ページに広告が含まれる場合があります。
役にたたない物を捨てるのはいいけれど、それが人にまで及ぶことに違和感を感じる、というお問い合わせをいただきました。
相談者さんは、今は自分が捨てている側だが、年をとったら捨てられるのではないか、と心配されています。
みんなが、「いらない物やときめかない物」をどんどん捨てていくと、社会的弱者は排除されてしまうのではないか、という意見ですね。
今回は、このメールに回答します。
人を捨てるという考え方に違和感があります
ボクチャンさんから
件名:断捨離という考え方
わたしは、片付けが苦手で、買い物が好きなので、ブログを読んでは、ノートにメモしています。自分の状況も書くので、1ヶ月でノート半分ほどになりました。
筆子さんのブログは、心の状態などの分析があり、納得できますし、やり方が具体的なので、すぐに実行する気になります。
家の中にいると、なかなか背中を押してくれるものがなくて、計画的になれませんが、ブログを読んでは、スイッチを入れていただいています。
ここに書くべきではないのかもしれませんが、断捨離に関して、わたしの中になにか違和感があることを、少し長くなりますが書かせてください。
いままでもいろいろつまんで読んできましたが、こんまりさんが、着ない服のことを「会ったり、電話をすることもないキープの人のよう」と書かれているのを読んだ時に、心が痛みました。
どうやら捨てられる物にシンパシーを感じるたちのようです。
決定的なことは、やましたひでこさんの断捨離のビデオを見ていた時に起こりました。
「断捨離がすすんで、離婚しちゃった人がいます」と彼女が笑って言われたときに、心が凍てついた感じがして、それ以来彼女のビデオは、見ることができなくなりました。
私の中のもやもやというのは、断捨離が対モノであるうちはいいけれど、すすんで対人になってしまうのではないかという危惧だったとわかりました。
人の中にあるプライドや、自己防衛本能に拍車をかけるように、断捨離の考え方をすすめていくと、いじめなどの社会問題や、ひいては難民問題、メキシコとの間に壁を作るというトランプ発言にまでいってしまうのではないかと心配しています。
人が本当に恐れているのは、人に役に立たない、ときめかないと捨てられることなのではないかと思ってしまいます。
わたしはまるで、(ご存知なかったらごめんなさい)漫画の『ぼのぼの』に出てくる何でもしまっちゃう「しまっちゃうおじさん」が来て、自分をしまっちゃうのではないかとおどおどしているラッコぼのぼののようです。
今は選ぶ側ですが、だれでも年をとります。そのときには、日野原先生や、寂聴さんなど特別な人でないかぎり、サポートが必要になってしまいます。
こんなふうに感じるわたしは、正しく断捨離の趣旨を受けとっていないのでしょうか?
長くなりましたが、まず少しは片付けなくてはならないので、日々ブログを参考にさせていただいて、重い腰をあげています。自分のキャパシティを考えて、生活しやすい家でシンプルライフの暮らしをしていきたいと願っています。ありがとうございます。これからも楽しみにしています。
昭和34年生まれのボクチャンより
物に落ち度があるから捨てるのではない
ボクチャンさん、こんにちは。同い年ですね。
自分が捨てる側でいるだけでなく、人から捨てられる側になったときのことを心配するボクチャンさんは、きっと優しい心の持ち主なのでしょうね。ですが、それは取越し苦労です。
確かに、人は断捨離をしているとき、「邪魔だ、役立たない、ときめかない」、そんなふうに思って物を捨てるかもしれません。
ですが、別に物のほうに落ち度があるというわけでないのです。
こちらの記事にも書いていますが⇒読者をバカにしないで!というメールにお答えします(批判、苦言、助言特集)、同じ1つの物でも、それをガラクタにしてしまうか、有用な物にするかは、使う人次第ではないでしょうか?
やましたひでこさんも言ってると思いますが、捨てることは、物と自分の関係性の見直しです。
断捨離をしている人や、ミニマリストは別に物を憎んだり、物が悪だと思ってはいません。少なくとも私はそうです。
関連記事⇒ミニマリズムに関するよくある誤解を解く。ミニマリストはモノを悪者にしている?
人々が断捨離する理由を、もう一度考えてみてください。今回はもっとも極端に断捨離していると思われるミニマリストたちが、なぜ物を捨てるのか、私なりに説明します。
なぜ、ミニマリストは物を捨てるのか?
多くの人の部屋には、これまでに集めに集めた物があふれています。
そのような環境にいると、物の管理にお金や時間がかかるし、心も休まりません。自分の暮らしを良くするために、物をたくさん買ったのに、物が増えすぎると、かえって暮らしにくくなりストレスがたまるのです。
物は別に悪くないのです。良い、悪いで言ったら、どちらかというと、そんなふうに、使いもしない物を大量に集めてしまった人が悪いです。
あるいは、必要でもないものを、さも必要なもののように見せかけて、どんどん市場に出している、大量消費主義がよくないともいえます。
ファストファッションをはじめとした安いものが社会にたくさん出回り、その結果、人々は物の処理に苦しんでいるし、毎日大量のゴミが出ています。
ファストファッションとは?⇒「真の代償」The True Costはファストファッションの真実を暴く映画 ~これでもあなたは安い服を買い続けますか?
この状態はまずいんじゃないか。物がないほうがもっと人間らしく暮らせるんじゃないの?
こんなふうに感じた人が、ミニマリストになるんだと思います。
そして軌道修正します。
捨てるのは物質的な物だけじゃない
ミニマリストは、身の回りにある余計な物はどんどん捨てます。
それは物だけにとどまりません。食べ物もそうです。ミニマリストたちは、余計な物(砂糖、食品添加物、不自然な肉や乳製品、高度に精製された炭水化物など)の入っていない、食べ物らしい食べ物だけを食べたいと思っています。
それも量はそんなに必要ありません。ときどき断食する人もいます。
運動も、ジムに言ってマシーンを使うのではなく、自重(じじゅう、自分の体重のみ)だけを使ったトレーニングを好む人が多いです。
このようにして、余計なもの、ストレス、過度の消費、物、体重(脂肪)、オーバースケジュール気味の仕事など、すべてを捨てようとします。
過剰なもの、余計なものを捨てることで、もっと大事なものに手に入れたり、それについて考える余裕が生まれます。
大事なものとは、たとえば、時間、お金、健康、気力や体力、自由、楽しい毎日、意味のある人生、集中できる環境、充実した人間関係などです。
こうやって書くと、ミニマリストは、自分のことしか考えてないように思うかもしれませんが、それは違います。
みんな大事なものにフォーカスして、ほかの人や社会のためにできることをしたいと願っています。もっと自分を社会に活かしたいのです。
日本のミニマリストの報道は、持ち物(あるいは物の少なさ)にフォーカスしているものが多いですが、海外のミニマリストは、いらない物を捨てて、自分が情熱を持てることをやっていこうと呼びかけています。
それが社会貢献になるのです。
関連記事⇒物を持たないと、より豊かに生きられる。ミニマリストの体験(TED)
自分を大事にすることは他人を大事にすること
ミニマリストたちが、いらない物を捨てることで、手にしようとしている大事なものの中には、家族や友達と一緒に過ごす時間も含まれています。
人間関係の断捨離とは、たとえば、Facebookでのつきあいなんかが入るのではないでしょうか?
SNSにはまりすぎると、リアルでの人とのつながりが希薄になります。
家族が後ろから話しかけているのに、自分はスマホに向かって、ダラダラとFacebookやインスタグラムのタイムラインを追っている、なんてこと本当にあると思います。そして、別に何の感動もないのに、機械的に「いいね」を押す。
スマホやパソコンでインターネットをやっている時間を捨てれば、家族との会話が戻ります。
また、こんな人達との交渉も避けるでしょう。買い物にばかり夢中になっている人、人の悪口ばかり言っている人、ぐちや不満ばかり言っている人。
このような人たちと四六時中一緒にいると、毒されてしまい、自分の成長や、他の人のために何かするなんてこと、なかなかできないと思います。
自分の人生で本当に大切なものを追求した結果、離婚にいたることだってあるでしょう。離婚は必ずしも悪ではありません。
離婚することで、お互いの生活が改善し、ともに成長できることだって多いと思います。
だから、安心して、いらない物を捨ててください。
断捨離は、自分にとって不用なものは捨てて、大切なものを丁寧に使っていこうとする生き方だと思います。
不用品を捨てることは自分を大切にすることにつながります。自分を大事にしない人は、ほかの人も大事にできないのではないでしょうか?