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大量の洋服を前に、「捨てるのはもったいない」と処分の手が止まってしまったとき、うまく捨てられる考え方を紹介します。
着ない服にいつまでも執着しているほうがもったいない
いま、洋服の値段が安いですし、世の中は、「シーズンごとに新しい服を買いなさい」というメッセージで、満ちあふれています。
ついつい、服をたくさん買いすぎて、たんすの肥やしにしてしまうことは、女性なら誰しもあるでしょう。
断捨離を思い立つものの、「もったいなくて捨てられない」とジレンマを感じる人も多いと思います。
以前の私もそういうことがありました。
持っていれば、そのうち着るときが来るんじゃないか、お金を出して買い、わざわざ母にカナダに送ってもらったのに(恥ずかしながら、そういう服があったのです)、捨てるのは忍びない。
こんなふうに考えていました。
しかし、実際は、着ない服をいつまでも持っているほうがもったいない、ということは、過去記事に何度も書いているとおりです。
服は飾り物ではありません。着てなんぼです。
実際に着用してはじめて服の価値が生まれます。
こういうこと、頭ではわかっている、だけどやっぱり捨てられない、ためらってしまう。
そんなときは、自分がどの程度、もったいないことをしているのか、実際に数値に出して、その現実に向き合うといいですよ。
手持ちの服の何%を着ているか調べる
自分の服の数を数えて、さらにそのうちちゃんと着ている服の数を出し、全体の何%着用しているか調べます。
過去1年に1度でも袖を通したのなら、「着た服」に入れればいいでしょう。
私が実際にやってみたところ、92%の服を着用していました。
そうです。
14着しか持っていないのに、1着、着ていない服があったのです。
昔、通勤用に買った黒いパンツです。こちらに画像あり⇒ミニマリストの服全14着公開~非おしゃれ系50代主婦の場合(写真あり)
たまたま過去1年、あらたまった服を着ていく機会がなかったから、こういう結果になりました。
だからといって、すぐにこのパンツを捨てようとは思いません。
あらたまった服はこれ1着しかないので、取っておいたほうがいいと思うからです。
何%ぐらい着たいのか考える
すべての服をちゃんと着ていたら100%になります。理想は100%でしょう。
しかし、なかなかそうはいきません。
冠婚葬祭用の服を用意している人もたくさんいます、そもそも感情をもつ人間は、ロボットのようにつねに合理的な決断をすることはできません。
80%でも30%でも、このさい数字はあまり問題ではありません。
その数字に自分が納得できるかどうかが問題です。
仮に、30%しか着ていないとしたら、過去数年間、洋服を買うのに費やしたお金の30%分しか使っていないことになります。
これって、もったいないと思いませんか?
1年間、洋服を買うのに10万円使っていたとしたら、そのうち7万円を捨てているようなものです。
毎年の洋服代を記録しているなら、実際にどのぐらいのお金をドブに捨てつつあるのか金額を出してください。
そのお金、ほかのことに使うことができたはずです。
たんすの肥やしになる洋服を買うかわりに
◯貯金
◯交際費
◯旅行費用
◯教育費
◯住居費
◯食費
いろいろな使いみちがありました。
それなのに、あえて、自分は服を買い、その服を眠らせたままにしている。
それは、自分が本当にしたいことでしょうか?
仮にこれが服ではなく食べ物だったら、と考えると、もったいなさ加減がよくわかります。
食べ物は腐るから、食べずにおくと捨てるしかなくなりますが、洋服は腐りません(劣化はしますが)。
腐らないから、いまここで、何らかの決断をしないと、これからもずっと、もったいないままの生活を続けることになります。
繰り返しますが、それは本当に自分のしたいことでしょうか?
手持ちの服をもっと着るには?
着用している服の割合を調べると、たいていの人が、「もっと手持ちの服をちゃんと着たい」と思います。
では、どうしたらちゃんと着ることができるでしょうか?
一番いいのは、手持ちの服の数を減らすことです。
たくさんありすぎるから、着ない服が出てしまうのです。
考えてみたら身体は1つなので、仕事で、毎回違う服を着る必要がある、という事情でもない限り、そんなに服はいりません。
「これまでちゃんと着てこなかった。もったいないから、今後は、毎日違う服を着よう」と思うと、考えることや、やることが増えます。それはそれで問題です。
人生には服を着たり脱いだりすること以外にもやるべきことがたくさんあると思うから。
洋服について考えることが大好きで、寝ても覚めてもファッションのことだけを考えていて、それで日々がちゃんと回っていく、そのまま一生が終わっても、何ら悔いはない。
そんな人なら、たくさんの服をとっかえひっかえ着る生活を試みてもいいと思います。
ですが、大半の人は、ほかにもやるべきことや、やりたいことがあるでしょう。
「あればいつか着るかもしれない」と思う程度では、着るときなんて来ません。
「どうしても、着るわよ!」という強い熱意とそうする実行力がない限り、来年も再来年もその服はたんすの肥やしのままです。
無視できない、心が重くなる問題
買ったのに、使っていない、ちゃんと活用していない。そんな服をたくさんためこんでいると、重たい気分のまま過ごす時間が増えます。
実は、お金より、こうした重い気分で毎日を過ごすほうが、もっともったいないのです。
人生は有限ですから。
金は天下の回りものなので、使ってしまっても、また回ってくる可能性は大いにあります。
着ない服に費やしたお金は、学びを得るための授業料だった、と解釈することもできます(たんすの肥やしの大量生産をしたという現実に向き合って、その後の行動を変えることができたなら、の話です)。
服がだぶついていると以下のことが起きます。
◯買ったのに着ていない服がある、と罪悪感を感じる
◯着ない服のせいで、着たい服にさっとアクセスできない(服はたくさんあるのに、毎朝着るものに迷う)
◯着ない服の整理整頓、クリーニング、その他の管理に時間を取られ、さらに神経を使う
◯捨てたい、でも捨てられない、といつまでもぐずぐず迷う
1つひとつのことは、ささいなストレスかもしれません。
ですが、毎日、毎日、こういうストレスを感じて暮らすのは、想像以上に、心が重くなります。
物を減らして、ちゃんと使うようにすると、たいてい気分が軽くなります。これまで、毎日感じていた「重たい気持ち」が取り除かれるからです。
いらない服をたくさん持っているから、気分が重くなるのです。
いらない物にわざわざ貴重なスペースを提供し、おまけにどんよりとした気分になっている。
どうしてそんなことをしなければならないのでしょう?
それでなくても、ストレスの元はたくさんあるのに。
服は誰かが着て生きるもの
服は誰かが着用するものとして開発、製造されます。
ファストファッションを作っている人の中には、人に着てもらうことより、利潤をあげるほうを優先している人もいるかもしれませんが。
ファストファッションの問題点⇒ファストファッションとは? その仕組みと問題点を2分で学ぶ
着るために開発された物は、やはり、着るものとして使ったほうが、自然だし無理がありません。
着るための物を、誰も着ないで、家の中に何年も収納しておくのは不自然だから、先に書いたような問題が生じているのではないでしょうか?
本来の用途をねじ曲げるようなことをするから、お金が無駄になり、ストレスが生じるのだ、と私は考えています。
自分で着ることができないなら、誰かほかの人に着てもらったほうが、その服が生きます。
そのためには、自分の部屋や家から出すしかありません。
「だって、ほとんど着てなくて新品なんだもん」「高いお金を出して買ったからもったいない」「いつか着るかもしれないし」
そんなふうに考えながら、着もしない服にいつまでも執着して離さない、その手を少しゆるめてはどうでしょうか?
そうすれば、自分も楽になるし、服を活かすこともできます。
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死ぬほど素敵なファッション(TED)おしゃれで安い服の大きな代償。
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たくさん服があるのに、「もったいなくて捨てられない」と思うときの考え方を紹介しました。
持っている物はできるだけ使うようにしたいですね。