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いまはミニマリストな私が、若いころ、無駄に集めていた物を振り返っています。
そんなことを振り返っても、誰のためにもならないような気がしますが、たくさん集めても、その時、使わないなら、いつかは必ずゴミになるということは、わかっていただけるでしょう。
きょうは、リボンの巻です。
突然のリボンブーム
私が20代のとき、すごくリボンが流行った年がありました。
髪などをしばるリボンです。
コットン、薄手のウールみたいな素材、化繊など素材はさまざまで、色もいろいろ、柄もいろいろ、リボンの幅もいろいろ。
とにかく、ありとあらゆるリボンが売られていました。
ネットで調べてみたら、1986年(昭和61年)に「リボンブーム」があったとあるので、たぶんその時だと思います。
私は27歳で、新卒で入った会社をやめた年です。
なぜか、突然、リボンが大流行し、ファッションビルに、リボン専用の売り場がどんどんできました。
近鉄ビルだったと思うのですが、そこにリボン売り場があり、ほかのOLや女子学生にまざって、1つひとつのリボンをじっくり吟味していた自分の姿が目に浮かびます。
大量にリボンを買ってしまう
当時の私は、雑誌「オリーブ」を愛読しており、その雑誌に出てくるモデルが頭、髪、首、手首に巻いているようなリボンを、1つ、また1つと買っていました。
オリーブの話はこちらの記事に詳しく書いています⇒2015年、断捨離してよかったもの(古いもの編)~捨てるからこそよみがえる思い出
ただ、私はオリーブを愛読してはいましたが、オリーブ少女みたいな格好をしていたわけではありません。
そもそも、オリーブは中高生向けの雑誌です。
とてもじゃありませんが、自分の髪や首にリボンを巻く気にはなれませんでした。
せいぜい、ポニーテールに地味~なリボンを巻くぐらい。それでも、相当気恥ずかしかったので、たくさん集めたリボンは、例によって、使われないまま箱にしまわれることになりました。
リボンは、紅茶が入っていた紙製の黄色い箱にがさっと入れていました。
これは、わりと最後まで残っていたリボンの写真です。
使わないのに捨てない人
リボンを紅茶の箱に入れたまま、時はすぎていきました。
そんなにかさばるものではないので、使わないままずっと持っていたのです。
最初の数年は、ただ放置していました。
その後、シンプルライフをめざして、物を捨て始め、時々、リボンのことを思い出しました。箱のフタを開け、いくつかのリボンを取り出し、じっと眺め、何かに使ったほうがいいかもしれないね、とひとりごちたりしました。
それでも、捨てようという気にはなりませんでした。
リボンを買い集めてから、10年ほどたった1996年の春、カナダに来ました。リボンはそのまま実家に置いてきました。
今の私だったら、「10年も使ってなかったら、そんなもん、いらないに決まってる、捨て、捨て、捨て」と思うのですが、当時はまだ、物との向き合い方が甘かったので、そのまま置いてきたのです。
しかも、数年後、里帰りしたとき、「このリボン、もしかして子供の何かに使えるかも」と思って、こちらに持ってきてしまいました。
「子供の何か」っていったい、何なの? 具体的に説明しろ、と今なら自分に突っ込むところです。
しかし、そのときも、やはりまだ、自分の物に関する責任を引き受ける態度ではなかったらしく、「いつか、何かに使えるかも」と思ったのです。
子供の工作や、お人形遊びに使うかもしれない。子供自身が髪に巻きつけるかもしれない、なんて漠然と考えていたのでしょう。
やはり誰も使わなかった
買って15年ぐらいしてから、海を渡ったリボンたち。
置き場所は変わったものの、誰も使わないのは変わりませんでした。
私が手芸や洋裁をするタイプなら、子供の服や小物を作って、リボンを縫い付けたりしたかもしれません。
しかし、あいにく私は、こうした手仕事はまったくやりません。
子供自身も、女の子ではありますが、フェミニンなひらひらが嫌いなタイプでした。
いつも、綿のトップスにジーンズをはいて、モンキーバー(うんてい)を、それこそ猿のようにのしのし渡るのが大好きだった娘は、私のリボンにろくに興味を示しませんでした。
もちろん、私だってやっぱり使いません。
購入後20年たっても、25年たっても、リボンはそのまま箱に入っていました。
リボンの収納法に苦慮する
リボンが箱の中で、ぐしゃぐしゃにからまって入っているのを見るのはストレスでした。
私は、もっと使いやすいようにリボンを収納することを思い立ちました。
使いやすいようにといっても、誰も使わないのだから、そんなことしてもたいして意味はありません。
しかし、毎回書いているように、私はなんとなく買い物をし、意味なくためこむのが得意だったので、意味のない収納だって平気でやることができたのです。
日本にいた時、雑誌で見た、筒に巻く方法を試したことがあります。
アルミホイルやサランラップの芯にりぼんを巻き付け、テープで止めるのです。こうすると、確かに複数のリボンが一目瞭然です。
私は、たくさんリボンを持っていたため、芯に巻き付ける方式をするなら、複数の芯が必要でした。そこで、まずは、数本、芯をためました。
ラップの芯やトイレットペーパーの芯を使った収納法を試したことがある人ならおわかりでしょうが、こういう芯を再利用しようとすると、いかにも貧乏くさい雰囲気があたりに漂います。
私は不器用なので、きれいに巻きつけようと思っても、なかなかうまくいかず、しっかり巻いたつもりなのに、リボンがずるずる落ちてきました。
ようやく、1本リボンを巻き付けたころには、芯がよれてしまい、美しさのかけらもないものができあがりました。
雑誌の写真のリボンはきれいなのに。
それに、よく考えるとリボンを芯に巻きつけると、その後、「その芯をどこに置いたらいいのか問題」が生じます。小箱の中に入れておけばかさばらないリボンも、筒に巻くと、おおいにかさばってしまうのです。
一人で茶色い筒にリボンを巻いていたら、なんだかむなしくなったので、芯を使う収納法はあきらめました。
結局ジップロックコンテンナに入れた
今度は、筒に巻く見せる収納ではなく、ごくふつうの収納をすることにしました。
1つひとつのリボンをきっちり巻いてマスキングテープで止め、すべてジップロックコンテナに入れたのです。
マスキングテープについて⇒マスキングテープのミニマリスト的活用方法、これ1つあればアレンジは自由自在
汚れているリボンや、もう絶対使わないと確信できたリボンは捨てたので、私のリボンコレクションはすべて、ジップロックコンテナにおさまりました。
透明の箱の中に入れたリボンは、それなりに美しく見えました。
「できた!」
私は満足感にひたりました。
このコンテナは、階下にあった大きな引き出しの奥に入れました。中国語の教材なども入っていた棚の別の引き出しです。
中国語の教材の話⇒中国語の教材と本を断捨離するのに12年かかった私がとうとうたどりついた真実とは?~ミニマリストへの道(18)
しかし、どんなに美しく収納しても、やはり誰もそのリボンは使いませんでした。
ついに断捨離したリボン
こんなふうに、長年使わずに持っていたリボンでしたが、買ってからおよそ30年後にとうとう捨てました。
いつ捨てたか覚えていませんが、いまの家に引っ越しをする前、2014年の春先に大々的な断捨離をしたので、その頃捨てたと思います。
ジップロックに入れたまま、寄付品を入れる箱の中に入れ、ほかの雑貨と一緒に寄付センターに持ち込みました。
あのリボンは私にとってどんな意味があったのか?
きっと、買うときは楽しかったと思うのですが、リボンがだんだん増えていったそのとき、すでに、持て余し気味でした。
使わないリボンを何十年も持っていて収納法に苦慮したあげく、結局は手放したリボンたち。
寄付センターに持ち込んだあと、誰かの役に立つことがあったのでしょうか?
以前記事に書いたように、寄付センターに持っていっても、すべてが店に並ぶわけではありません⇒個人が古着を寄付するのは意味のないことか?
私が寄付品として出したものを、スリフトショップ(寄付品を安く売る店)の店員が、すぐにそばにあるゴミ箱に捨てているのを、以前、夫が目撃したことがあります。
あのリボンもそのまま捨てられてしまったかもしれません。
この続きはこちら⇒体は1つなのにTシャツを集めすぎて収納に悩む人:ミニマリストへの道、番外編9
たくさんリボンを持っていたことは、過去記事にも書いています⇒「いつか使うかも」の「いつか」は来なかった:ミニマリストへの道(66) この記事では、エイボンで買ったリボンの話も書いています。
ミニマリストへの道を最初から読む方はこちらから⇒なぜ私は断捨離をしてミニマリストになったのか?(1)~物がたくさんあっても幸せではなかった
番外編はこちらから⇒ただで物をもらう生活習慣はこうしてできあがった:ミニマリストへの道、番外編1
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1986年は、中森明菜さんがDESIREでレコード大賞をとった年であり、岡田有希子さんが自殺をした年です。
私は、すでにテレビを見なくなっていたので、DESIREという歌を知りませんが、岡田有希子さんの事件は新聞で読みました。
なぜ突然、あんなにリボンがはやったのでしょうか。