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日常生活で怒りを感じることは誰にでもあります。でも、その怒りを引きずると、自分のためになりません。
今回は、ラジオのパーソナリティであるBrant Hansen(ブラント・ハンセン)さんが行ったプレゼン Forgiveness in an Age of Anger(怒りの時代に許すこと)を紹介します。
彼は、私たちが抱く「正当な怒り」について再考を促し、代わりに「許し」を選ぶことで、生活がよくなると主張しています。
許すこと:TEDの説明
We think we’re entitled to “righteous anger”, but is it really so righteous? And does anger actually help us fight injustice? In an increasingly angry culture, Brant Hansen encourages us to re-think our assumptions, and embrace a lifestyle of forgiveness.
私たちは、「正当な怒り」を感じる権利があると考えていますが、それは本当に正当なのでしょうか?
怒りが実際に、不正と戦う助けになるでしょうか?
怒りが増えつつある文化の中で、ブラント・ハンセンは私たちが前提としていることを考え直し、許しのライフスタイルを大事にすることを勧めます。
収録は2016年10月、動画の長さは10分37秒。動画のあとに抄訳を書きます。
★TEDの記事の説明はこちら⇒TEDの記事のまとめ(1)ミニマリスト的生き方の参考に
親しみやすく、ユーモアのあるプレゼンです。
怒りを感じるのはあたりまえのことだが
去年(2015年)、Slate.comが、この年を「怒りの1年(A Year of Outrage)」と呼び、任意の日をクリックすると、その日、SNSで皆が何に怒っていたのか見ることができるカレンダーを作りました。
どの日をクリックしても、人は何かに怒っていました。人は怒るものなんです。
このとき、私はクレイジーなアイデアを思いつきました。
怒りは人間の感情の1つです。それは私にもよくわかっています。
怒りが自分を助けることもあります。戦うか逃げるか反応が役立つときもあります。
私は中西部の教会の文化の中で育ちました。
そこで、「良い怒り」もあると言われて育ったんです。「悪い怒りを持ってはいけないが、良い怒りは正当な怒りだよ。そういうときは怒ってもいいし、怒りを持ち続けるんだ」と。
「怒り続けろ」と教えられて、理解するのに苦しみました。もしそうなら、「許し」はいつ登場するんでしょう?
誰かが許されるのに値しないことをしたとき、そのまま流すのはラディカルなアイデアです。もし、私が、その怒りを正当な怒りだと判断すれば。
でも、はたして私が、その状況をジャッジする最良の判事でしょうか?
私のクレイジーなアイデアとは、「私たちは自分の怒りを信用すべきではない。そして、人々を許すべきだ」というものなんです。
馬鹿げたアイデアに聞こえるでしょう。でも、私は、皆さんにこれまでの考えを疑ってみることをおすすめしたいんです。
人の行動にいちいちショックを受けない
最初に疑ってみることは、なぜ人間の行動に絶えずショックを受けながら、残りの人生を過ごしたいのか? ということです。
車を運転中、突然誰かが割り込んできたとき、「割り込むなんて信じられない。こんなことが起きるなんて信じられない。誰かが割り込んだ!!」みたいに。
これまで同じ道を何度走ったというんでしょう?
道路工事をしているなんて信じられない? いや、信じるべきでしょう。
こういうことはいつでも起きます。母親についても同じです。「お母さんがこんなこと言うなんて信じられない、お父さんが、義理母が、お姉さんが…」
これまで、お母さんはそういうことをどれだけ言い続けてきましたか? 47年?
ある時私は気づきました。人の行動にいちいちショックを受けるべきじゃない。人間とはそういうものだから、と。
いちいちショックを受けたくありません。これは、相手の行動がよかったと認めることではありません。
ただ、残された人生の間、ずっと「誰かがこんなことをするなんて信じられない」とショックを受け続けたくないんです。
信じましょう。人々はそういうものです。これまでもそうだったし、これからもそうです。
自分を疑う
次に問いかけてほしいのは、なぜ、自分はすべてのことについてそんなに自信を持っているのか、です。私たちは自分が正しいと思い込んでいます。
The People’s Court(ザ・ピープルズ・コート、法廷ショー)を見ていて、この原則に気づきました。
ある人が画面に登場して、「原告は主張します」と話すことから始まる番組です。
ピザに関する事件を覚えています。原告が、自分と自分の家族7人は、被告のピザ屋で食べたピザのせいで食中毒になったと、1500ドルの訴訟を起こしました。
被告は実は、原告の兄弟で、自分はピザ屋に行ったことがないし、弟は、なんでもかんでも訴えるんだと主張しました。
このショーを見ていて、古いことわざを思い出したんです。「最初に証言する者は、常に正しいように見える。反対尋問を受けるまでは」ということわざです。
私の頭の中で、最初に証言するのは常に私です。
私は、他人の動機など考えないし、そもそもそれを知ることもできません。自分の動機だってよくわかっていません。
私たちは、どんな争いについても、「自分は被害者だ」と考えています。
ほかの人の立場はわかっておらず、いつも「私が被害者だ」と思うのです。
でも、なぜ、私は自分の考えにそんなに自信があるのでしょう? いつも、自分が正しいという考えに。
怒りが不正と戦うのを助けるか?
疑問を持つべき3つ目のポイントは、怒りが、本当に不正と戦うことを助けるかどうかという点です。
多くの人々が、「怒りが必要だ。それが不正と戦う助けになる」と言います。
でも、違います。確かに、怒りが何かをするきっかけになるかもしれません。戦うか逃げるか反応を起こしますから。
でも、長期的な判断には役立ちません。怒りがあるからといって、よりよい決断はできません。
不正と戦うためには、冷静で、一貫して、容赦なく、狡猾で、思いやりがあるほうがいいんです。
こうした要素は怒りではありません。不正と戦う警察や判事には怒っていてほしくありません。冷静に対処してもらいたいです。
実は、怒りは行動を止めてしまいます。
「不正と戦うな」と言っているのではありません。怒ることと、実際に何かをすることを混同するべきではないと言っているのです。
そして、人々はよく混同します。
最近、ブリティッシュコロンビア大学で、ソーシャルメディアでの活動について調査が行われました。
この調査から、何かの運動や行動、理由をクリックしたり、怒ったり、何かについて投稿したりする人たちは、実際に行動する可能性が低いとわかりました。
その理由は、クリックや投稿をしたことにより、「私は立ち上がった、私は怒った」と感じるからです。
しかし、実際は何もしていません。
「私はツイートした」と言うでしょうが、それは何か犠牲を払ったわけではなく、単に自分の気分を良くしただけです。あなたは、「私は何かをした」と感じただけ。
怒りは、自分が行動を起こしたと思い込ませるだけです。不正と戦うために必要なのは行動そのもので、怒りではありません。
怒りの身体的影響
永遠に怒りを抱き続けると、怒りがあなたを害します。体によくないんです。
スタンフォード大学の神経内分泌学者のロバート・サポルスキーが、この問題について論じています。
「人間を含む動物は、戦うか逃げるか反応をしますが、動物にとっては30秒で終わります」。
シマウマがライオンから逃げるときのようにすぐに終わるんです。
人間だけが、その反応を半永久的に続けることができますが、ずっとこんな反応をしているべきではありません。
幼いころのことを考えてみると、聖書を学んだ賢い人達は、聖書の中に、「正当な怒り」を見つけることができませんでした。
聖書では、神の怒りだけが正しいものとされているからです。
でも、彼らは、聖書の中にある「怒りがあるとき罪を犯してはいけない」という一節を引いて、「ほら、怒りは罪ではない。だから、いいことなんだ」と言います。
でも、このあとに続く言葉をいつも都合よく忘れています。
実はこう続きます。「そして、日没までに怒りを忘れなさい」と。
怒りを持ち続けてはいけません。それはあなたを害します。人間関係を毒し、人生を悪化させます。
許しと共に生きよう
私たちはミッドタウンに住んでいて、みな、いつもおかしなことをしています。気づかないうちにお互いの気分を害しているでしょう。
私たちはそれぞれ、人生の見方が違います。怒りを手放したほうが人生が心地よいものになるのに、永遠に続く親族の争いにしようとする人がいます。
神経解剖学者のジル・ボルテ・テイラーは、37歳のときだったと思いますが、脳卒中を起こし、脳全体がリセットされたようになりました。
テイラーの脳は、再び動き始めましたが、彼女は、脳卒中のあとのほうがずっと幸せだったと言いました。
なぜなら、「自分が誰に対して怒るべきなのか覚えられなかったから」です。
テイラーにそんな生き方ができるなら、私たちにもできます。
皆さんも選択できます。私は、人々を許そうと思っています。彼らがよくないことをしなかったからではありません。彼らは悪いことをしました。
だから、許すことは難しいのですが、許したほうが人生がよくなるし、心地よくなるし、より自由になれます。
近所も街もよくなるし、私たち全員がよくなります。
///抄訳ここまで////
補足
・fight-or-flight reflex 戦うか逃げるか反応。
身体が危険やストレスに直面したときに自動的に発動する生理的な反応。
心拍数や血圧が上がり、筋肉への血流が増加して、身体が「戦う」ために必要なエネルギーを供給するか、「逃げる」ために迅速に行動できるように準備します。
この反応は、危険な状況に迅速に対応し生き延びるためのメカニズムとして発達したもので、動物や人間に共通する自然な生存戦略です。
実際に危険な状況にあったとき、役立つ反応ですが、ずっとこの態勢でいると、交感神経が優位になり、ストレスホルモンが分泌し続けるので、体によくありません。
・ブラント・ハンセンさんの著書です。
怒りや感情に関するほかのプレゼン
怒るのは悪いことではない。怒りを生産的なことに向けよう(TED)
いやな気分こそ大事にして、自分の感情とうまくつきあう(TED)
心の中のガラクタは捨てたほうがいい
SNSが身近なものになってから、前より怒る人が増えたと思います。
SNSには情報があふれているので、怒る理由(自分とは違う考えなど)が簡単に見つかります。しかも、瞬時に反応する場なので、よく考えることなく、怒りの感情が連鎖しやすいですね。
他の人が怒っている姿を見て、「自分も怒らなければいけない」というプレッシャーも感じることもあるかもしれません。
だから、現代を『怒りの時代』と呼ぶのは実状に合っています。
そんな社会で、ハンセンさんは、あえて許すことをすすめていますが、私も、怒りの感情はさっさと手放したほうが、シンプルに暮らせると感じています。
聖書にあるように、日没、つまり寝る前には手放すといいでしょう。
シンプルライフを追求するとき、物理的な物の片付けが重要視されますが、心の中に蓄積した「怒り」「憤り」「不満」も大きな負担となっています。
この負担を軽減すると、真にシンプルで穏やかな生活になります。
何かに怒っているとき、ハンセンさんの言うように、「他の人が悪い」「私が被害者だ」と感じやすいのですが、そう反応したとしても、その後一呼吸置いて、「本当にそうかな?」とか、「相手にも事情があったのではないか?」と自問すると、自分のためにならない怒りを引きずりません。
怒りがおさまらない時は、「相手を許すのではなく、自分の心を開放するために許すんだ」と考えてみてはどうでしょうか?