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私が何を捨てても、いまはあまり驚かない家族ですが、昔は何かを捨てるたびに、「捨てないほうがいい」と反対されたものです。
なぜ、家族はいちいち人の断捨離に反対するのか?
何度もとがめられているうちに、私はその理由に気がつきました。理由がわかったので、家族の言葉をうまくかわして、捨て続けられました
今回は家族が片付けを非難する理由とその回避策をお伝えします。
私が物を捨てると問いただす家族
引っ越しが終わり、さらなる片付けに励んでいた私のターゲットは、主にお菓子作りの道具でした。
シフォンケーキ型を捨てていたら(厳密には、廊下の寄付物置き場に置く)、娘に、「え、それ捨てるの? どうして?」と聞かれました。
「だって、私もうお菓子作らないからね。砂糖やめたし。どうせあんた食べないし」と答えました。
すると、娘はこんなことを言ったのです。
「私、ブラウニー作りたいからブラウニーの型は捨てないでね」。
娘は、ブラウニーなんてこれまで家で1度も作ったことがないのに、ブラウニー型の心配をしています。まあ、娘は中学校の家庭科で、たくさんベーキングを習ったので、作ろうと思えば作れるでしょう。
「わかった。それは捨てない(当面は)」と答えつつ、心の中で、「ブラウニー作るのは勝手だけど、家にはもう白砂糖はないからね」とひとりごちました。
私が物を捨てているのを見ると、こんなふうに、「どうしてそれ捨てるの? なんでも捨てればいいってもんじゃないよ」と家族が反対意見を述べることがよくありました。
自分の物を捨てているのに、止めようとするのです。
シフォン型を捨てている時に、「ついでに、マドレーヌ型も捨てたらいいんじゃない?」といった後押しをされたことはただの1度もありません。
これは、我が家に限ったことではないでしょう。
読者のお便りには、「夫が断捨離に協力してくれます♪」という主旨のものが意外に多いのですが、少数派ではないでしょうか。
我が家では、夫や娘、もちろん実家の母からも、「もう、これ捨てたらどう? あれも捨てたら? どんどん捨てたら?」という発言はまず出てきません。
私は娘が何かにチャレンジするときは、たとえそれが耳の軟骨にピアスホールを開けることであったとしても、「へ~すごいね。がんばってね」と言って送り出しているというのに。
家族が物を捨てることに反対する理由
家族が、「それは、捨てるな」とうるさいので、私なりに、彼らがいちいち断捨離に反対する理由を考えてみました。5つあります。
1.たとえ人の物でも失うのがイヤ
人間は物を失うときに、強い痛みを感じるので、失うことを本能的に避けようとします。
その気持はとても根強く、自分の物だけでなく、自分ととても近い間柄の家族の物にまで感じてしまうのです。
失うのを恐れる気持ちとは?⇒物を捨てられないのは恐怖のせい~損失回避と、授かり効果の心理をさぐる
室内にいつも飾ってあった古ぼけた人形や、こわれた椅子などは、これまで何年も見てきたので、たとえ、それが自分の物でなかったとしても、強い愛着を感じてしまうのでしょう。
娘にとって、シフォン型の処分は、ブラウニー型の消失の心配にとどまらなかったでしょう。何度も手作りケーキを食べた楽しい思い出もなくなるし、今後はケーキを食べられなくなるかもしれない、なんて恐れも感じたかもしれません。
もちろん、本人は何も意識していません。
2.大切な家族が傷つくのがイヤ
家族は、できることなら、自分の身内が痛い目にあってほしくないと願っています。
肉体的にも精神的にも。
進学や就職、嫁入りのために、遠いところへ子どもを送り出すとき、親はとってもつらい気持ちになります。いなくなってさみしい、という気持ちと同時に、子どもが元気で幸せに暮らせるだろうか、悲しい目にあわないだろうか心配だからです。
この心配する気持ちは、捨て物をしている相手にも向けられるのです。
自分の家族が、何かを捨てて、あとで後悔して、悲しい思いをしてほくない、と思っているのではないでしょうか?
程度の差こそあれ、人はあらゆることで取り越し苦労をしますから。
3.取り残されるのが不安
家族が、物を捨てて、一人で自分の知らない新しい世界に行ってしまうのが、不安だ、というケースもあります。
娘も夫も、ミニマリストやシンプライフ、持たない暮らし、といったライフスタイルにはあまりなじみがありませんでした。
そういう言葉がこの世にあるのを知っていたとは思いますが、自分たちには関係ない、自分たちの世界の外のもの、という認識です。
私が物を捨てることで、自分の知らない、どこか新しい世界に向かっていることが直感的にわかっていたのでしょう。
それが不安なのです。私が一人で新しい世界に行くのがイヤなのです。
家族は、ほかの家族がちょっと変わったことをすると本能的に邪魔をしますが、こんなふうに自分だけ取り残されると思っているからです。
4.嫉妬
私が物を捨てて、より自由に身軽になるのが、許せない、という気持ちもあったと思います。
嫉妬です。
家族はほかの家族に幸せでいてほしい、という気持ちがありますが、それは自分と同じくらいの幸せなのです。
自分よりずっと幸せそうにしていると、違和感を感じます。
人間はすぐに比較する生き物。
夫は外でバリバリ好きな仕事をしているのに、私は家事があるから、ちょっぴりしか働けないし、おさんどんと育児で大わらわ。不公平だわ、と感じる主婦がいるとしたら、自分と夫を比べているからです。
断捨離においても、私だけが、楽しそうにしているのがいやなのです。
「365日のシンプルライフ」の主人公、ペトロも、インタビューで、友だちが自分に嫉妬していたと思う、と語っています⇒モノを減らしたい人にオススメの映画『365日のシンプルライフ』鑑賞記
5.自分の物も捨てられそうで心配
いろいろと取り越し苦労する人は、「そのうち私の大事なあれも捨てられてしまうんじゃないだろうか」という余計な心配をします。
過去に、勝手に捨てられた経験があったら尚さらでしょう。
信頼関係がくずれていますから。
-*-
このように、誰かが、「新しいこと」や「チャレンジ」をしようとすると、家族や周囲の人は、無意識にせよ、止めようとすることが多いものです。
「すごい、がんばってね!」「おもしろそう、私もやってみる」とはなかなか言いません。
激励するかわりに、「やめといたほうがいいんじゃない?」「あとで後悔するかもよ」などと言うのです。
まあ、その家族にもよるでしょう。それに明らかに止めたほうがいいケースもあります。
ですが、人が不用品を片付けるのを止めるまともな理由なんて、何もありません。
コンフォートゾーンから出るために捨て続ける
家族が私の断捨離を止めるのは、単に、このまま自分たちと一緒にコンフォートゾーン(confort zone)にいてほしいと願っているからだと思いました。
コンフォートゾーンとは、自分が快適でいられる領域、世界のことです。
自分にとって心地のいいスペースで、傷ついたり、恐れることなく、ぬくぬくと生きていられる場所。
寒い冬の日のこたつの中のようなものです。
コンフォートゾーンにいると、とても楽ですが、そこには何の変化も冒険もありません。
あるのは、停滞と退屈。長くいすぎると空気もよどんできます。
いまの生活や人生に不満があったり、もっとこんなふうになりたい、なるといいな、という夢や希望があったりするなら、コンフォートゾーンにとどまっていてはいけないのです。
イヤだな、不安だ、苦手だ、と思う世界に足を踏み入れない限り、何も変わりません。
そう思った私は、家族に何か言われても、捨てる手をゆるめませんでした。結果的にはそれでよかったのです。
何を言っても、捨てる私を見て、そのうち家族は何も言わなくなりました。
それどころか、自分からも捨てるという行動に出たこともあったのです。
人の行動を変えることはできませんが、自分の行動が他人に影響を与えることはよくあります。
「捨てないほうがいいよ」というアドバイスにいちいち従っていたら、いまも家の中はたくさんの物であふれていたでしょう。小さい家に引っ越せなかったかもしれないし、引っ越せたとしても、貸倉庫を借りていたかもしれません。
こんなブログを運営することもなかったでしょう。
家族の妨害によるダメージを小さくするコツ
家族の妨害を最小限に食い止めるために以下のことも気をつけました。
1.他人の物を勝手に捨てない
これは理由5の解決法です。
家族の物を勝手に捨てると信頼関係がくずれるので捨てないようにしました。私はもともとあまり他人の生活に干渉しないタイプなので、これはそんなに難しくありません。
私の夫は、自分の物の位置が変わっているだけですごく嫌がるので基本的にノータッチです。
例外はここに写真のあるランチョンマット⇒断捨離に非協力的な夫にはこう対処した~ミニマリストへの道(33)
あまりにも目障りなので、これが台所のテーブルに出ているのに気づくと速攻でどかしています。
キッチンのテーブルはパブリックスペースなので、人の物でも、片付けてよいことになっています(捨ててはいけません)。
2.家族のいない時に捨てる
基本的な解決策です。
捨てている現場を目撃されなければ、よけいなことも言われません。
知らぬが仏、というやつです。
あとは、何を言われてもコンスタントに捨て続ける姿勢を貫いていたら、そのうち外野は静かになりました。
☆このシリーズを最初から読む方はこちらから⇒なぜ私は断捨離をしてミニマリストになったのか?(1)~物がたくさんあっても幸せではなかった
☆この続きはこちら⇒愛読書? 持っているのがくせになっている本だと思う:ミニマリストへの道(107)
狭い家に引っ越したせいで、自分の物を置いておく場所に苦慮することになった夫は、もう他人の片付けにどうこういう余裕はなくなったようです。
スペース的にも、気持ちのうえでも。