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考えていることを紙に書いて、頭の中を整理したいけど、家族に読まれるかも、と思うと怖くて書き出せない、という読者の質問に回答しています。
その1では、他人に見られない方法と、他人が見ても大丈夫な状態にしておく方法をお伝えしました。
今回は、「家族に見られるのが恐ろしい」という恐怖心を手放す、あるいはうまく乗り越える方法を提案します。
ご質問のメールはきのうの記事に掲載しましたので、まだ読んでいない方はごらんください⇒人に見られるかもしれないと思うと怖くて日記が書けない(その1)。
きょうは5つアドバイスします。
1.恐怖心を無理に押さえつけない
怖いと思ったら、「こんなことを怖がる自分はちょっとだめなんじゃないの?」などとは考えず、とりあえず、その恐怖を静かに受け止めてください。
新しいことをするとき、人間は、たいてい恐怖を感じます。
恐怖は自分にいろいろなことを教えてくれたり、よりよい決断をする助けをしてくれたりする、ある意味、ありがたいものです。
恐怖心があるから、自分の身を護ることができます。怖いと思うから、人間は、いろいろなものを生み出してきました。
恐怖は便利なツールなのです。
湧き上がってくる感情は道標である、と心理学者も言っています⇒自分の気持ちをそのまま受け入れる勇気のパワーとその素晴らしさ(TED)
ただ、恐怖は、本能的な部分(動物的な脳の部分)で感じるものなので、恐怖の命じるままに行動してしまうと、自分のためにならないことがしばしば起きます。
恐怖の中にどっぷりつからず、少し離れてその恐怖を見ることをおすすめします。
2.1つひとつの恐怖の妥当性をチェックする
いま、自分が感じている恐怖を明らかにして、怖がるべきことかどうか調べていきます。
メールをくださったきなこさんの場合、その書き出しができないわけですが、その1でお伝えしたように、書いて内容を検討したら、その紙をすぐにシュレッダーにかけるか、燃やせば大丈夫なので、ちょっとがんばって書いてください。
人間は正体のわからないものに、漠然とした不安をいだきます。
怖いけど、自分が何を怖がっているのかは、今ひとつはっきりしないことってよくあります。
そこで、怖いと思っていることを1つずつ具体的に書き出して、「これは恐怖を感じるのに値することか?」と検討します。
きなこさんの場合、その1でも書きましたが、筆子的には、「そんなの、恐れる必要はまったくない」と思うことを恐れているようです。
たとえば、きなこさんはこんなことを恐れています。
(日記を鍵付きの引き出しに入れておいても)不慮の事故で私が急死して、私の荷物から誰かが鍵を見つけ出して、鍵のかかった引き出しを私を知っている誰か(具体的には家族、兄弟ですが)が開けて見る
自分が死んだあと、他人が自分の日記や所持品をどうしようと、自分はもう痛くも痒くもありません。死んだあとのことなんて、どうだっていいと思いませんか?
いま、生きている自分が、そういう恐怖を感じているために、やりたいことがあるのに、始められないことのほうが問題です。
「日記を読んだ家族が傷ついてしまうかもしれない」と心配しているのかもしれませんが、きなこさんは別に他人を傷つけようと思って日記を書くわけではありません。
書いてあることをどう解釈するかは、読み手の問題であり、きなこさんの問題ではないのです(私は死んだ人の日記も読むべきではない、と考えていますが)。
よくブログに書いていますが、人の感じること、考えること、行動することは、自分にはコントロールできません。
無理にコントロールしようとすると、ますますストレスがたまります。
3.とにかく書いてみる(怖いと思うことをやる)
怖いかもしれませんが、とにかく、日記やモーニングページを書いてください。そのうち平気になります。なぜなら書いているうちに「怖さ」に慣れるからです。
人間はどんな物ごとにも飽きます。最初は目新しくてワクワクすることでも、やっているうちに新鮮味が薄れて、退屈になっていきます。
つまり、同じ刺激を何回も受けていると、それに慣れてしまうのです。
これはどんなことにも言えます。
新しい服やガジェットを買ったときでも、なにか悪いことをするときでも、不用品を捨てるときでも。
自分で悪いことだと自覚している行動(人の日記を盗み読みするとか)を初めてするとき、心臓がドキドキし、びくびくして手が震えるかもしれません。
ところが、同じことを何回もしていると、そのうち平気になって、罪の意識が薄れます。人によってはそれがすっかり習慣になり、どんどん行動がエスカレートします。
不用品を捨てるときも同様です。
これまで何も捨てたことがない人は、コンビニでもらったおまけのお箸やアイスクリームの木のスプーンですら、捨てるとき、かなり抵抗を感じるものです。
しかし、1日15分ずつ、がんばって捨てているうちに、わりとさっさといらない物を捨てられるようになります。
「日記を書くと人に見られそうで怖い」と思うときも同じなのです。自分が強く恐れているその行動を、何度も何度もやってください。
必ず、平気になっていきます。
私は歯医者に行くのが嫌いですが、あまりに何度も治療を受けているうちに、だんだん平気になっていきました(しかし、お金を払うときは、今も心が痛みます)。
そもそも、日記やモーニングページを書くことは、ごく個人的で安全な行為です。人に迷惑がかかるわけではないし、命にもかかわりません。
4.自分を出す練習をする
きなこさんは、自分の本音を書いたノートを家族に見られるとひじょうに困る、と思っています。
ということは、ふだんあまり自分の思ったことを相手に伝えていないんじゃないでしょうか?
ふだんから自分の考えや意見をオープンにしておけば、「素の自分を知られるのがいや」という恐怖は薄らぐと思います。
今年の元旦に、ブレネー・ブラウンのTEDトークを紹介しました⇒不安な心(ヴァルネラビリティ)に秘められたパワー:ブレネー・ブラウン(TED)
ブレネーによると、世の中には2種類の人がいます。
1)自分の価値を感じられない人(自分はだめだ、自分は充分ではない、取るに足りない存在だ、と感じてしまう人)
2)自分の価値を感じられる人(自分を好きだと思っている人、自分を大事にできる人)
この2種類です。
2)の人のほうが幸福度が高いのですが、こういう人たちの共通点の1つに、わりといつも素の自分を出している、というのがあります。
自分ではない誰かのふりはせず、本物の自分でいる時間が多いのです。
本物の自分でいようとすると、「あ、断っちゃうと嫌われるかもしれない」とか「こんなことすると、変な人に思われるかもしれない」と、それこそおびえたり、不安を感じる場面が多いです。
そこをあえて、不安を感じながらも自分を出していくことで、より周囲の人と深くつながることができる、とブレネーは言います。
もしきなこさんが、ふだん他人のふりをしている時間が長いのなら、自分自身を見せていく機会を増やしていくと、自分の気持ちも、ほかの人の反応も変わっていくと思います。
5.先に「読むな」と言っておく
きなこさんは、ご主人やご兄弟に日記を読まれたらいやだ、と思っていますから、書き始める前に、その人たちに「読まないでほしい」と言っておくのはどうでしょうか?
「ちょっと、私、きょうから日記書くことにしたから、見つけても読まないでよ。読んだら絶交だからね。私が死んだあとも読まないで、そのまま捨ててね」とか。
すると、「は? 日記? そんなもん読むわけないだろ」という反応が返ってくると思います。
その1でも書きましたが、他の人は自分のことで忙しいので、他人の日記なんて読んでるひまはありません。親が子供の行動を監視する目的で、読んだりすることはあるかもしれませんが。
人の日記を勝手に読むべきでない、と知っている人が大半だと思いますが、中には全くべつの価値観を持っている人もいますから、最初から、「読まないでね」と言っておくと安心です。
恐怖に関する過去記事もどうぞ
心配性は自分で克服できる。恐怖と向き合うことを学ぶ(TED)
いろいろ考えすぎて不安がいっぱいの人へ。心配性を治す7つの習慣。
100日間、怖いと思うことにチャレンジしてわかったこと(TED)
「恐怖」が教えてくれること:カレン・トンプソン・ウォーカー(TED)
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2回に渡って、「日記を読まれるかもしれない」と恐れている人が、日記を書き始められる方法を書きました。
たまたま、今回は、紙に書き出せない人からの相談でしたが、恐怖があるから、やりたいと思っていることをやれないということ、よくあります。
私も怖がりなのでよくわかります。
ただ、やってみるとわりと大丈夫だったりするので、それが本当に自分のやりたいことなら、無理のない範囲で、小さいことから始めるといいと思います。