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4月8日に公開した、「ものを捨てて後悔しても大丈夫」という記事を読んだ読者、よんよんさんからお便りをいただきました。
ご自身の赤ちゃん時代のアルバムをお母さんに勝手に捨てられてしまったそうです。今はとてもショックを受けていらっしゃいますが、時間の経過以外に心を癒やす方法はないのか知りたい、という内容です。
よんよんさんが一番苦しんでいるのは写真を失ったことそのものよりも、謝ってもらえない怒りと、それでもお母さんの世話をしなければいけないことだと思います。
今回の記事では、今できることを紹介し、心理面については別の記事やnoteなどで私の考えを書きますね。
まずお便りをシェアします。
ショック。大切な赤ちゃん時代のアルバムが消えた
件名:2026年4月8日の記事を読んで
いつも記事を拝読しております。
本日読んだ記事が、あまりにも私にとってタイムリーだったので、メッセージを出してみます。
許可なく家族や親の持ち物を捨ててはいけないと、よく筆子さんもおっしゃられていますね。
その通りだなと思います。
先日、それを同居している母にされてしまいました。
それも、生まれてからの赤ちゃんの時のアルバム一冊分です。
二人姉妹で、長女である姉の赤ちゃん時代の写真はアルバム何冊分もありますが、私にはその一冊しかありませんでした。
その一冊には赤ちゃんの時の写真が数枚と、幼少期に姉と一緒に写っている写真が貼られていて、ネガもないので大切な写真でした。
先週、和室の片隅にそのアルバムがだされていて、大切なものだからしまっておいてと言いましたがそのまま。
翌日気になって手に取ってみたら、アルバムの台紙からすべての写真が剥がされていました。
一枚残らずです。
86歳の母は、まだボケてはいないはずですが、私は剥がしていない、そんなことをするわけがないと。
他のアルバムからも剥がした写真が紙袋などに詰め込まれている中を探し、無理やり剥がして写真の厚みが薄くなってしまった赤ちゃんの写真が4枚だけ見つかりました。
泣きました。
それでもやった覚えはない、やったとしても何十年も前だなどと言いはり、謝罪の言葉一つ言われませんでした。
剥がした写真を空き箱や袋に入れる可能性があるから、心当たりを教えてくれと頼んでも無駄でした。
やっていないと言い張る母の長財布から、そのアルバムに貼ってあった幼少期の写真を一枚見つけました。
二度と手に入らないものを失ったとしても、他に自分を支えてくれるものはたくさんありますと筆子さんは書かれていましたが、まだそんな気持ちには到底なれません。
それでも日々、母の世話をしなければいけない、自分の時間を削って…馬鹿らしくなりました。
いっそ火事で全焼したり、地震で家が倒壊したと思えば…命はある、それでいい…と気持ちをすり替えようとしても、まだ無理です。
時間しか癒す方法はないのでしょうか?
よんよんさん、こんにちは。お便りありがとうございます。
大切にしていた赤ちゃん時代の写真がいきなりなくなって、すごくショックですよね。
自分で迷った末に手放したのではなく、お母さんに勝手に処分されたのだから、悲しみや怒りが大きいのは当然です。
でも、もしかしたらまだ家の中のどこかにあるかもしれませんよね?
ゴミとして出していない可能性もあるので、お母さんがものを突っ込んでいる場所などを探してみることをおすすめします。
それと、人が持っている写真に自分が写っている可能性もあります。
お姉さんのアルバムの中によんよんさんもいるかもしれません。
もしくは親戚が昔撮った写真などにも。
いとこやおじ、おばが撮ったスナップに、赤ちゃんのよんよんさんが写っていることもあるので、聞いてみるといいでしょう。
つまり、今の状況で自分でできそうなことはするのです。
そのうえで、気持ちを落ち着ける方法を提案します。
悲しみや怒りは無理に消さない
大事なものを失ったのですから、悲しいのは自然な反応です。今はしっかり悲しんでください。
無理に前向きになろうとすると、かえってこじれます。
私が書いた、「他に自分を支えてくれるものはたくさんある」という一文を読んで、まだそんな気持ちにはなれないと感じたそうですね。
そのとおりだと思います。
突然大事なものを失ってすぐ、そんな境地にたどりつける人はいないでしょう。
人は大切なものを失うと、衝撃と怒り、深い悲しみを経て、少しずつ受け入れていくと言われます。
よんよんさんは今、その初期の段階にいて、衝撃・怒り・悲しみが一気に押し寄せている状態だと思います。
このとき、あまりいろいろなことは考えず、悲しみの中にいればいいと思います。
泣きたければ泣けばいいし、お母さんに対する怒りの言葉をノートに書きなぐってもいいし、信頼できる人に話してもいいです。
私はショックなことがあると、布団をひっかぶって寝てしまいますが、翌日にはわりと平気になっているので試してください。
親を変えようとするより、自分の心を守る
お母さんから謝罪の言葉一つないので、怒りが増幅しているそうですが、謝ってもらうのはあきらめたほうが、ストレスになりません。
お母さんはまだボケていないはず、と書かれていますが、86歳という年齢を考えると、記憶や判断力が落ちはじめていることは十分考えられます。
認知症と診断されるほどではなくても、加齢によって記憶があやふやになり、自分のしたことを忘れてしまうのは、よくあることです。
私の母は93歳ですが、数年前から話がかみあわなくてすごく腹が立つと、弟や姪が言っていました。でも、認知症とは診断されていません。
写真を一枚残らずアルバムから剥がすのは、けっこう大変な仕事ですよね。それをやっていないと言うなら、記憶が消えている可能性のほうが高いと思います。
そもそも、親が子どもの赤ちゃん時代のアルバムを捨てる理由がないですから。
謝らせたい、認めさせたい、わかってもらいたい。
そう思うのは自然ですが、相手の思考や行動を思い通りにしたいと思うと、よけいにストレスが増えます。
お母さんを変えようとするのをやめたほうが自分のためです。
これは、自分の生活と気持ちを守ることです。
自分のエネルギーは、自分で変えられることに使いましょう。
手元に残った5枚の写真を徹底的に大事にする
失った写真ではなく、手元に残った写真に意識を向けてるといいですよ。
無理に剥がされて傷んでしまった4枚と、お母さんの財布から出てきた1枚。
この5枚の写真を大事にしましょう。
たとえば、小さなフォトフレームを買ってきて、リビングや寝室に飾る方法があります。
100円ショップにも、シンプルでいいフレームがあります。
5枚並べて飾れば、ささやかな写真コーナーになります。
また、スマホで写真を撮影してデジタル化するのもいいでしょう。
写真の状態が悪ければ、今は写真アプリやAIで手軽にリタッチできます。
スマホの中にあれば、外出先でも、夜寝る前でも、好きなときに見ることができます。
5枚しかないのではなく、5枚もある、と考えを切り替えてみてください。
ちなみに、私の赤ちゃん時代の写真は、母親が私を抱いてタバコ屋の前で写っているのと、ぷくぷくした私が畳の上に寝そべっている2枚だけですが、足りないとは思いません。
数が少ないぶん、一枚一枚しっかり頭に入っています。
写真がなくてもあなたの歴史は消えない
赤ちゃんだった自分が、昔、そこにいたという事実は、写真があってもなくても変わりません。
写真は記録であって、人生そのものではないですよね。
よんよんさんは、その時代を確かに生きて、ここまで成長しました。
重要なのはこの点だと思います。
昔の自分や楽しかった体験は、消えません。
今の記憶を頼りに、自分史を書くのはどうでしょうか?
物心ついた頃の家の様子、近所の風景、家族の顔。
覚えていることを少しずつノートに書き出すと、自分の歴史が残ります。
書きながら、お母さん、お姉さん、親戚に自分が小さい頃どんな子だったか聞くのもいいですね。
思いがけないエピソードを教えてくれるかもしれないし、すっかり忘れていたことを思い出すかもしれません。
聞いた話をノートに書きためていけば、写真以上に細やかな記録になりますよ。
失った過去ではなく、自分のこれからの時間に目を向ける
時間が経てば、今のショックはかなり和らぐと思います。少しでも早く気持ちを落ち着けたいなら、今自分ができることにフォーカスしましょう。
なくしてしまったものはもう戻ってこないから、そちらに意識を向けるのではなく、今自分が持っているものに目を向けるほうがいいです。
お母さんへの怒りに使うエネルギーを、よんよんさんご自身が心地よく過ごすことに使ってください。
何か好きなこと、楽しいことをしましょう。
カフェに行く、好きな本を読む、散歩する。
何でもいいです。
よんよんさんの気持ちが少しでも休まることを祈っています。
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