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先週、春のおしゃれを楽しむために、新しい服を買うのではなく、不用な服を捨てることをおすすめする記事を書きました。
今回は自分らしいスタイルを見つけるために、服を断捨離するとき、使ってみるとよさそうな4つの判断基準を提案します。
特に「おしゃれな人」になりたい方にオススメの捨て基準です。
1.この服を来ているとき、元カレや元夫に偶然出会ったとしたら、自分はどう感じるか?
実際に、元カレや元夫と街で会う可能性があるかどうかは別にして、その服を着ているのをそういう人に見られたら、どう思うか考えてみてください。
私は離婚したことがないのでよくわかりませんが、たとえ円満に別れたとしても、離婚した夫婦はなんとなくライバル関係にあるのではないでしょうか?
お互いの幸せを願っている人もいるでしょうが、自分は元夫より幸せになってやる、みたいな。
ないですかね?
元夫と会ったとき、前よりきれいで、より幸せそうな姿を見せたい意地や見栄のような物があると思うのですが。
昔、ユーミンの歌に「DESTINY」というのがありました。別れた相手がほこりだらけの車に乗っているのに出会って、ほこりの上に指で、英語の落書きしたとかいう歌です。
この女性は彼のことを本当に好きだったようですが、ふられたのか、別れてしまい、そのあといつも着飾っていました。
しかし、たまたまあったその日は
どうしてなの 今日にかぎって
安いサンダルをはいてた
と悔やむのです。
あまりに見栄をはるのも考えものですが、おしゃれになるためには自分なりの美学が必要です。
この判断基準は、もうとっくの昔に寿命が尽きた着古した服や、自分には全く似合わないのに、なぜかいつまでも持っている服を捨てるのに役立ちます。
2.これはベストなバージョンか?
気づくといつも同じような服ばかり買ってしまうことってありますよね?
私もつい5年ほど前は、黒いタートルネックのトップスを何着か持っていました。そうですね。5着ぐらいでしょうか。
みんな似たようなデザインですが、素材やシルエットがちょっとずつ違っていました。
そういう似たような服を順番に着ていたわけではなく、いつも袖を通す服は決まっていました。
しかも、それは1番いいトップスではありませんでした。
昔、りぼんの付録がもったいなくて使えなかったように、黒いトップスもいいバージョンはもったいなくて着ることができなかったです。
「いつか何かのために」という、捨てられない人の典型的な妄想、あるいは言い訳のもとに、クローゼットに入れておりました。
着ない服を持っていてもしかたがないのに。
あるとき、ようやく目が覚めた私は、1番いいのを残してほかを断捨離しました。
自分らしいスタイルを追求したいときは、持っている服の中でベストのバージョンを残すべきです。
どれも今ひとつだったら、すべて断捨離してから新たに買うというのもありでしょうね。捨てたあとですよ、買うのは。
一般的な服の捨て基準はこちら⇒捨てる服を選ぶ方法。2段階ルールでミニマリストのワードローブも夢じゃない
3.もう1度この服を着るか?着るとしたらどんなシチュエーションで?
いつもは、その服を過去1年間に着たか、着なかったかという判断基準をおすすめしていますが、ここでは視点を未来に向けてみてください。
これからあなたはいらない服を捨てて、自分スタイルを作って、もっとおしゃれで素敵な人になります。
未来のあなたは、またこの服を着ることがあるのでしょうか?着るとしたら、どこに着ていきますか?
なりたい自分になるために、その服は、本当に、必要なのでしょうか?
私も昔、「ちょっとあらたまった時のために」自分らしくないワンピースや長いスカートを持っていたことがあります。
冠婚葬祭用です。
しかし、全然着なかったのですよ。やはり、自分の好きなスタイルの服じゃないと着ないのです。
世間並みにそれらしい服を持っていたほうがよかろうと判断し、買ったのですが、心の奥底では、別にワンピースやスカートなんて着用したいなんて思っていなかったのですね。
この先着るかどうかを考えるとき、「またいつか着るかも」とぼんやり考えるのは禁物。「絶対着る!」と積極的に思うことのできる服だけ残してください。
現状のワードローブでは、「いつも着る服がない」と思っているのです。
現状を変えるのに最も有効なのは、今あるパターンをこわすこと。未来の自分が着ない服を手放すのもその1つです。
この春は服を捨てておしゃれになろう⇒この春買うべき服?いえ、買わずに捨てることが素敵な人になる方法です
4.この服は心地よいか?
ファッションやスタイリッシュであることが、とても大事な人もたくさんいると思います。だから、流行を追うのでしょうね。
しかし、私は服にとって1番大切な要素は、「心地よさ」だと思います。服は単に着ることができればいいと言うものではありません。
それを着て自分がいい気分でいられるかどうか、というのが捨てる服を選ぶ、1つの判断基準になります。
お気に入りの服を着るだけで、幸せ度が3割ぐらいあがりますから。
これはこんまり先生言うところの「ときめき」です。しかし、服の場合、見たり、さわったりして「ときめき度」を決めるべきではありません。
実際にその服を着てみないと、うれしい気持ちになれるかどうかわからないので。
見た目が素敵でも、着にくい服ってありますよね?やたらボタンがいっぱいついていたり、腰の手の届きにくい位置にジッパーがあったり。
着てるときに静電気がバチバチ起きて、髪が空中に持ち上がるような服も、着やすいとは言えません。
サイズが小さすぎて、着ているときに汗がふき出す服もNGです。
昔、とてもおしゃれな黒いジャケットを持っていたことがありました。ショートジャケットで、後ろは燕尾みたいになっていて結ぶことができました。裏地にはポップな動物の絵がいっぱい描いてありました。
かわいくて楽しい服で気に入っていましたが、ボタンをはめるのが一苦労でした。なぜなら、ボタンも凝っていて、銀色のブタの顔や、馬の顔の形になっており、ボタンホールに通すのが難しかったからです
ズボラな私は、ボタンをはめるのが、あまりにめんどくさくて、めったにこの服を着ませんでした。
残念ながら、この服は私にとって心地いい服とはならず、長らくタンスの肥やしになっていました。
このように、心地よい服であるためには、着やすさも考慮に入れるべきです。
もちろんサイズアウトしている服は真っ先に断捨離ですね。身体に入らないのですから。
私の服は皆イージーケアのカジュアルなものばかりですが、着心地を優先したらこうなりました。天然繊維を選んでいるのも着心地がいいからです。
ただ、これは私の感じる心地よさにすぎません。
自分が感じる心地よさを追求することが自分スタイルを作るのに大いに役立つと思います。誰かが言っている心地よさではなく、自分にとっての心地よさです。
* * * *
私はわりとリアリストで、何でも実用性を重んじる面がありますが、ファッションには夢や遊びの部分があってしかるべきだと思っています。
自分の服はあまり夢がありませんが。
中学、高校とすごく制服の着用の仕方にうるさい学校に通っていました。特に高校はひどくて、女子は体育館にひざまずいて、スカートの長さをチェックされました。
私は特におしゃれでもなかったので、校則で定められる範囲のスカート丈で対応していました。ですが、おしゃれ心のある(?)友達は、腰のところでスカートをたくし込んだりなんだりして苦労していました。
今思うと、あんなに厳しく校則を適用することにいったい何の意味があったのだろう、と思います。
生徒の創造性を押し殺しただけではなかったのか、と。
大人になってまで、あのように外側の基準に自分を合わせる必要はないですね。