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個人がする寄付は無意味か、セット物をばらして捨てるか、とい2つの質問に回答します。
きのう1つめの質問に回答した、読者Nさんの残り、2つの質問です。
まず、メールをシェアしますね。
不用品を寄付するのは無意味か?
寄附や譲渡には、お金と手間がかかりますよね。(品物の清掃作業や、寄付・譲渡先の選定作業、送料が発生します)
捨てるだけなら手間は簡単。
ただ、「寿命が来てないものをゴミにする」が心理的ハードルが高いため、寄附にまわせるものはできるだけまわしています。
最近では、年式の古い家電など、
「こんなもの寄附しても誰も使わず、結局ゴミになるかも」
「それなら初めからゴミとして捨てた方が環境負荷が低いだろう」
「ゴミになるか、ちゃんと使ってもらえるかを判定するために、先に買取業者に査定してもらおう」
みたいなことを考え、よけい手間取っています。
というのも…
世界のどこかで使ってもらえるかも、と、比較的キレイな古着を寄附にまわすのですが、たとえば大災害が起こった時、ユニクロなど大手アパレル会社さんが、シーズン落ちなどの衣料品をドサッと寄附されることがあります。
個人宅から出る古着と違って、新品だし数もあるしサイズも揃ってるし、たぶん年式も新しいし、そういうのを見ると、個人でよれよれの古着をちまちま寄附するのって、自己満足でしかないよな~とションボリします。
「手放す」手段の一つとしての「寄附」は、物アフレ社会である日本では、実質意味のないことだと思われますか?
Nさん、ご質問ありがとうございます。
Nさんの1つ目の質問は、きのうの記事で紹介しています⇒不用になって捨てるとき苦しむのかと思うと、必要な物も買えない
寄付する意義があるかどうかは立場による
寄付する意味があるか、ないかは、どの立場から見るかによります。
つまり、その寄付にどういう意義を見出したいか、または、何のために寄付をしているか、によります。
Nさんは、自分が古着を寄付しても、ユニクロのきれいな服には負けるから、必要な人には使ってもらえない、だから寄付してもしょうがない、と言っているのですよね?
ですが、寄付というシステムがあるおかげで、不用品を手放すことができている人にとっては、意義があります。不用品を家から出すという目的が果たせるし、罪悪感もそんなに感じずにすみます。
それに、個人が寄付した服も、必要としている人の手に渡る可能性は、ちゃんとあります。
すぐゴミになる可能性は高い
一方、地球規模として、寄付することが環境のためになっているのか、と考えたら、あまり意味がなく、むしろ余計な仕事が発生している、とは言えます。
特に、きれいな服でない場合は。
古着を寄付しても、その大部分はゴミ捨て場に直行する、とはよく言われることです。
服がありあまっていますから。
日本の現状は知りませんが、カナダでは、寄付した古着のうち、Value VillageやGoodwillなどのスリフトショップで売れるのは、25%ぐらいだ、というニュースを見たことがあります。
スリフトショップは、人が寄付した中古のものを安く売っているみせです。そういう店は、たいてい寄付センターもかねています。こちらに画像があります⇒不用品を処分するときはお金にすることを考えないとシンプルにできる
Value Villageに古着を持っていくと、店の人がソート(仕分け)して、きれいな物(売れそうな物)だけ、店に並べます。それが全体の50%。そのうち、売れるのはその半分、つまり25%です。
店に並ばない服と、店頭に出したけど売れ残った服の運命は、大ざっぱに書くと、
1.ゴミになる
2.再加工する工場に行く
3.海外に輸出される
このうちのどれかでしょう。
ゴミになると
・燃やす
・ランドフィル(ゴミ捨て場)に積まれたままになる
このどちらかだと思います。
再加工工場に行くと
・仕分けされ、使えないものはゴミになる
・残りは加工され、産業用のウエスにしたり、何かのインシュレーションに使ったり、カーシートの詰め物になったりするでしょう。
いわゆる資源ごみの行き先です。
海外に輸出されると
・ソートされて、一定量はゴミとして捨てられる
・古着を売る業者の手に渡り、最終的に、現地の人が着る
・再加工されて何かに使われる
・さらに別の国に輸出される
こんな道筋をたどると思います。
こう見ていくと、誰かがその服を着る可能性は、ひじょうに少ないです。
発展途上国の人たちは、先進国のゴミなんていらない、と思っています。
そこそこ着られる服が、大量に届き、それを現地の業者が安く売ると、自国のテキスタイル産業が発展しません。
必ず誰かに着てもらいたいなら
絶対、ゴミにしたくない、誰かにちゃんと着てもらいたい、と思うなら
・知人、家族など知っている人に直接ゆずる
・自分でフリマ、オークションなどで売る
・コンサイメントストアを利用する
・寄付したあとの人が着ると確実にわかっている団体に寄付する(があるかどうかは別にして)
こんな選択肢になるでしょう。
コンサイメントストアは高級古着の委託販売をしている店です。日本にはないかもしれません。
小さな選択が世界を変える
服が余っているので、誰かにゆずってもほどなくゴミになる可能性は充分あります。
けれども、何も考えず、ずっと着ない服をクローゼットに入れておくと、こういうことを考えるきっかけすらありません。
不用品を捨てると決めたからこそ、処分方法について調べたり、考えたりすることができるわけです。
その結果、服の買い方が変わるとすれば、その人にとっては「この服、もう寄付しようかな」と思うことは、充分意義があることではないでしょうか?
その人だけでなく、社会的意義もあります。
1人ひとりの服の買い方が変われば、産業や社会構造に影響を与えますから。時間はかかりますが。
次に3つ目の質問に回答します。
セット物の処分について
全10巻の長編漫画を持っています。
これ、初めの2巻で主人公がひどい虐待を受け続けます。3巻の初めで、主人公が相手を殺して虐待は終わりますが、大きなトラウマが残ります。
周囲の心配にほだされて、主人公は虐待と殺人を告白しますが、なかなか信じてもらえません。すべてが露見するのは5巻目で、ここから、主人公の救済の物語になっていきます。
20年ほど前に買ったマンガですが、5巻以降は繰り返し繰り返し読んでいます。
が、初めの方、特に最初2巻は、虐待がひどすぎて一度も読み返していません。3、4巻も、信じてもらえないもどかしさがつらく、あまり読み返しません。
こういう場合、ミニマリストの人は、読み返さない1~4巻は捨てるのでしょうか?
筆子様が「捨てますよ」とおっしゃっても、私は捨てるつもりはなくて、ただご意見を聞いてみたいだけなんですが。
セット物の一部を「余剰」として手放すか、という問題と似てるかも。
6客揃えのティーセットを、1客だけ残して捨てる/寄附できるもんなんですか?
寄附の場合、「1客欠けたセットもの」という中途半端な形になるのも、ちょっとくやしいような
単体で価値があるから、単体で売られている
はい、捨てます。
5巻~10巻を読むのに、1巻~4巻は必要ないからです。
あたりまえのことを書いてますが、10巻そろってないと、使えないなら(価値がないなら)、最初から、バラバラに販売されません。
1巻~10巻、それぞれに市場価値があるから、1つずつ販売されているわけです。
もちろん、中には、「全巻コンプリートしていないと、所有する価値がない」と考える人はいるでしょう。
「どれか1巻(数巻)だけ持っていても意味がない」と考える人たちが。
ですが、世の中にはいろいろな人がいます。
1巻~3巻は漫画喫茶で読んで、続きを知りたいから、残りは自分で買う、4巻のこのシーンが大好きだから、この巻だけは自分で持っていたいというように。
特定の巻だけを2冊持っている人がいても私は驚きません。
Nさんの漫画についていえば、ほかの巻は持っているから、1巻~4巻のどれかをほしい、と思っている人はいるでしょう。だから、ブックオフの棚に1~4巻があったら、売れると思います。
引き出物のグラスの処分の記事でも書きましたが、自分には価値がないと思っても、他人が全員そうだとは言えません⇒引き出物でもらった名入りのグラス、どうやって捨てますか?
読者のお便りを拝見していると、本当にいろいろな人がいる、とわかります。
セット物は、セットになっていないと価値がない、とは思いません。
使えるなら、単体でOKです。
なお、セット物の食器は買ったことがないので、処分したこともありませんが、セット物を捨てるときは、そのセットをまるごと捨てる(寄付する)と思います。
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2日にわたって読者Nさんの質問に回答しました。
きのうも書きましたが、ミニマリストといってもいろいろな方がいるので、筆子の意見=全ミニマリストの意見、とは考えないでください。