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不用品を捨てやすくしてくれるマインドセット(考え方)を3つ紹介します。
何をするにも、どんな考え方をするかで、行動が変わります。
今、うまく捨てられないとしたら、物を捨てようとしているときに、これまでの考え方や価値観をそのまま使っているからです。
考え方を変えれば、どんなものでも捨てることができます。
いろいろな考え方がありますが、この記事ではもっとも基本になる考え方を3つだけ取り上げますね。
1.今の生活のほうが大事
もう終わった過去のことや、まだ起きていない未来のことよりも、今の生活に目を向けてください。
はたして、今、暮らしやすいのか? 今、私はこれで満足なのか? ハッピーなのか?
汚部屋解消のために、不用品を減らしている人は多いのですが、いざ捨てようとすると、自分で自分を止めることがあります。
たいていは、「捨てるのはもったいない」と思うからです。
「もったいない」という気持ちは、すでに終わった過去のできごとへの思いや、未来の心配からきています。
過去への思い
・これを手に入れるのにすごく苦労した
・これを買うとき、すごくお金を払った
・楽しい旅行の記念に買った
・これは、がんばった私の証(あかし)だ
今、不用になっているそれを捨てると、支払ったお金をどぶに捨てるような気がするとか、がんばって作った作品を捨てると、そこに注ぎ込んだ思いやエネルギーが無駄になるとか、みんないろいろ思うわけです。
もし、今の生活をよくすることに目を向ければ、そこに不用品を置いておいても、邪魔になるだけだし、どれだけ時間がたっても、支払ったお金はかえってこないことに気づきます。
高かったから断捨離できない? 埋没費用はどのみち回収できません
作品に注ぎこんだ思いやエネルギーは、体験やスキルとなって、今の自分の中にしっかり残っています。
未来の心配(取り越し苦労)
・これを捨てちゃうとそのうち必要になって、そのとき困るんじゃないか
・限定品だから、捨てるともう2度と手に入らないんじゃないか
・いつか必要になったとき、改めて買うのにお金を出すのがいやだし、そのときお金がないかもしれないよ
こうした心配のために、不用品を捨てないのは、取り越し苦労を優先して、物だらけで暮らしにくい生活をがまんすることです。
今、快適に暮らすことを優先したら、先の心配に振り回されることはありません。
そもそも、こうした心配は、時間とエネルギーを注いで心配する価値がないことばかりじゃないですか?
心配症の人は、これまでした自分の心配が、どの程度、現実に起こったか、考えてみてください。ほとんど起きてないでしょ?
人生は、毎日のように心配していることよりも、全然心配していなかったことが突然起きて、ショックを受けることのほうが多いと思います。
捨てようと思っていたけれど捨てずにいた何かが、あとでたまたま必要になり、「捨てなくてよかった」と思ったことがあったとしても、それは、レアケースです。
自分の心配が当たっていることを自分に証明したいがために、そのできごとに、必要以上にフォーカスしているだけで、大半のものは、今も使わずに、押し入れの中で眠っています。
心配事には、2種類あります。1つは自分ではどうにもできないこと、もう1つは自分でなんとかできそうなこと。
どうにもできないことは、どうしようもないのだから、ほっとくしかないし、なんとかできそうなことなら、なんとかするために、今できることを、少しずつやるだけです。
2.主体性をもつ
「自分の人生だから、自分の責任でなんとかしていこう」と考えて行動すると、もっと、いらない物を減らすことができます。
今、あなたの部屋が物だらけなのは、必ずしもあなただけの責任ではないでしょう。
たまたま、どんな物も捨てない親の元に生まれた、やたらと買い物が便利な国に生まれた、親の遺産を相続してしまった、妻が買い物依存症、子沢山の上、上の子が悪魔のように散らかす、どんなに断っても、義理母が物を送ってくる。
いろんな事情があるから汚部屋になっていると思います。
しかし、「私のせいじゃない。みんな誰かのせい」という被害者マインドに傾いていると、部屋は片付きません。
「自分が物を増やしてしまった部分もあった(実際、そうです)。そういう生活を改めていこう」と考えて、主体的に行動すれば、もっと片付きます。
この週末に、実家に1人で住んでいる方(ご両親はすでに亡くなっている)から、メールをもらいました。いったん実家を片付けたのに、家を出た兄や姉が、物を持ってきては置いていくから、片付かないそうです。
1人で実家を片付けるのは大変だと思うけど、遺品整理に関して、兄や姉にあれこれ言われないから、うらやましいとも。
この方は末っ子なので、兄や姉に何か言っても、怒られるか、言いくるめられるだけ。
確かに、日本には年長者を敬う文化があるから、お兄さんやお姉さんのほうが権力をもっていることはあると思います。
カナダでは(英語圏もフランス語圏も)、自分と親が同じ人間はみな名前で呼ぶし、年齢の上下に対するこだわりは日本ほどありません。
英語の、brother (ブラザー)は、兄も弟も指し示すし、どちらが年上(年下)かは、つっこんで聞かない限り、わからないようになっています。
日本はそうではありません。幼い頃から、ずっと兄や姉のほうがえらいという力関係で生きてきた人も多いでしょう。
そんな状況でも、主体的に生きることを心がければ、もっと対等にふるまえるのではないでしょうか? 「ずっと支配されたままでいいのか」という話です。
もちろん、支配には、保護もついてきていると思うので、バランスを取る必要はありますが。
被害者的発想をやめる7つの方法(前編)、悪いのは私じゃない誰かだと思い込みすぎていませんか?
3.お金より価値を大事にする
「もったいない」と思うとき、たいていの人は、「お金がもったいない」と考えています。
お金より、その品物が自分の人生にもたらす価値を優先して行動すると、もっと不用品を捨てることができます。
程度の差はありますが、私たちは、「いついかなるときも、お金が多いほうがいい、1円でもお金が残る選択をすべきだ」と考えがちです。
だから、「高かったもの(だけどまったく使っていないもの)を捨てるのは、お金を無駄にする行為であり、そうすべきではない」と思ってしまうのです。
たとえ、その高かったものが、今、リビングルームや、押し入れの中ですごく邪魔になっていて(スペースを奪い、暮らしやすさを損なう)、見るたびにストレスを感じ(意識を奪う)、重いのに引っ越しのたびに持ち歩き(体力、時間、お金を使う)、結果的に、今の自分の生活をそこなっていたとしても。
新刊に詳しく書いていますが⇒筆子の新刊『買わない暮らし。』(6月16日発売)著者による内容紹介。現在予約受付中です。
金銭上の得(だと思われること)を優先したばかりに、失うものがたくさんあります。
特に、時間と自分の気持ち。
しかも、その金銭上の得は、絶対的な得ではありません。金銭に関して、得だ、損だ、と思う判断は、いつも相対的なものです。
相対的だから、状況や考え方次第で、得にも損にもなります。
もちろん、お金は大事にすべきだし、生活するお金がなければ、不幸になりますが、「昔買って、全然使ってないもの」を捨てたところで、いきなり生活水準がどーんと落ちるなんて、ありえませんよね?
だって、それ、使ってないんですから。
お金の損得にこだわりすぎていると(過去の私)、ドーナツの景品である弁当箱をもらいたいがために、必要以上にドーナツをたくさん食べて、身体にダメージを与え、貯金すべきお金を使い、使わない弁当箱を家の中にたくさんためこみ、数年後、「もったいなかったなあ。私ってバカ」と痛い気分で断捨離する、
なんてことが起きるわけです。
ドーナツをたくさん食べて使わない弁当箱を集める不思議:ミニマリストへの道、番外編7
お金の損得にフォーカスしすぎるその意識を、別のリソースにも少し使ってみると、いらない物を手放せるようになります。
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フランス語の名言に、「人生は、持っていないものを望み、失ったもの(もう持っていないもの)を後悔しながら過ぎていく(La vie se passe à désirer ce qu’on n’a pas, à regretter ce qu’on n’a plus. Joseph Roux)」というのがあります。
私たちは、今の生活や、今自分が持っているものに、あまり目を向けないのです。
この今の生活を軽んじることが、汚部屋を作ってしまいます。
持っていないものや、失ったものだけでなく、今、持っているものにも目を向けてください。
もっと毎日が明るくなります。