寄贈するので家には在庫を抱えずに済みます。
マンガは電子書籍で読めますので紙の本は買わなくなりましたね。
父の書斎の片付けに苦労した
父が認知症になったときに介護に専念するために不用品を処分しましたが、書斎はすごいことになっていましたね。
数十年前に買った雑誌やら本やらのカビに虫に紙魚(しみ)に埃。
もちろん売れず。
本棚を処分するのにも私と母では動かせない大きさで余計なお金がかかりました。
結論として、私は今は紙の本は家になくていい、です。
本は好きですが所有しなくて良いと思うようになりました。
いくら好きな本でも24時間365日読むわけじゃないですからね。
情報が欲しければアクセス先はWebなり図書館なりありますし、紙の本が文化的に優れているということはないと思います。
文字を読む人が読まない人よりえらいということはないと思っています。
でも紙の本が好きで必要ならいくらでも所持すればいいんじゃないですかね。
自分にとっては何が必要かを決めるのは自分自身ですよ。
人に決めてもらうものじゃないし、理由を探す必要もないと思います。
それではまた。
Kammlaさん、こんにちは。お便りありがとうございます。
近くに図書館が3つもあるなんて、すばらしいロケーションですね。
今、手元にあるのは漫画が1冊だけとのこと。それなら今度の引っ越しは楽勝ですね。
私も、引っ越しをするとき、毎回、一番問題になるのが書籍です、今の家にいる間に、あらかた処分したいと思っています。
ところで、お父さんの書斎の片付け、大変でしたね。本も、生物(なまもの)のように考えて、タイミングよく手放すほうがいいのかもしれません。
何が必要かは、自分にしかわからない。その通りですね。
それでは、Kammlaさん、これからも読書を楽しんでください。どうぞ、お元気で。
☆次の感想はこちら⇒文化財になる本は国が保存しているから、自分で持つ必要なし(本の処分、その5)
最初に片づける場所(エッセオンライン)
エッセオンラインに新しい記事がアップされました。今回は、最初に片づけると、断捨離の調子が出る場所を紹介しました。
ぜひ、お読みください⇒50代がまず片づけるべき場所。「廊下やドアの周り」がおすすめの理由
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私の娘は、ときどき、ソーシャルメディアで見つけたおもしろい投稿を、送ってくれます。
先日、「ミニマリストになる一番いい方法は、親の家の片付けをすることだ(原文は英語)」という投稿と、「ははは、ママ、S(私の夫)が、死んだら、あの部屋、どうやって片づけるつもりなの? 私は手伝わないからね」というコメントをよこしました。
本にかぎらず、物がありすぎると処分に時間もお金もかかるので、所有すると決めた人は、そのへんも考えておくといいですね。
それでは、あなたも質問や感想などありましたら、お気軽にお寄せください。
お待ちしています。