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断捨離したり、ミニマリストになると、今を生きることができて、充実感があるよ、こんな言葉をよく聞きます。私自身もこのブログに書いたことがあります。今回は、なぜ物を減らすと今を生きることになるのか、この理由を書きます。
まず、「今、ここで生きる」とはどういう状態なのか、難しいですが、説明をしてみます。
そもそも今を生きるとはどういうことか?
考えてみると「今を生きる」とは面白い言葉です。と言うのも、生きている人たちは、物理的にはみな、今、ここで生きています。過去や未来に行きたくても行けません。
けれども、人は目覚めているときは、いろいろなことを考えています。何も考えずぼーっとしていることもありますが。その考えたり、考えていないことのせいで、実は今を生きていないのです。
今を生きている状態を4つの側面から説明します。
1.今の自分と自分の周囲のことに注意を向けている状態
今を生きるとは、今自分のまわりで起きていることと、自分が考えていることに意識が向いている状態です。
たとえば私は今ブログを書いていますが、ブログを書くことだけに集中していれば、今を生きている、と言えそうです。
しかし、ブログを書くことが、今、自分の身にふりかかっていて、対処しなければならない「何か」から逃げていることなら、あまり今を生きているとは言えません。
たとえば、カナダではありえませんが、地震が起きてグラグラゆれているのに、パタパタキーボードを叩いているなら、今を生きておらず、心ここにあらず状態です。
今、ここで生きるとは、まず、自分の心の中で何が起きているのか、自分の気持ちを知り、さらに外でどういうことが起こっているのか知っていなければならないのです。
先日、「脳は自分の外で起こっていることと、自分の心の中で起きていることのバランスを保っていて、このバランスがくずれるとストレスになる」という話を書きました。
こちらです⇒年末年始のストレス解消に「音」の断捨離が効く
だから今を生きるためには、自分の心の中ばかり見ていてはだめで、周囲にも注意を向けなければなりません。内と外の両方を見なければいけないのです。
とは言え、完全に把握する必要はなく、自分の内と外を注意深く見ようとするその姿勢があれば大丈夫です。
2.人生は今この時しか起きていないことに気づいている状態
自分の人生は、実は今この時しか起きていないことに気づくと今を生きられます。
いつか起こるかもしれない先のことを心配しすぎていたり、もう過ぎてしまって今さらどうしようもないことばかり考えていると、なかなか現在自分が手にしているものに気づくことができません。
いつか来るその時、しかも本当に来るかどうかわからない時のことを心配するのは、すでに必要なものは全部そろっているのに、「いや、まだ足りない」と、いろいろなものを探し求めようとするのに似ています。
「まだ足りない」と感じてしまうのは、手持ちの物へ意識が向いておらず、よく見えていないからです。
3.今の状況を穏やかに受け入れている状態
人間には向上心がありますから、常により良く、より幸せになりたい、と思うものです。こう考えるのはよいことですが、そちらに意識が向きすぎて、今の状態を受け入れていないと、今を生きているとはいえません。
「もっと、もっと」と求める状態は、むしろ今を強く否定しています。「もう少しこうなったらいいな」、という気持ちを持ちながらも、今自分をとりまく状況に対して、柔らかい視線を向けていれば、今を生きています。
今この時を生きている人は、自分の身に何がふりかかってこようとも、批判したり、拒絶したりせず、静かに受け入れます。これは、起きていることに無関心でいるということではありません。ただ、そこにあるものを、そこにあるままにしておくのです。
4.自分の人生の主役は自分であることを知っている状態
起きたことを受け入れるためには、今その渦中にいてはだめで、1段高いところか、ちょっと離れたところから自分を見なければなりません。
今を生きつつも、自分の人生をまるで映画のワンシーンのように俯瞰(ふかん)して見つめているのです。
今という時を感じるためには、今のどまんなかにいるより、少し離れたほうがやりやすいのです。こうすると、自分の人生の主役は自分だということがよくわかります。
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まとめますと、人生の主役が自分であることがわかっているし、何が起きても動じないし、ちょっとだけよりよい方向に向けて、今自分ができることをせいいっぱい楽しんでいる、それが今を行きていることだと思います。きっとそれは楽しいはずです。
ではこういうふうに生きるためにはどうしたらいいのでしょうか?
今を生きる方法
今を生きるために、真っ先にできることはとにかく、「意識する」ということです。自分は、はたして「今、この瞬間を楽しんでいるのだろうか」と考えてみることが、今を生きる1番の近道ではないでしょうか?
もう終わってしまった過去のことばかり考えたり、取り越し苦労ばかりしていては、せっかくの「今」を楽しめません。
「意識する」とは要するに自分の気持ちに向き合って自分に正直になることです。過小評価もせず、過大評価もせず、自分を等身大で受け止めます。
こう書くのは簡単ですが、実際にするのは、すごく難しいですし、本当にそんなことができるかどうかもわかりません。ですが、ここでも、できるだけそういうふうにしようと、気持ちを向ければいいと思います。
気持ちを向けるためにできることが3つあります。
●ノートに自分の気持ちをつらつら書くこと
●瞑想すること
●物を捨てること
ノートに気持ちを書くと心の整理になりますし、瞑想は自分の心にいろいろな考えが浮かんでくるのを、静かに見つめることですから、今を生きるのに役立ちます。
瞑想の仕方はこちら⇒『必要なのは10分間の瞑想だけ』~物より心が大切です(TED)
では、なぜ物を捨てるのが今を生きる助けになるのでしょうか?
物を捨てると、物持ちだったときより、今を生きられる理由
上に書いたように、今を生きるとは、今、この時に起こっていることに意識を向けることです。
しかし、物がたくさんあると、気が散ってそんなことができないのです。
気を散らずもの、その1:部屋のガラクタ
私たちが静かに自分の心や周囲の状況を見ようとしても、そばにガラクタがあると気が散ってできません。
たとえば、古いもの、ずっと前に手に入れたもので、今の生活には特に役立たないもの、好きでもないものを置いておくと、過去にひっぱられ、重荷になります。いやな思い出のあるものなら尚更です。
また、いつか使うかも、いつか必要になるかも、と思ってとってあるガラクタも、やはり重荷になります。と言うのも、今の暮しには全く関係ないからです。そういう意味では、こういう「いつか使うかも」と思うものは、過去の遺物より始末が悪いかもしれません。
昔からある思い出の品は、たぶんそれ以上増えませんが、「いつか使うかも」と思って取ってある物たちは、無制限に増えます。
いつかこんなことが起こるかもしれないし、あんなことも起こるかもしれないし、これも必要になるし、あれもあったほうがいいだろう、と、頭の中でどんどん「必要な物」を作り出すことができるからです。
さらに、こういう物を持っていたらなりたい自分になれるだろう、と思って取ってある物も、頭の中で作っている未来の自分のためのものです。
たとえば、そのうち読みたいと思っている本、そのうち勉強するつもりの英会話の教材、そのうちやり始めるつもりのスクラップブッキングの材料など。
「そのうち」は「今」ではないので、こういうものを持ちすぎると今を生きるのに邪魔になります。
気を散らすもの、その2:デジタルなもの
デジタル機器で時間を埋めると自分の心の中を見ることができません。
現代の私たちの生活にはスイッチを入れるものがたくさんあります。テレビ、パソコン、スマホ、タブレット、ラジオなど。電気で動いているものは、すべてスイッチオンします。
この手のものにスイッチを入れると、さっと画面が明るくなったり、音を出し始めます。スイッチを切らない限り、私たちはそういう物に気を取られ続けるのです。お守りをされていると言ってもいいぐらいです。
ずっとお守りをされているので、1人になって静かに、何もせず、自分の心の中を見つめよう、なんてことは思いつきもしません。
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このように、物がたくさんあると、静かに考えることができず、自分のインナースペースなんてあることにも気づかず、今この時ではないどこかで生きてしまいます。
だから、物を減らせば、より今を生きられるというわけです。
部屋の様子は、その部屋に住む人の心を表している、とよく言われます。
入居したときは、たいていの部屋は何もないでしょうから、まず心の乱れから始まり、物が1つ、また1つとたまり始め、それによってさらに心は混乱します。
物がたくさんあると、私たちの感覚を刺激し、大きなストレスになります。
今を生きて、静かで満足感のある暮しをするためには、ガラクタのないきれいな部屋が必要なのです。