ページに広告が含まれる場合があります。
やましたひでこさんの電子書籍、『基本の断捨離21のルール』を読みました。
実はこの本、私が持っている唯一のやましたさんの著書です。
やましたさんのサイト(断捨離事務局)から購入できます。PDF92ページで700円。さしてボリュームがないので30分もあれば読めます。
今回はこの本の感想をお伝えしますね。
やましたひでこさんとは?
やましたひでこさんは「断捨離」の提唱者でこの言葉の商標登録をお持ちです。
ご自分のことをクラターコンサルタントと名乗っていらっしゃいます。「断捨離」のコンセプトや断捨離のやり方を本に書いたり、セミナーをしたり、近藤麻理恵さんと同じようなお仕事をされています。
こんまりはクライアントの家に行って、汚部屋をすっきり片付ける手伝いをしていますが、やましたさんはそういうことはしてないと思います。
どちらかというと本を書いたり、セミナーや講演会をするのが主な仕事という印象です(単なる私のイメージです)。
この本の一番最初に
断捨離とは、場を通じて、あるいは人やモノの関係性において、自ら、意図的にごきげんを維持し、周囲をもごきげんに巻き込んでいこう!というツール
と書かれています。
やましたさんや、やましたひでこ公認断捨離トレーナーの人が、よく「ごきげんさんです」と挨拶しているのはこういう理由があったのですね。
断捨離とは⇒ミニマリスト、断捨離、シンプルライフの違いとは?
『基本の断捨離21のルール』の内容
断捨離にまつわる21の言葉をテーマにしたエッセイがのっています。
前書きによれば、これから断捨離をしてみたい人は、そのエッセンスを知ることができ、停滞中の人は、復活のモチベーションを得られ、ベテランのダンシャリアン(断捨離をする人)は琴線にふれる言葉を手にできる内容とのこと。
私はベテランダンシャリアンにあたるでしょうか?
断捨離にまつわる「言葉」を集めているので、全般的に「言葉」の定義にこだわっています。
自分の中で言葉の定義をはっきりさせることは、自分が何をやっているのか確認できていいですね。ただ、他の人とその言葉の定義について論争するのは、さほど建設的だとは思いません。
私の琴線にふれた言葉3つ
92ページの中に、共感する言葉がいくつかありました。今回はその中から3つご紹介します。
「片づけ」「整頓」「掃除」には欠かせない順序がある
片づけ、整頓、掃除の意味することをきちんと理解し、分けて考えると、それぞれがしっかり機能するそうです。
1.片づけはモノの絞り込み。いらない物を捨てること
2.整頓はモノの有り様を整えること。収納
3.掃除は、掃いたり、拭いたり、磨くこと。
確かに、片づけ⇒整頓⇒掃除の順番で行うと家の中がすっきりします。
いらない物がいっぱいある状態で、収納したり、掃除をしようとするとうまくいかないのです。
ちょっと断捨離をやったことのある人や、シンプルライフを心がけてる人は「そんなのあたりまえ」と思うでしょうね。
しかし、多くの人が不用品を捨てないままに、収納をしようとがんばります。
たとえば私の母⇒掃除と断捨離を混同する母~実録・親の家を片付ける(6)
まず不用品を取り除いてからやると、整頓も掃除も楽になるし、ミニマリストになって、ものすごく物の量を減らすと、収納を考える必要すらなくなり、掃除もずいぶん簡単になります。
掃除に関してですが、どんなに物が少なくなっても、これはし続けなければなりません。
家の中の汚れの正体は
●ホコリ
●油汚れ
●水垢汚れ
の3種類だと家事評論家の阿部絢子さんが書いていました。
この本です⇒阿部絢子『家事名人の生活整理術』の感想~時短家事の秘密はシンプルライフにある
ホコリの正体は繊維なので、室内にファブリックがあればあるほど、また人の数が多ければ多いほど、ホコリが増えるそうです。
ミニマリストになっても洋服を着ないわけにはいかないので、ホコリとは一生つきあうことになりますね。
高い位置から見通して、目の前から着手する
高い位置から見通すとは、俯瞰するということです。
「どうしてこれが捨てられないのか?」
「どうして、あの人は私にこんなことをするのか?」
そんなふうに悩んでいるとき、悩みの対象であるモノや人にフォーカスするのは、高い位置から見ているとはいえません。
こういう見方をしていては問題は解決できないのです。
得てして、「そのモノが、その人が悪い。あるいは自分が悪い」と”悪者探し”の視点になってしまいがちに。あくまで悪いのは、自分とその対象との関係性。そこに焦点を合わせることで、解決の糸口が見えてくるもの。
確かに「悪者探し」ってよくやってしまいますよね。先日書いた「白黒つけない」という話に通じるものがあります。
関連⇒断捨離しているのにイライラします~断捨離に好転反応はあるか?
物が邪魔になっているときや、物のせいでイライラするとき、別にその物たちは悪くないのです。物はあくまでニュートラル。単に私たちがその物にネガティブな思いを投影してるだけです。
また、「これはすごく邪魔だけど、思い出の品だから絶対捨てられない」と思うとき、自分が感じている「思い出」も、私たちが勝手にそのモノに託しているのです。
「捨てたいけど、捨てられない」と悩んだら、対象からふっと視線をはずすとうまくいきそうですね。
人間関係に悩むときも、文字通りその「関係」に目を向けるべきです。喧嘩両成敗というように、何か問題があったとき、結局双方にその責任があります。
自分と相手がいたからこそ、その「問題」が生じたのです。一歩ひいて状況を見られたらいいですね。
私は思い遠りに行かないことや、嫌なことがあると、よく自分を映画の登場人物として考えます。
今は映画のこのあたりで、波瀾万丈なシナリオだけど、この事件はそのうちおさまっって、最後はハッピーエンドになるんじゃないか、と。
これも「高い位置」から見通す1つのやり方です。
私たちを縛っているのはモノではなく、観念である
「捨てたいのに、捨てられない」とき、一見物に縛られているように思えます。ですが、実は、自分の観念が自分自身を縛っています。
観念と書くと、ちょっと難しい感じがしますが、「考え」のことです。
「親に持たされた嫁入り道具は大切だから捨てられない」
「これはすごく高かったから、捨てられない」
「これは人からもらったプレゼントだから捨てられない」
こんなふうに考えるとき、捨てられない理由は、すべて自分が頭の中で作り出しているのです。
ここでも、対象である「物」にフォーカスしすぎています。
大切だから、高かったから、プレゼントだから、と。
しかし物は物でしかなく、そういう「価値」は自分が作りだしたものです。
そうした「観念」はときに、自分自身の観念でないこともあります。
「親が大切に思っているから」「世間ではこうすべきであるから」「トイレにはトイレブラシがあるべきだから」といった人の考えを、あたかも自分の考えだと思いこんでしまうことも。
「大切なもの」と言いながら、それを押入れに入れたままで、使っていなかったのなら、その実態は「大切なものとして扱ってはいない」わけです。
自分の頭が作り出しているこうした思い込みや、自分とその物との関係について考えてみると、意外とあっさり捨てられます。
特に私は「これはここにあるのが当たり前」「誰でもこれは持っているべき」といった思い込みをはずすことで、どんどん物が捨てられました。
*******
この本には、具体的な断捨離の方法は書いてありません。ですが、物が捨てられなくて、悩んでいるときの視点の外し方のヒントがたくさんあります。
断捨離の目的と手段を間違えないことについてもふれています。
「断捨離したいけど、捨てられないんだよね」とジレンマに陥っている方は、いろいろな気づきを得られるはずです。