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断捨離中に、「1つも捨ててはいけない。全部持っていなければ」と思ったり、買い物するとき、「このシリーズは全部揃えるべきだ」と思ったりすることがあります。
このように、何事においても、「コンプリート」を求める気持ちは、シンプルライフの実現を阻みます。
もしあなたが、「全部必要だ、すべて揃えるためにあれも、これも必要」と思うタイプであり、かつ、もっとシンプルに暮らしたいという願いがあるなら、「なぜ、私は、全部必要だと思ってしまうのか?」という問いの答えを考えてほしいと思います。
そうすれば、「全部必要だ」とは思わなくなりますから。
コンプリートを求めてしまうよくある理由を5つ紹介するので、思考の補助線として使ってください。
0.本当に全部必要か?
きのう、買えなくなる事態になることを恐れて、着物やグッズを買うのをやめられない読者の相談に回答しました。
⇒今、買わないと買えなくなる。そんな気持ちからものを買うのをやめられないなら。
この読者のように、「ちまたにあふれるアンティークの着物は、全部私が手に入れる必要がある、全部そろえなきゃだめなんだ」といった強迫観念じみたものを持つことはよくあると思います。
本人はそう自覚していなかったとしても、目についたはしから、すべて買おうとしているなら、「コンプリートしたい気持ち」があります。
昔、ビンテージの食器を集めている方からも似たような相談を受けたことがありますし、珍しいバッグを集めている方からもメールをいただいたことがあります。
レア物を買いたい気持ちが抑えられない。物集めが好きな人がシンプルライフを目指すには?
ものを買う時だけでなく、「この世にあるおもしろい小説」は全部読むべきだ、いったん手に入れたものは何1つ捨ててはいけない、セールは逃してはいけない、やりたいと思ったことは全部やらなきゃ、のように、キャパシティは度外視し、すべてを手に入れようと焦ることがあるのではないでしょうか?
でも、本当に全部集めなければいけないのでしょうか?
ものを買い集めることは人生の目的ではありません。人生を豊かにしたいから何かを買い集めているだけです。
ただの手段であるはずの「もの集め」がどうして至上の目的になってしまうのでしょうか?
1.足りないマインド
「自分にはあれも足りない、これも足りない、あれもできない、これもできない」と足りないことやできないことに意識を向けるマインドセット(価値観、考え方)を、私は、「足りないマインド」と呼んでいます。
「足りない」という気持ちは、物理的なものだけでなく、時間や機会、お金、愛情や成功、能力、友達といったものにも発揮されます。
足りないことばかり探している人は、何をどれだけ買い集めても、決して満足しません。そのため、常に新しいものを追い求めているし、いったん手に入れたものは捨てません。
捨てるとますます足りなくなると思うからです。
何も考えていないと「失う恐怖」や「足りない不安」にさいなまれるので、意識して、たっぷりあるマインドに変えていく必要があります。
なぜ私ばかりが(怒)、と思う人は『足りないマインド』を『たっぷりあるマインド』に変えればよい。
2.必要量の目測のあやまり
生活するのに、本当は必要ないのに、「あれもこれも必要だ」と目測をあやまっていると、不用なものをたくさん持ってしまいます。
よく、「人1人が暮らすのに、そんなにたくさんものはいらない」と言われます。
たとえば洋服はそんなに何枚もいりません。
持っている服で、よく着ているのは限られた一部だけ。家にはめったに着ない服や、1度しか着なかった服、全く着たことがない服すらあるのではないでしょうか?
これで簡単に捨てられる、洋服を捨てる7つのルール~あなたの服の8割はいらない服です
目測をあやまる理由は、
・すでに持っているものを把握していない
・「万が一のときのために」買うものが多すぎる
このあたりだと思います。
3.消費文化
私達は、消費をよいことと考える大量消費文化の中で生きています。ことあるごとに消費をうながされ、消費しやすいシステムの中で、日々の生活を送っています。
ものを減らすことが奨励されるはずのシンプルライフやミニマルライフですら、このようなライフスタイルを実現するために、新たにものを買うよう言われることがありますよね。
企業はマーケティングや広告にたくさんのお金を使っており、魅力的な広告や宣伝文句のせいで、その商品が必要以上によいものに見え、自分の生活に不可欠だと思ってしまいます。
常にどこかで行われている魅力的なセールやプロモーションも、購買意欲を高めます。
消費文化においては、ものをたくさん持つことは、ものをたくさんもつことは、幸せ、成功、よりよいステータスの証(あかし)です。
もちろん、手に入れると自分の生活をよくしてくれる商品はいろいろあります。
ありますが、そういう「すぐれもの」でも、数が増えるとガラクタへの道をたどります。
自分のリソースは有限なので、ものがたくさんある使い切れないし、面倒を見きれません。
部屋の片付けに悩むのは、部屋や自分のキャパシティを超えるほどものを所有してしまうせいです。
4.幸せに関する誤解
たいていの人が、「もっと幸せになりたい」「幸せな人生を送りたい」と考えています。
この「幸せな人生」の実現に、ものをたくさん持つことが不可欠である、という誤解をしていると、「目についたものは手当たりしだい」手に入れようとします。
確かに、ものがあまりにもなさすぎると、幸せもへったくれもありません。
それはよくわかります。
しかし、日本は、昔のような高度経済成長期ではないにしても、一応先進国なので、すでに、皆、わりとものはたくさん持っています。
去年の秋、日本に里帰りしましたが、そこら中に店舗があり、店舗の中には商品がそれこそあふれんばかりにあって、その物量に圧倒されました。
以前、日本にはバッグやカバーがたくさんあると書きましたが⇒なぜ日本人はこんなにバッグ、袋、ケースをたくさん持っているの?
バッグやケースをいっぱい持ってしまう人は、すでにそれらに入れる中身を持っています。
収納グッズがよく売れるのも、ものを持ちすぎている人が多いからですよね?
一通りのものはたいてい持っている。
「一通りじゃだめなの、もっとなければ幸せになれない」という気持ちのせいで、コンプリートを果たそうとするのではないでしょうか?
ものが豊富にあると、精神も充足すのだと思っていると、新しいものを買うことは幸せにつながるし、やすらぎや安心感をもたらしてくれると考えます。
ですが、本当にそうでしょうか?
ありすぎると、かえってやすらげないことは、汚部屋にお住まいの方はよく知っていると思います。
私は、ものをたくさん持つことより、自分の価値観にそった暮らし、つまり自分らしく生きることや、自分の能力をフルに発揮しながら暮らすほうが幸せだと考えています。
自分の価値観に沿った暮らしをするには?:心を満たす方法(その2)
5.比較する文化
自分の暮らしをほかの人の暮らしと必要以上に比較していると、数を集めることに熱心になります。
人間は社会的動物なので、もともと他人と比較しながら生きています。
ですが、近年は比較する度合いが増えています。
その理由は
1)教育において、比較に重点が置かれる
現在、公立の小中学校の成績は絶対評価でつけられています(私のときは相対評価でした)。
でも、点数や評価がつく時点で、すでに比較が始まっています。「お兄ちゃんは、5ばかりだったのに、なんであんたは、こんなに3が多いの?!」なんて母親に言われたことがある人も少なくないでしょう。
模試や入試で使われる偏差値は相対評価ですが、一部の学生にとって偏差値はひじょうに重要です。まわりが神のお告げみたいに偏差値を重要視するため、自分にとっても、人生における最重要の数字になります。
2)マスメディアや広告の表現
メディアは幸福や成功を、特定のライフスタイルや外見とひもづけて、「これこそが理想です」と消費者にアピールします。
必然的に消費者は、その「理想」と自分の暮らしを比べます。そして、理想に近づくために、いろいろなものを買わなければならない気分になります。
3)ソーシャルメディア
ソーシャルメディアのおかげで誰でも自分の生活や経験を不特定多数の人々と共有できるようになりました。
その結果、昔なら知ることができなかった人たちの成功や暮らしを垣間見ることができますが、人の生活を見れば、ふつうは自分と比較します。
このような理由から、私たちは身近な知人だけでなく、見ず知らずの他人とまで自分の暮らしを比較する社会にいるので、ものの所有に関して、大人でもピアプレッシャー(同調圧力)を感じていると思います。
その結果、本当は必要ないものでも、「とりあえず、持っておいたほうがいいかもしれない」と考えて買ってしまうし、人より優位に立ちたい気持ちがあれば、より多く所有しようとします。
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今回は書きませんでしたが、完璧主義的傾向も、「全部手にいれよう」という気持ちを後押しします。
目についたもの(存在を確認したもの)をすべて手に入れる必要はないし、手に入れても、幸福度はさして変わらないか、むしろ下がります。
「全部手にいれなければ」とがんばっている人は、次から次へと、「手に入れなければならないもの」を見つけるからです。
必要なのは、「すべて」ではなくて、今の自分の生活をよくしてくれるものを少しだけです。
ふつうに暮らしていると、なんでも過剰になるので、「少なめかなあ」と思うぐらいでとどめておいたほうがちょうどよいと私は考えています。