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心が痛むから服を捨てられない人に、どうしたらいいか書いたところ、感想メールをいただきました。
日本文化においては、物に魂が宿ると考えられているから、捨てにくいのだと思う。
そのような人に、「物は物でしかない」と説明しても、納得しない、という内容です。
確かにそうかもしれません。
物を捨てるのに強い抵抗を覚える人は、捨てやすくなる儀式をするといいかもしれません。
いくつか、具体的な儀式を考えてみたので紹介しますね。
最初に、いただいたメールをシェアします。ゆーくさんからいただきました。
日本の文化のせいで捨てられない
件名:捨てにくさの背景にある「文化」
筆子さん、こんにちは。
いつも楽しく拝見しています。
「心が痛むから捨てられない~服を捨てない理由とその対策(その3)」の「痛みを軽減させて捨てる」の項を読んで、少し考えたことがあり、メッセージさせていただきます。
捨てにくさの背景には、モノへの意識・感覚があると思います。
「モノに魂が宿る」と表現されることのあるものです。
(記事を探し切れていませんが、筆子さんもこれまでに言及されてきたことと思います。)
こう考えるのは、日本国内の文化で広くみられる傾向のようです。
宗教として信じている人は少ないかもしれませんが、文化として日常に溶け込んでいるため、多かれ少なかれ影響を受けていると考えられます。
長らく文化として培われてきた感覚となりますと、その文化に属している人々の中では、「物は物に過ぎない」というような説明は、理屈ではわかっても納得感はない、という人もいることが予想されます。
場合によっては、別の宗教の人から改宗を強要されているような感覚さえ、あるかもしれません。
そのため、「痛みを軽減させて捨てる」方法のアプローチとして、「その人の所属する文化にあう方法を行う」ということも、選択肢になるのだろうなと思います。
日本の場合は「供養」という行為が、それに該当すると思います。
モノに宿った魂を取り出すことで、処分してよい「物」に戻す作業のようです。
ただ、現実問題としては、暮らしのすべてのモノを供養してくれる場所はないと思うため、個人の中で「供養に相当する方法」を編み出す必要がありそうです…。
「思い出だけを抽出して、本体を捨てる」と書かれていたのは、個人的供養の1例のような気がしました。
買ったものに困りながらも捨てにくさを感じている人は、もしかしたら、家に入る前のモノはまだ「物質」なので気軽に手に入れてしまい、家の敷居をまたいだとたんに「命を持つもの」になって、その重さに戸惑っているのかもしれません。
本当は、モノに命が宿ると感じる文化の中においては、安易に手に入れないこと、使い捨てを前提にした社会にしないことが、心の安寧のために大事なのではないかと思います。
ちょっとおもしろかった論文をご参考までに。
外部サイトへのリンク⇒現代日本のモノ供養~― 新聞報道による鳥瞰と大学生意識調査から (※筆子注:PDFファイルへのリンクなので、ブラウザによっては開かないかもしれません。)
ゆーくさん、こんにちは。メールありがとうございます。
確かに、日本では、森羅万象、すべてのものに霊が宿っているし、すべてが神様である(八百万の神)、と考えていますね。
アニミズムと呼ばれる現象だと思います。
近藤麻理恵さんに関する記事でアニミズムにふれています。
近藤麻理恵の「人生がときめく片づけの魔法」の英語版の感想~ベストセラーの秘密は東洋の神秘にある?
確かに、物を捨てるとバチが当たるとか、たたりがあると信じている人からメールをもらうことがあります。
最近の例⇒断捨離をすると体調が悪くなる、は思い込みにすぎない。
このように悩んでいる人に、「ははは、そんなの思い込みだよ」と言ったところで、この人自身の問題は解決できない、ということですね。
私自身は、「物は物でしかない」と割り切れるほうです。
家の方角が悪いなどとも全然気にしないし、実家に帰ると、バチ当たりな行動をしていると、よく言われます。
カレン・キングストンの本を読むときも、風水に関する記述は、自分の都合のいいように解釈しています⇒スペース・クリアリングとは何か?そのやり方とは?~カレン・キングストンに学ぶ
私に捨てられない理由があるとしたら、授かり効果だろうと思っています⇒授かり効果のせいで捨てられない物を捨てられるようになる考え方
ですが、人それぞれだし、人が大事にしているものを足げにするつもりはありません。
そこで、今回は、供養にあたる儀式を自分で考えて実践することを提案します。
簡単な供養
そもそも供養って具体的にどうすることなんだろうと思い、お寺のサイトなど、いくつか読んでみましたが、供養のベストの形は、「常に思い出してあげること」だと書いているところが多いので、これを採用してみます。
やり方を3つ紹介しますが、最初の4つは自分1人で簡単にできます。
1.持っているものと向き合う
着ていない服や、使っていない物を、押入れに入れっぱなしにしているのは、物をないがしろにしていることだと思います。
これは、物に魂があると考える人も同意してくれるでしょう。
日常、使わないで、どこか暗いところに放置しておくのは、それについて全く思い出さない行動です。
まずは引っ張り出して、自分がどんな物を持っているか、調べてください。
洋服については、ノートを作ることをおすすめしています⇒服の買い過ぎ防止に効果がある「洋服ノート」の作り方。
別にノートを作らなくても、自分が何をどれだけ持っているのか把握できればいいです。
ついでに、まだ着る服、もう捨てたほうがいい服と、分別するのもいいかもしれません。
2.自分を許す
手持ちの服を出してみると、買っただけで、使っていないもの、ボタンが取れてそのままになっているもの、たんすの肥やし化したものなど、出てくるかもしれません。
買い物に失敗した自分、物を大事にできていない自分、物欲のまま突っ走った自分をとりあえず許すと、次の行動に出ることができます。
人間、誰でも失敗をします。その失敗から学ぶか学ばないかが重要です。
3.思い出を抽出する
写真にとったり、絵に書いたりして、思い出を残します。
これについては、きのうの記事をごらんください⇒心が痛むから捨てられない~服を捨てない理由とその対策(その3)
4.感謝して捨てる
近藤麻理恵さんが書いているように、「ありがとう」と言って捨てたほうが捨てやすい人は、「ありがとう」と言って、資源ごみの袋に入れるといいでしょう。
先祖や、もう亡くなってしまった両親、友達、ペット、自分がさんざん使った思い出の品(人形、万年筆、食器、衣類など)について思い出すのが供養ですが、買っただけで、ろくに着てなかった服をこれからも、思い出し続けることはしないほうがいいと思います。
そのたびに罪悪感にさいなまれそうです。
活かすことができなかった服は、感謝すれば、供養になります。
感謝する理由はいろいろあります。
・いっときの楽しみをありがとう。
・生活を彩ってくれてありがとう。
・大切なことを教えてくれてありがとう。
など。
5.親しい人にあげる
自分で使いきれない物は、それを使ってくれそうな人にゆずります。
もちろん無料でさしあげます。
不用品を処分するとき、お金にしたいと思う人がいますが、供養だと考えたら、お金を取るなんてもってのほかです。
親しい人にあげるのは、故人の物を形見分けする行為に似ているかもしれません。
6.お焚き上げする
ゴミとして捨てることにすごく抵抗がある場合は、お焚き上げをお寺や神社に依頼します。
卒業アルバムの捨て方に、お焚き上げについて書いています⇒個人情報がのっている卒業アルバムの捨て方。
お焚き上げを頼むアイテムは、ある程度決まっていますが、「故人のものだから」と、着物や衣類のお焚き上げを依頼する人もいます。
いまは、物を燃やすと、ダイオキシンなどが出るかもしれないので、昔ほど、ばんばんお焚き上げをしません。
昔の衣類は、天然繊維だったので、燃やしても環境にダメージは少なかったでしょうが、今の服は、化学繊維が多いし、付属品もいっぱいついています。
お焚き上げする前に、お経をあげますが、どんなにお経を唱えたところで、ダイオキシンや有害物質が出るのを止めることはできません。
自治体の、環境に配慮した、高性能ゴミ処理施設で焼いたほうが、環境へのダメージは少ないです。
供養に関連する過去記事もどうぞ
「おうちの子」になっってしまった物の面倒を一生みる覚悟ありますか?
古くなった実家の解体にさいし、仏壇の処理をめぐって母と大げんかに。
継ぐ人がいないので、両親のお墓をどうしようか迷っています(質問の回答)
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自分なりの儀式をして捨てる物を供養する方法を紹介しました。
供養といっても、いろいろあって、自分が供養だと思えば、それが供養です。
もちろん、「物は物でしかない」という考え方でいける人は、供養はしなくてもOKです。
今回の記事は、あくまで、物を捨てるのに強い抵抗を感じる人への1つの提案です。
それと、それが今の自分の文化・宗教だとしても、自分のためになっていないと思うなら、考え方を改める(改宗する)のもありだと思います。
あなたも、感想、質問、近況報告などありましたら、お気軽にメールお寄せください。
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