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「持たない暮し」をしたくて、物を捨てるときに、しばしば邪魔になるもの。
それは「執着心」です。いらない物に執着してしまう気持ちを捨てれば、もっと簡単に物を捨てられます。
今回は、この「執着心」を捨てる方法をお伝えします。
執着とは?
辞書によると執着の定義は「1つのことに心をとらわれて、そこから離れないこと」です。
私たちはいろいろな物に執着します。
たとえば、自分の命、自分の考え方、人間関係、仕事、社会的な地位、お金、食べ物、さまざまな物に執着しますね。
人は、生存本能があるので自分の命に執着するのは当然です。ここに執着しないのはよくないです。
しかし、そのほかのものにあまりに執着してしまうと、かえって自分自身がつらくなります。
断捨離しているときに問題になるのは、「物」に対する執着です。
片付けを始めるまでは、10年ぐらい押し入れの中で眠っていたブランドもののクラッチバッグ。いざ捨てようとすると急に執着が芽生えます。
「これ、きれいだし。いつか何かの時に使えるかも」というように。
こんなふうに見るものさわるものにいちいち執着していたら、片付けは全く進みません。
執着と愛着の違いは?
執着によく似た感情に「愛着」というものがあります。
愛着の定義は辞書によると「なれ親しんだものに深く心が引かれること」です。
たとえば、断捨離中、クローゼットの奥の方に、中学校の修学旅行のおみやげに買ってきたかわうそのぬいぐるみを発見したとします。
かわうその目は片方取れているし、しっぽは猫がかじってちぎれています。薄汚れていて蜘蛛の巣が張っています。なのに捨てられません。
こういう思い出系の物の場合、執着しているのか、愛情を持っているのか自分でもわからなくなることがあります。
執着と愛着(あるいは物をいつくしむ気持ち)を見分けるのは難しいです。
というのも、この2つの感情、実は同じものではないかと私は思うのです。
物をいつくしむ気持ちが自分にとってポジティブに働くなら「愛着」、ネガティブに働くなら「執着」です。
これは食べものに微生物が取り付き、少しずつその食べ物を分解するとき、人間にとって都合のいいものになれば「発酵」、都合の悪いものになれば「腐敗」と呼ぶのと似ています。
そのかわうそのぬいぐるみをぐっと抱きしめた時、ネガティブな感情が渦巻いたらそれは執着です。
たとえば、
「汚い、これ。もういらない感じ。でも捨てられない。邪魔だけど、捨てられない。苦しい。ああ、断捨離なんてもうやだっ。うんざりだ」。
こんなふうに思ったら、これはネガティブな感情です。そのぬいぐるみは捨てるべきです。
もし、
「汚い、これ。でもかわいい。私、これ、ずっと探してたんだよね。こんなところにしまいこんでいたんだ。蜘蛛の巣を払って洗濯機に入れて洗って、目もつけて、しっぽも修理して本箱の目立つところに飾ろう。もうなくさないようにしなくっちゃ」。
こんなふうに思うならポジティブな感情です。末永くぬいぐるみを大切にしてください。
なぜ人は物に執着するのか?
上で説明したように、断捨離をしていて「邪魔だな」とか「これ捨てたいな」と思うのに、捨てられない場合、その物に執着しています。
「邪魔だ」と思うのはネガティブな感情です。
本当に大事な物なら、そもそも「捨てたい」なんて思ったりはしません。当然のようにいつまでも持ち続けます。
所持品を最小限にするミニマリストは、この限りではないかもしれませんが。ミニマリストは、大事な物も、あえてある哲学のもとに捨てています。そうしないと所持品は最小限にはならないでしょう。
ここでは、一般人が断捨離をしているときに執着してしまう場合を想定しています。
さて、なぜ人は、もういらない物に執着してしまうのでしょうか?いらないとわかっている物なら、さっさとゴミ箱に捨てればいいのに。
執着心を起こす理由はいろいろありますが、大本の原因は1つです。
それは恐怖心です。
恐怖を感じて、物が捨てられません。
以前、人は1度物を所有してしまうと、その物が必要以上によく思えてしまう「授かり効果」について書きました。
こちらです⇒物を捨てられないのは恐怖のせい~損失回避と、授かり効果の心理をさぐる
こうした現象が起きるのは、結局「恐怖」という感情からなのです。
人の行動の多くの原因は「恐怖」です。人は、生存本能があり、安全に生きるために、いろいろなものに恐怖を感じるようにできています。
ところがやっかいなことに、「もういらない物」を捨てる時ですら、数々の恐怖を感じてしまうのです。
ぼろぼろのぬいぐるみを捨てようとしているとき感じる恐怖心は、それを失うことによって
●寂しい気持ちになるのを恐れている
●楽しい思い出を忘れてしまうことを恐れている
●自分の子供のおもちゃになるかもしれないものをなくして後悔することを恐れている
といった気持ちです。
つまり、そのぬいぐるみを捨てたときに、自分の心の中に沸き起こるかもしれないさまざまな感情を恐れているのです。
これって、ものすごい取り越し苦労だと思いませんか?
執着心をはずすにはどうしたらいいか?
汚いぬいぐるみを捨てるとき、未来に起こるかどうかわからない自分の感情を恐れているだけの私たち。
しかしこの恐怖心は強力です。
自分では意識していないのですが、「ぬいぐるみを捨てちゃうとセルフイメージが傷ついてしまう」と思っているのです。
セルフイメージとは自分で自分をどう評価しているか、ということです。
汚いぬいぐるみがなくなると、この先、中学校のときのような楽しい気持ちにはもうなれない寂しい人生を送る自分になる、とか、自分の子供にぬいぐるみをあげることができないふがいない親になる、なんて思っているのです。
だからこそ、カレン・キングストンは、「ガラクタを捨てられない人は自分の未来を信じていない」と書いています。
ガラクタを捨てず、未来を信じない話⇒どうしていつもぐしゃぐしゃなのか?あなたの家が片付かない最大の理由はこれ
ですから、もっと自分自身を信じれば、物に執着することなく捨てられます。汚いぬいぐるみがなくなっても、あなた自身は消えたりしないのですから。
執着から離れられないときすべきこと
自分自身を信じるということは、要するに「自信を持つ」ということです。
しかし「自信を持て」と言われて、「はい、持ちます」と言ってさっと持てないのが「自信」です。そんなものがあれば、執着心など最初から生まれないのですから。
そこで、執着心をはずす現実的で具体的な方法を考えてみました。以下のように考えてみてはどうでしょうか?
●ぬいぐるみを見ていると修学旅行の思い出が走馬灯のようにめぐっているでしょうから、まずは冷静になります。
●物は単に物であり、自分ではないと考えてみます。
●自分は何のために断捨離をしているのか考えてみます。多くの人は、より幸せになりたくて断捨離をしています。
●自分のやっていることを一歩さがって俯瞰してみます。ぬいぐるみを捨てようと手にしたとき、そのぬいぐるみのことばかり考えていると、執着してしまいます。
そのぬいぐるみを捨てた先のことを考えてみます。執着をはずすと自由になれます。
●罪悪感や後悔は素直に受け入れます。
大金を出して買ったのに、ろくに使ってない物を捨てるとき、「私って本当に愚かだ」「買い物が下手だ」「物を大事にしない罰当たり」、こんなふうに自分を責めるものです。
そういう感情を無理に打ち消そうとしてはいけません。
物を捨てるときのネガティブな感情、みじめだ、くやしい、腹が立つ、悲しい、残念だ、という気持ちは受け入れてください。
こういう感情を打ち消そうとするとよけい苦しくなりますし、ないことにしようとすると、また同じミスを繰り返します。
ネガティブな感情を受け入れたあとで、ちょっとミスをしてしまって残念だけど、これからはこういう無駄なことはやめよう、と前向きに考えます。
つまり未来を見るのです。
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以前、防災用品のミニマリスト基準の記事を書いたことがあります。万が一、災害にあったときのために、何をどれだけ持っておいたらいいのか、という記事です。
こちらです⇒防災用品や非常時持ち出し袋のミニマリスト基準はどれぐらい?質問にお答えしました
非常持ち出し袋の中身を決めるとき、いろいろ心配していると、あれもこれも必要に思えてきます。
そこで、水やら、乾パンやらカロリーメイト、懐中電灯の電池、充電器、ラジオ、バスタオル、毛布、生理用品、その他もろもろ用意します。
ですが、そんなにたくさんの物をリュックに詰め込むと、私たちは身動きできなくなります。
地震が起きたとき、1番大事なのは自分の身、そしてきっと片手には子供の手を握ることでしょう。
防災用品を入れたリュックなんてどうでもよくなるのです。
これと同じことが、物をいっぱい持っている人の家の中で起きています。
「もしかしたら、いるかもしれない」「いるときにないと困るかもしれない」という恐怖心から、不用品をいっぱいためこんでいるのです。
本当に大切なものはほんの少しだけなのに。
もっと自分に自信を持って、不用品を捨てれば、執着心から解き放たれ、身も心も軽くなります。