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昨年の夏、当時81歳の母と一緒に、実家にて、母がためこんでいた物を断捨離した様子を伝えています。母の生前整理です。
毎日少しずつ捨てているうちに、捨てるのが加速すると言いますが、母の場合はそんなことはありませんでした。
というのも、母は断捨離が何かあまりよくわかっていなかったのです。
一応最初に「いらないものを捨てて身軽になることだよ」と説明したものの、やっていることが掃除に似ているので、母の中では、ちょっと大掛かりな掃除ぐらいの気分でいたのかもしれません。
断捨離はただの掃除とは違います。
断捨離とただの掃除の大きな違い
掃除なら、明らかなゴミだけ捨てて、部屋にほかってあるものを棚や押入れに戻したり、移したり、押入れにくしゃくしゃに収納されているものを、多少見栄えがいいようにきれいに並べ直したり、入れなおしたり、整理整頓するだけで事足ります。
これだけでも、物が多いとけっこう大変です。終わったあとは「ああ、スッキリした」と充実感を感じるかもしれません。
しかし、これだと、物の絶対量は変わっていないので、時間がたてば、もとのくしゃくしゃに戻ります。
そこでまた掃除をしなければなりません。
つまり、掃除とは、「掃除⇒汚い⇒掃除⇒汚い」を死ぬまで繰り返す無限ループなのです。
ところが断捨離やスペースクリアリングは、明らかなゴミだけではなく、「ガラクタ」を捨てなければなりません。
ガラクタとは、着ていない洋服、読んでいない本、何年もさわっていない道具など、「今は使っていないけれど、使おうと思えばまだ使える物」たち。
ガラクタの定義はこちら⇒あなたが捨てるべき4つのガラクタとは?~カレン・キングストンに学ぶ
この「今は使っていない物」を捨てることが大事なのです。こういう物を捨てていけば、自分が本当に使うものだけが手元に残り、実践すればするほど物は減り、掃除は簡単になっていきます。
「断捨離⇒掃除⇒まだ汚い⇒断捨離⇒掃除⇒ちょっと汚い⇒断捨離⇒掃除⇒さほど汚くない」というように、自分の環境が少しずつ変わっていくのが断捨離です。
掃除がただの対症療法なら、断捨離は確実に今の状況に効果をもたらす原因療法なのです。
家の中に物を入れ続けてしまうと、急速な変化は見られませんが、基本的に、現状維持ではなく、暮しに変革をもたらすものが断捨離だと言えましょう。
人間は変化を嫌う動物なので、母が「捨てること」に抵抗を示すのも無理はありません。
筆子はもう何年もシンプルライフを追求しているので、「ガラクタ予備軍」を見つけると、「これ、今は使ってないし、捨てるか」と反応できます。ですが、母の場合は、「使おうと思えばまだ使える」というほうに意識が向かってしまうのです。
捨てたがらない母に物を捨てさせた筆子流4段論法
ガラクタは、「使おうと思えば使える(でも誰も使っていない)」という点で、一見ガラクタではないので、母には、捨てる理由が見つかりません。
そこで、何度も「今使っていないということは、不用品なんだから、捨てたほうがいいんだよ」とか「ほかの誰かに使ってもらったほうが、物もうれしいよ」と説明しました。
こう言うと、「それもそうだね」と納得してくれるのですが、やはりさっと捨てることはできないのですね。
私が押入れの奥底で眠っていたものを見つけて、「これ、捨てていい?」と聞いて、母が「うん、いいよ」と答えることはまずありません。
そこで、いつも以下のような質問を順番に投げかけていました。
1.これはいったい何なの?
2.どういう経緯でこれがここにあるの?
3.お母さんはこれがいるの、いらないの?
4.いるならその理由は何?
もちろんこんなふうに、矢継ぎ早に質問をしてはいません。それだとまるで尋問です。
ゆるゆると、軽く世間話をするかのように問いかけました。
「おや、こんな古いものが出てきたよ」「これって誰にもらったんだっけ」とあたかも懐かしい誰かの話をするかのように。
本や雑誌を断捨離しているときのコツは、捨てているとき、中身を見ないこと。しかし、母と物を捨てていたときは、迂回をして、無理に捨てさせることはしませんでした。
古いものが出てくると、思い出話になり、楽しくもありました。
☆捨てられない母の生活環境について、最初からきっちり読みたい方はこちらからどうぞ⇒実録:親の家を片付ける(1)~まずは自分のものをどんどん捨てる
座敷の天袋から出てきた古いトランプを捨てた
そんなふうにして捨てたのが、座敷の天袋の中で見つけた古いトランプや弟の花札。すべてしまいっぱなしだったものです。
ふだん母はトランプなどやらないのに(1人暮しだからやるとしたらトランプ占い)、最初は捨てるのに抵抗してました。こんな小さなものでも、捨てるのがもったいないと思ってしまうのです。
そばにあった古いかるたも捨てたかったのですが、これは母の許可を得られず。
捨てない理由は「これはおじいちゃんがくれたやつだから」。
おじいちゃんとは、父の父。私の祖父のことです。
私がひっぱりだすまで、母はかるたのことを忘れていたのですけどね。目の前に出したら、急に大事な物になってしまったようです。
さらに私が子供のとき、坊主めくりをしてよく遊んだ百人一首も捨ててはいけないと言われました。もう40年ぐらい誰もさわっていないのですが。
かるたも百人一首も何か特殊なことが起きない限り、ずっと実家の座敷の天袋に眠り続けることになるでしょう。ばっさり捨てたかったけれど、次の機会を待つことにしました。
親の家を片付けるには、忍耐が必要なのです。
この続きはこちら⇒遺品もありすぎるとゴミになるだけ~実録・親の家を片付ける(7)
☆それにしても母の家は古いものがいっぱい。40年以上同じ家に住んでいるからでしょうね。母はごくふつうの人なので、不用品を捨てよう、とか、いらない物はもらわない、なんて全く意識していません。
何も考えずに暮していると、このように物がたまる社会に生きているわけです。
若いときはそれでよくても、年をとればとるほど、物の世話をするのは大変になっていきますね。