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贈り物を捨てることが苦手な人がたくさんいますが、誰かに何かをもらったからといって、一生それを持っていなければならない…なんてことはもちろんありません。
たとえ、それをもらったとき、「わあ、素敵。ありがとうございます。一生、大事にしますね」と相手に言ったとしても。
贈り物の本質について考えてみれば、罪悪感を抱かずに贈り物を手放すことができます。
贈り物で一番大事なことは何か?
思い出の品と一緒で、贈り物で一番大事なのは、その贈り物に込められた相手の気持ちや思いです。
プレゼントはその思いを伝えるために選ばれただけのこと。
だから、ものを捨てても、相手の思いに対する感謝は消えません。
むしろ、気持ちの負担になっているギフト品をいつまでも持っていると、せっかく愛情や好意を伝えるためにその品物をくれた人に対して、「ありがた迷惑なんだけど」といったネガティブな感情を持つことにつながります。
だから、もう使わないな、邪魔だな、私の人生には必要ないな、と思った時点で手放すべきだと私は考えています。
贈り物に込められた思い
一般に贈り物は、以下のような気持ちの表れです。
1)感謝や敬意を示す
以前も書きましたが、友人への誕生日プレゼントは、その友人の存在に感謝するためのものです。
「あなたがいてくれてよかった。元気に年をとってくれてよかった、これからもずっと元気でいてね」、こんな気持ちが込められています。
友人が誕生日を迎えたのは、自分にとってもその友人にとっても、とてもうれしいしありがたいことだから、人は友達に誕生日プレゼントを贈ります。
2)つながりを強化する
ギフトを贈ることによって、自分と相手の絆を維持したい、もっと深くしたい、そんな贈り物もあります。
心がこもった贈り物の背後には、相手に対する理解や思いやりがあるので、2人の関係はより強固になるでしょう。
3)相手の幸せを願う
結婚祝いと快気祝い、就職祝いなどは、相手の幸せや成功を願う気持ちが込められています。
私も、人生で一度だけ、就職祝い(再就職でした)に口紅をもらったことがあります。相手はそこまで親しい人ではなかったので、とても思いがけず、うれしかったことを覚えています。
サプライズがあるプレゼントってうれしいですよね。
ふだんあまり化粧しない私でしたが、この口紅はちゃんと使いました。
このように贈り物には、相手の温かい気持ちが込められているので、だからこそ捨てられないんだと思いますが、受け取って感謝することができたなら、その気持ちにはすでに報いていると思います。
この他に、販促品や、慣習にならって贈られたもの、義理でくれたものなどありますが、そういう品物は別に捨てにくくないですよね?
相手はあなたの幸せを願っている
上に書いたように、贈り物をくれる人は、たいていあなたの幸せを願っています。
相手に幸せになってほしい、ずっと元気でいてほしい、いつも笑顔でいてほしい、いい人生を送ってほしい。
そんな気持ちがあるから、プレゼントをくれるんです。
それならば、相手の気持ちに報いるためにも、気持ちの負担になっているものは、捨てたほうがいいんじゃないでしょうか?
「捨てる」と書いていますが、いきなりゴミ箱に投げ入れよ、とは言っていません。
そうしたほうがいいプレゼントもありますが、私はまだ使えそうなものは、みんな寄付センターに持っていくし、娘はフェイスブックなどで欲しい人に売っています。
そうやって、自分が使わないギフト品を世の中に回転させていくことが、そんなに悪いことなんでしょうか? サステイナブルだと思いますけど。
プレゼントに心はありませんが、もし私がものの立場だったら、ずっと暗い押し入れの中に押し込まれていたり、オープンシェルフの中でほこりだらけになっていたくはありません。
私を見るたびに、持ち主が眉間にしわを寄せ、深い溜め息をつきながら、「ああ、これ、捨てたいけど、それは心が痛むから嫌だし、くれた人にも悪いし、勝手に消えてなくなってくれないかな」なんて言っているのを聞いたら、「私の存在っていったい何??」と悲しい気持ちになるでしょう。
不健全な贈り物もある
多くの場合、贈り物をくれた人は、相手の幸せを願っています。
でも、中には不健全な期待が込められたプレゼントもあります。
「これ、あげるけど、ずっと使ってね。捨てちゃだめだよ。そんなことされると私悲しくなっちゃう」なんて言いながら、何かをくれる人は不健全な贈り物をあなたの手に押し付けようとしています。
こういう贈り物はもはや贈り物ではなく、賄賂(わいろ)と呼んだほうが、その本質を的確に表しているんじゃないでしょうか?
不健全なプレゼントの例
自分がもらったプレゼントが健全なのか不健全なのかわからない人のために、不健全なプレゼントの代表例を3つ紹介します。
1)何らかの見返りを求めるプレゼント
職場で上司が高価なプレゼントを部下に渡して、特定の業務を押し付けるような場合。
プレゼントをあげることによって、特別な待遇を期待したりする場合。
菓子折りの底に札束が入っているような贈り物です。
2)相手をコントロールするためのプレゼント
自分の好意を表すというより、相手をコントロールしたくてプレゼントする場合です。
たとえば、恋人が相手に高価なネックレスや指輪を贈って、身につけるよう強要したり、友人にブランドものの時計を贈って、目に見えるところに飾ってと指示したりする場合。
この種の贈り物をしているとき、本人は別に「私はこの贈り物で相手をコントロールしよう」とは意識していないと思います。
意外と本人は好意で贈っていて、「僕は恋人思いのまめでやさしい理想の恋人」とか、「私は嫁思いの気が利く姑」なんて思っていたりします。
まあ、多少は好意も入っているかもしれませんが、ほとんどは、贈り手の「コントロール欲」によるものではないでしょうか?
3)自分自身を誇示するための贈り物
高価なプレゼントには、「俺様はこんなに高いものを買うことができる金持ちなんだぞ、すごいだろ、すごいと言ってくれ!」という気持ちが込められていることがあります。
ほかにも、「私って気配りできるいい嫁でしょう?」とか、「私って贈りもの上手でしょう?」とか「私ってもの選びのセンスあるでしょう?」と、自分の素晴らしさを見せしめる意図があるプレゼントもあります。
先日、職場で服を押し付けられて困っている読者のお便りを紹介しましたが⇒職場で服を押しつけられ、その服を着ないと怒られます。どうしたらいいですか?
彼女がもらっている、個人の価値観や嗜好(しこう)を無視したプレゼントも、不健全な贈り物です。
贈り手が、相手の信念や生活スタイルをまったく尊重していませんから。
私たちは周囲の人の気持ちを尊重しながら生きているので、相手に「いらない」と言われたら、あげないのが普通です。
すべての贈り物が「愛あるもの」ではない:ガラクタの出どころを見極めよう(その3)
感情を整理すれば捨てることができる
ここまで書いてきたように、贈り物で一番重要なのはものそのものではなく、そこに込められた思いです。
その思いは果たして健全なのか、健全だとしたら、その思いに自分はどう報いたいのか?
この点を考えれば、不用な贈り物を手放すことはそんなに難しくないでしょう。そのとき、重い罪悪感は覚えることはないと思います。
「たまたま、その贈り物は自分の好みではなかったし、ふだん使うことができるものでもなかった。だから、私より活かしてくれそうな人の手に渡そう」。
こう考えればいいのです。
もちろん、わざわざ相手に「先日もらったあれ、捨てました」と伝える必要はありません。健全な贈り物をくれる人は、自分が誰に何を贈ったかなんて、1週間〜1ヶ月後には忘れます。
誰に何をあげたかいちいち記録する人は、別の意図があります。たとえば、
・毎年、誕生日プレゼントをあげているから、同じ物をだぶって贈らないために
・交際費を節約したいから、プレゼントの内容と金額を家計簿に記録している
・後日、恩を売るために(これは不健全な贈り物)
でもこういうことは、くれる人の勝手というかその人の考えることなので、もらった側はそんなことは気にせず、不用なら捨てればいいんです。
プレゼントを捨てるのが苦手な人が読む過去記事
物をもらいすぎて片付かない。この状況から抜け出そう:プレゼントに関する記事のまとめ、その2
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罪悪感にさいなまれずに贈り物を手放す方法をお伝えしました。
日本は根強いギフト文化があるので、大小さまざまなプレゼントや景品をもらう機会があります。
贈り物の本質について考えることは、シンプルライフを送る上でとても大事なことだと思います。