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ミニマリストはモノを悪者にして徹底的に排除している、と考えている人が多いようです。しかしこれは誤解です。モノを排除しているというより、選んでいるのです。
断捨離とミニマリズムの違いとは?
先日、断捨離提唱者のやましたひでこさんの、断捨離とミニマリズムの違いに関する記事を読みました。
なんでも、あるミニマリストと対談する企画のオファーがあったそうです。
やましたさんは「ミニマリズムと断捨離は混同されているようだけど、違います(きっぱり)」と書いていました。
私、筆子の感覚では、断捨離は過剰なものを捨てる感じ、ミニマリズムはさらに一歩進んでモノを削ぎ落とす感じがします。
両方とも同じと言えば同じですが、ミニマリストのほうがもう少し能動的にモノを捨てるでしょうか?
出発点では断捨離と似ていて、余計なものを捨てますが、いったん余計なモノがなくなったあとも、「これは私に本当に必要なんだろうか」としつこく疑い、さらにモノを手放して行きます。
こんなふうに減らしていきます⇒今日からできる。ミニマリストのように暮らす7つのコツ
ミニマリストはモノを悪者に仕立てている?
やましたひでこさんは
断捨離とは「過剰」に焦点をあて、その過剰を元の最適レベルにまで戻そうとしているのであって、モノそのものを悪者に仕立てているわけではないですね。
と書いています。さらに、ミニマリストとタメコミアン(やたらとモノをためこむ人)はモノと遊び愉しむ心のゆとりがない点で、同じ人たちである、とも。
ミニマリストとタメコミアン、私はこの全く対照的な存在に思いを巡らす。
モノを、主義として、退け排除していく姿。
モノを、無自覚に、溜め込み堆積させていく姿。最小限までモノを減らした生活と、最大限までモノを増やしつづける生活。
両極端とも言える人生の有り様。まあ、どんな人生を選択しようとそれぞれの自由だけれど、私は、この二つの有り様に同じものを見てしまう。
それは、モノと遊び愉しむことのない姿。
それは、ゆとりの欠如。
やましたさんの記事はこちらです⇒最小でも最大でもなく「最適」な量と関係で ~ダンシャリアンがミニマリストと違う理由(やましたひでこ) – 個人 – Yahoo!ニュース
似たようなことを金子由紀子さんも「引き算する暮し」という本に書いておられました。金子さんは、
モノを一切否定するというのは、無欲に見えて、実はモノと向き合うことから逃げている、という意味では、もしかしたら一層モノに執着している裏返しのようにも思えるのです
詳しくは⇒「引き算する暮らし」の2つのメリットとは?金子由紀子に学ぶ
金子さんは「もしかしたら」とか「思えるのです」という言葉を使って、控えめに主張。
一方、やましたさんは、ミニマリストとタメコミアンは同じ人種だ、と決めつけてますね。
ミニマリストは大切なモノを選んでいる
やましたさんは、ミニマリストを「主義として、モノを極限まで排除している人たち」だと思っているようです。
まあ、最小限主義者だから、主義を持っていますが、ダンシャリアンだって主義を持っていますよね?主義というのは「考え、方針、態度」ですから。
「ミニマリストとタメコミアンは1つの事象の裏と表である」ということは言えるかもしれません。モノとの関係において。しかし、その生活は全然違いますよ。
タメコミアンはモノがありすぎて身動きできないはずです。この私がそうでした。
部屋は不潔だし、モノの片付けで忙しいし、ガラクタによって生活空間を脅かされ、ストレスもいっぱいです。
ガラクタが感情に及ぼす悪影響はこちら⇒集中できないのはぐしゃぐしゃの部屋にいるから。ガラクタは脳にも悪影響を与えています
やましたさんは、「ミニマリストがモノを悪者に仕立てている」と書いていますが、この考え方、ミニマリストに関するよくある誤解の1つです。
ミニマリズムを「どこまでモノを最小限にできるか競うゲーム」だと思っている人が多い印象です。実はそうではありません。
ミニマリストは、余計なものを手放すことによって、自分にとって大事なものを見つけ、それらをより大切にして生きている人たちなのです。
キーワードは「捨てる」ということよりも、「選択する」ことです。
いろいろなミニマリストがいるが、みんな選んでいる
ミニマリストになる動機は人さまざま。
ガラクタを減らしたい、ストレスを減らしたい、もっと環境にいい暮しをしたい、もっとのんびり暮らしたい、これ以上消費したくない、退屈だから新しいことをやってみたい、もっとクリエイティブな生き方がしたい、もっとお金を残したい、などなど。
「モノは悪だから私はミニマリストになってこれを排除する」という動機でミニマリストになる人は珍しいのではないでしょうか?
私にとって、ミニマリズムは余計なモノを手放して、大切なモノと生きる暮しです。自分にとって大切なものは、1人ひとり違いますから、ミニマルライフはミニマリストの数だけあります。
先日、アメリカのミニマリスト、ライアンとジョシュアのプレゼンを紹介しました⇒物を持たないと、より豊かに生きられる。ミニマリストの体験(TED)
このプレゼンの中で、ライアンは、経歴も仕事も社会的な地位も違う複数のミニマリストたちを紹介しています。
この人たちは確かに所持品の数は少ないですが、モノを悪者だと思ってなんかいません。自分にとって必要なモノを見つけ、それをとことん活かしたり、大切にして、人生の質を高めています。
「さほど大事でもないもの」を手放すことによって、その時点での自分の暮しに、大事なものがより明らかになります。不用なものが減れば減るほど、大切なモノたちの存在がだんだん大きくなります。
大切なものだけを持っていたら、少しだけで満足できるのです。
ミニマルライフは軽やかで楽しい
たとえば、特に好きでもない服を100着持つことより、自分によく似合う好きな服を10着だけ持っているほうが満足度が高いです。
ミニマリズムというのは、やましたさんの言うようなドグマみたいなものではないと思います。
それは、常によりよい人生を模索するツール、あるいは「やり方」なのです。
ミニマルな暮しを心がけていてもモノが増えてしまうことはあるでしょう。たとえば今の時期なら、クリスマスプレゼントをもらいすぎたり、お正月にうっかり福袋を買ってしまったりして。
また、はからずも仕事を受けすぎて、みょうに忙しくなることもあるでしょう。
でもそういう状態は、ミニマリストにとって別に「違反」でも「罪」でもありません。
ミニマリストは、ミニマリズムというツールを持っているので、混み合ってきたものをよく調べて「これは私の人生にとって必要なんだろうか」と再検討できます。
必要でなければ手放して、自分にとって適切なバランスの取れたモノの量にまた戻すことができるのです。
ミニマリストには優先順位がはっきりしているし、価値観も日々、クリアになって行きます。
それはタメコミアンのどんよりとした重い生活とは正反対のとても軽やかで自由な暮しなのです。
事実、私はミニマリストになってから、楽しくなりましたよ。前はストレスでいっぱいでしたが、今は買い物の行き帰りに人知れず、「ふふふふ」と笑ってしまうほどです。
たぶん自分でいろいろなモノを選んでいるからだと思います。
ガラクタのノイズから解放されたミニマリストは、毎日、より爽快に、楽しい気分で目覚めることができるのです。
「ミニマリストはモノを排除してつまらない生活を送っている」というのは大いなる誤解。
むしろ人生が楽しくなりますから、できるだけ大勢の人に試してもらいたい、というのが私の本音です。