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シンプルライフを目指しているとき、「一度手放したら二度と買い直さない」「減らし続けることが正解」だと思いこんでいませんか?
実際の暮らしはもっと柔軟であるべきです。
シンプルライフの目的はものを減らすことではなく、自分にとって心地いい暮らしを構築することです。
手放したものを買い直すことや、やめた習慣を再開することも、決して間違いではありません。
今回は、読者の方からいただいた手放したものを買い直した話と、いったんやめたけれど再開したことに関するお便りをご紹介します。
どちらも、シンプルライフを実践しながらも、そのときの自分にとって最適な選択をするという視点が感じられる内容でした。
シンプルライフは、ルールにしばられてするものではなく、自分自身の変化に合わせて形を変えていくものです。
そうした柔軟な考え方があってこそ、心地よい暮らしを追求できます。
ではまず、笛吹お遍路さんのお便りを紹介します。
最近、買い直したもの
件名:買い直しています
毎日の更新、楽しみにしています。
さて今日は「捨てたものを買い直しています」という話です。
東北の震災後、約2000冊の本を電子化するか電子書籍かを購入するか図書館で借りるとして処分しました。
その後、いくつか買い直したもの、何なら4回目に購入なんてのもあってそういうのはもう「私は紙で持っていたいんだな」と諦めています。
何しろ読むだけなら電子書籍で読めるんですから、これは文章を読めればいいというものではない趣味の世界です。
翻訳の微妙なニュアンス
さて、今回買い直したのはとある翻訳物のシリーズです。子供の頃から何回読んだかわからない、大好きなお話たち、もちろん電子書籍で持っています。
しかしそれ、底本が違うので、訳が変わってるんです。今でははばかられる差別用語の類の言い換えは目をつぶるとしても、文章の意味は変わらないとしても、どうにも気持ちが悪い。
例えばこんなのです。
旧 「こんなもの、あなた、なんでマフィンなどといわれましょうか?」
新 「こんなもの、あなた、なんでマフィンと呼ばなきゃならないのかしら?」
旧 「マフィンにバターをたくさんつけたの、あなたお好きで?」
新 「バターたっぷりのマフィンがお好きですね?」
意味は変わりませんが、上流階級の老婦人の気取った感じや皮肉っぽい調子は感じられません。
2番目のマフィン好き、の台詞に至っては「バター入れて作られたマフィンが」、と、「それにさらにバターをつけたやつだよなあ」、の「呆れ」度とでもいいましょうか、響きが違う。
もちろんこれは私の感覚で、それこそ刷り込みのなせる技だろうとは思いますが、読書に感覚以上に大事なものもあるまいと思うのです。
今回の買い直しにあたり、いっそ原文で読んだら違和感感じないかしらとも思いました。そんな難しい文章ではないし、それこそ訳文は手元にあるんですからわけがわからなくなったら見れば、と。なんだか受験勉強のようでやめましたけど笑
そんなわけで私の本棚にはかつて手放した本が静かに増殖しています。
でも、さんざん片付けてきたのは要は「好きなものを持つため」なんですから気にしません。
また手放して、また買って、ってやるとしても「その時」私が気分がよければそれでよしです。アホやな、とはもちろん思いますけどね笑
そろそろ昼休みが終わります。それではまた、ごきげんよう
笛吹お遍路さん、お便りありがとうございます。
いつも記事を読んでいただき、うれしいです。
「好きなものを持つために片付けてきたのだから、また買い直してもいい」という言葉に、共感しました。
シンプルライフは「減らすこと」や「持たないこと」が目的ではなく、自分が本当に大切にしたいものを見極めていくことですから。
翻訳の文章が気に入らなくて買い直すことは十分あると思います。
引用されている訳文を読むと、確かに新訳はちょっと味気ないですね。なんとなく、生成AIが書きそうな文章です。
AIは個性をそぎ落として読みやすくしますから。
小説を読む目的は筋を知ることではないので、翻訳が変わって、言葉のリズムが好きになれないと感じても当然です。
海外ドラマの吹き替えをする人が突然変わったような違和感があるのではないでしょうか?
笛吹お遍路さんが、本をたくさん手放したり、買い直したり、その時の自分にとって心地よい選択をされていることが素晴らしいと思います。
お昼休みの貴重な時間にメールを書いてくださってありがとうございました。またいつでもお便りください。
次はセロリジュースさんのお便りです。
やめたこと、そして始めたこと
件名:やめた事と再開した事
セロリジュースです。やめた事と再開した事を箇条書きします。
やめた事(断捨離した物)
・Spotifyの有料会員(YouTubeでも聴けるため)
・ブルートゥーススピーカー(ほとんど使わないため)
再開した事
・新聞の購読(紙の新聞の良さに改めて気付いた)
・radikoの有料会員(ラジオの音楽番組を聴く事が好きなため)
それから、春に鉄道雑誌が一誌、休刊します。毎号買っていた訳ではないですが、楽しみにしていたので、残念です。
セロリジュースさん、こんにちは。
いつもお便りありがとうございます。
やめたことと最近始めたことを教えてくださって、重ねてお礼申し上げます。
Spotifyは私もずっと利用していますが、YouTubeでもニーズを果たせるなら、YouTubeを利用すればいいですよね。
新聞やラジオといったデジタルではない媒体の利用を再開したそうですが、私も人生の大半をこうしたアナログの媒体と過ごしてきたので、それぞれの良さは十分わかります。
アナログな媒体は、情報を受け取るだけでなく、その過程自体をじっくり味わえるという点が大きな魅力です。
新聞は、色々な記事が一覧できるので思いがけない記事に出会うことができるし、ラジオも偶然流れた曲を楽しむことができます。
セロリジュースさんが、デジタル化が進む中で、「やっぱり紙の新聞がいい」と感じたり、「好きな音楽番組はちゃんと楽しみたい」と思ったりするのは、ご自身の生活スタイルや価値観に素直に向き合っている証拠だと思います。
これからも自分の価値観を大事にしながら、心地よい暮らしを追求してください。
鉄道雑誌の休刊、残念ですね。でも、「休刊」なので、また復刊するかもしれません。バックナンバーを読みながらその日を楽しみに待ってください。
それでは、セロリジュースさん、これからもお元気でお過ごしください。
今週のnoteの更新
私はこのブログとは別にnoteに日常の日記を書いています。
今週noteに投稿した記事をリンクしますので、よかったら読んでください。
カナダの歯医者事情:クリーニングを専門医から地元の歯医者に変えた理由
ESSEオンラインにも新しい記事がアップされました。
今回はベッドを手放した経緯を書いています。
⇒50代で「ベッド」を手放したミニマリスト。家事とコストを削減、スペースも活用できるようになった | ESSEonline(エッセ オンライン)
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読者のお便りを紹介しました。
一度捨てたものを買い直すのは、よくあることだと思います。
私も、文房具の大半を断捨離してずいぶん経ってから、塗り絵を始め、クレヨンやマーカー、色鉛筆を買いました。
ちょっと買いすぎてしまったと反省し、自分で使い切れないものは手放し、残したものはせっせと使っています。
断捨離した経験があったからこそ、「本当に必要なもの」と「そうでないもの」の見極めがしやすくなったと思います。
もし、過去にまったく片付けをしてこなかったら、増えすぎた画材をそのまま放置していたかもしれません。
買うときも、もっと買っていた可能性があります。
一度手放すことを経験しているからこそ、「これは使わないな」と思ったら潔く手放せるし、逆に「これは今の自分に必要だ」と納得して持てるようになりました。
シンプルライフは、減らし続けることではなく、自分にとってちょうどいいバランスを見つけることです。試行錯誤しながら、所持品と付き合っていけばいいでしょう。
皆さんも、過去に手放したものを買い直した経験があったら、ぜひ教えてくださいね。
もちろんそれ以外の話題でも大歓迎です。
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お待ちしています。