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2歳の子供のおもちゃが増えて、片付けができない、という相談のメールをいただきました。今回はこのお便りと回答をシェアします。
ひばりさんからのお便りです。
子供のおもちゃが悩みの種
まだ小さな子供が二人と、片付けられない夫がいるので、なかなか思うようにミニマルな生活はできないのですが、こつこつと断捨離を楽しんでいます。
今の悩みは0歳の子供のベビーベッドが大きすぎて狭い部屋を圧迫していること。ベビーベッドの下は埃もたまるし掃除もしにくい。だけど上の子がいるので赤ちゃんを床に置くわけにもいかず、我慢して使っています。
子供のおもちゃも悩みの種です。減らしては増え、減らしては増えの繰り返し。どこかに買い物に行くと必ず「あれ買って」で拒否できずに買い与えてしまいます。
買い物に一緒に行かないのが一番ですが、まだ保育園に入れておらず、どこへ行くのも子供と一緒です。まだ2歳児なのでおもちゃを大切に使うということも出来ず、安物はすぐにゴミと化す状態。子供は自分で片付けもできないのでひどい散らかりようです。
子供のおもちゃは、求められたら経済的に可能な限り買ってあげるべきか、それともクリスマスや誕生日など特別な時だけ、と決めるべきか、筆子さんはどうお考えですか?よろしければアドバイスをお願いいたします。
ひばりさん、お便りありがとうございます。
小さなお子さまの育児と家事で毎日大変だと思います。そんな中、断捨離を続けていて素晴らしいですね。私の娘が小さいときは、物を増やしてしまっていました。
ひばりさんはミニマリストを目指している、と書かれていますね。ミニマリストは物をちょっと片付けるだけにとどまりません。現在、必要だと思って使っているものに対しても、「これ、本当に必要なのだろうか?」とするどくメスを入れて手放します。
なにせ、最小限主義者ですから。
そこでミニマリストはどんな子育てするか考えてみてください。ミニマリストが子育てするときは、たぶん子供を育てる上で本当に必要なものだけを持つと思います。
それを考えると、
>子供のおもちゃは、求められたら経済的に可能な限り買ってあげるべきか、それともクリスマスや誕生日など特別な時だけ、と決めるべきか
この質問の答えは自明です。少なくとも、求められるまま買うなんてありえません。子供にとって本当に必要なおもちゃだけを買う、これしかないです。
さらに考えを推し進めていくと、はたしておもちゃが必要なのか、という問題にぶちあたります。
ミニマリストは、1番大切なことだけを選び取ります。子供にとって、もっとも必要なものって何でしょう。本当に必要なたった1つの物とは?
それは親の愛情です。
これがないと子供は育ちません。少なくとも、ふつうの人間らしい人間には。愛情さえあれば、おもちゃなど不用とも言えます。
フリードリヒ2世の乳児の実験が教えること
フリードリヒ2世が昔、乳児を使って実験をしたことがありました。彼は、13世紀の神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン朝の皇帝です。
当時としてはとても進歩的な君主でたいへんな知性の持ち主だったようです。
フリードリヒ2世はさまざまな人体実験をしていて、あるとき、「乳児の実験」というのをしました。
彼は、生まれた子供が、人の話す言葉を全く聞かずに育ったら、最初に話すのはいったい何語なんだろう?という疑問を持ちました。
ヘブライ語?ギリシャ語?ラテン語?アラビア語?それとも両親がしゃべっていた言葉?
フリードリヒ2世は、神がアダムとイブに与えた言葉を知りたかったようです。
彼はこの答えを知るために、生まれたばかりの赤ちゃん6人を母親から引き離し、乳母を雇って面倒をみさせました。
フリードリヒ2世は、乳母に、「絶対赤ちゃんに手をふれたり、目を見たり、ほほえみかけたり、言葉をかけてはならぬ。ただ、乳を飲ませて、湯浴みをさせ、下(しも)の世話をしろ」こんなふうに命じました。
つまり、愛情とか哀れみとか優しさとかそういうものは赤ちゃんには与えちゃいかん、と言ったのです。
乳母はフリードリヒ2世の命令を忠実に実行したようです。
はたして、赤ちゃんは何語をしゃべったのでしょうか?それとも、言葉は発しなかったのでしょうか?
フリードリヒ2世は、答えを知ることができませんでした。というのも赤ちゃんはみんな、ほどなく死んでしまったからです。
これはあまりに昔のことです。実験に使った赤ん坊の数に異説もあるし、この記録を書いた人は、フリードリヒ2世を嫌っていたので、現実は違ったかもしれません。
ですが、同様の実験をしている人は歴史上何人かいて似たような実験結果を得ています。
また、幼くして山に捨てられ狼に育てられた人間が、あまり人間らしくないことから、育児には愛情が必要だということがわかります。
人間は人間から生まれただけでは人間にはなれず、愛情や人間的なコミュニケーション、話しかけや、スキンシップがないと、人間以外の別の生物になってしまうのです。
つまり、子育てに必要な唯一の物は愛情なのです。
それは、抱っこして笑いかけたり、手や背中やほっぺたをさすったり、「いい子に育ってね」とか「早く大きくなってね」といった親の願いを子供に話しかけること。
これがないといくら栄養が足りていて、環境が清潔に保たれていても、子供は生きられないのですね。
おもちゃより愛情が大切
子供にたくさんおもちゃをあげることは必ずしも愛情をかけることではありません。
基本的に子供に愛情を持って接していたらおもちゃはそんなにいらないと思います。
泣いていたら、何ごとが起きたのかとそばに行って、様子を見てあげて、子供が言おうとしてることに耳を傾けて、一緒に話しをして、手をつないで散歩に行って、あとは子供が安心して暮らせる場所を整え、食事やお風呂、トイレの世話を愛情をこめてすれば、その子は情緒の安定した人間として育っていくでしょう。
一緒に散歩に行ったとき、落ち葉とか、どんぐりや松ぼっくりを拾えば、それが立派なおもちゃになります。
子供はこういう、親から見たらただのゴミのようなもので、楽しく遊ぶものです。
おもちゃがないのでかえって豊かに暮らせる:ジョンの場合
ここにあるシングルマザーがいます。名前を仮にマリーとします。アメリカのお話なので。マリーは自分の息子(ジョンとします)が生まれてくる前に、市販のおもちゃを与えない決意をしました。
マリーは金持ちの家を掃除して生活費を稼いでいます。そういう家はどれも大きく美しいのですが、物であふれていました。
そこの子供たちは、学校が終わったあと、よくおけいこごとに行ったり、よその家に遊びに行っていました(いわゆるプレイデイト)。家にいるときは、ずっとテレビの大きなモニターを見つめていました。
たくさんのおもちゃはそのへんにころがり、子供たちはそれでどうやって遊ぶのかわかっていないようでした。
こんな光景を見ていたマリーは、子供とおもちゃについて自分なりにリサーチしたり、他の人と相談して、結局、子供にはおもちゃを買わないことにしました。
マリーとジョンはトレーラーパークの小さなモービルホームに住んでいます。モービルホームは工場でほとんど作ってしまう住宅で、それをトレーラーで設置場所に運びます。
不動産ではなく、車として登録するので、固定資産税を払わなくてもいい家です。モービルホームにはピンからきりまであり、リゾート地に設置するゴージャスな家もあれば、低所得者向けのものもあります。
もちろんマリーとジョンが住んでいるのは低所得者向けの小さなモービルホーム。貧乏なので、テレビやパソコンはなし。
マリーはおもちゃを買わず、食べものが入っていた容器を積み木に見立ててジョンに遊ばせました。ガラガラはペットボトルに豆を入れたもの。靴下にドライヤー(乾燥機)から出る綿くずを入れ、端っこをくくったのがぬいぐるみ代わり。
ドライヤーを持ってないとわからないかもしれませんが、服をドライヤーにかけて回すと、綿くずが出るので、これがうまくかかるように、細長い網を入れる場所が乾燥機の手前にあります。ここに集まった糸くずを靴下のぬいぐるみの詰め物にしたのです。
今、ジョンは6歳です。図書館でパソコンをさわり、ベビーシッターの家でテレビを見る機会はありますが、相変わらずおもちゃはなし。
マリーとジョンはコミュニティーの庭を借りて2人で野菜を作っています。食事は一から手作り。
マリーは昼間働いていますが、トレーラーパークのほかのモービルホームに住むシニアがよくジョンの面倒をみてくれます。
ジョンは家庭菜園や料理を手伝うだけでなく、家事をしたり、近所のじいさんばあさんのために、ちょっとした仕事をするのが好きです。なにせ、テレビもおもちゃもないのですから、時間はあります。
おばあさんの荷物を持ってあげたり、おじいさんが鳥の家を作るのを手伝ったり。こういう小さいけれど責任があって、価値のある仕事や、家庭菜園の作業をしながらジョンは日々いろいろなことを学んでいます。
もちろん働いているばかりではなく、遊んでもいます。いろいろな物で。木切れとか、釘を集めて、ちょっとしたものも作れます。釘は新品ではなく、曲がったのをそこらで拾ってきて、金槌でまっすぐにするのです。
そのへんで捨てられた草刈機の小さなタイヤを拾い、あと3つ拾って、ゴーカートを作りたいと思っています。夜は、自分が作りたいゴーカートの絵を描いています。
誕生日やクリスマスには、マリーもジョンにプレゼントをします。けれども、実用的なものだけです。たとえば、クレヨン、洋服、ちょっとした大工道具、コンパス、ハーモニカなど。
マリーはジョンに物ではなく「体験」を与えたいと思っているのです。
おもちゃを与えすぎたり、ストラクチャーが定まっているおけいこごとや遊びを強制しすぎると、子供の創造力を損ねてしまいます。
テレビやゲームのしすぎ、おもちゃの与えすぎは、子供の感覚を充分伸ばすことができません。子どは受け身になり、主体的に物や世界に働きかけることができなくなってしまうのです。
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マリーとジョンの暮しはかなり極端なものでしょう。私自身、娘が小さいときは、家に必要以上におもちゃがあふれていました。
⇒おもちゃが大量に家に入っていたのは、断捨離マインドが定まっていなかったから~ミニマリストへの道(14)
反省を込めて、今思うことは、愛情があれば、おもちゃはそんなに必要ないし、本当に子供のことを思うのならば、むしろおもちゃは与え過ぎないほうがいいということです。
おもちゃを与えるのは親やまわりの人です。最初からおもちゃが少ない家に暮らせば、子供は「そういうものなんだ」と思って育ちます。
もし私が、18年前に戻れたら、できるだけおもちゃを与えない方向で生活すると思います。