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ミニマリストなら共感を覚えるはずのフィンランド映画、『365日のシンプルライフ』の感想を書きます。
この映画は、主人公ペトリ(20代半ば)が所持品をすべて倉庫にあずけてしまい、毎日1つずつ必要なモノを持ち帰ってくる1年の実験の様子を写したものです。
所持品をすべて倉庫に預けたペトリが知りたかったことは?
なぜこんな実験をしたのでしょうか?
ペトリはある日、失恋をしブルーな気持ちになり、何か、人生を決定的に変えたかったのです。
そのとき、彼の部屋には物がいっぱいでした。
「幸せって何?」
「僕にとって大切なものとは?」
ペトリはこんなふうに思いめぐらしたのでしょう。しかし、答えは見つかりません。
彼にわかっていたことは、「部屋の中に物がいっぱいあっても全然幸せではなかった」ということだけでした。
彼は極端な実験をして、自分が生きるのにどれだけのモノが必要か確かめました。
英語圏向けの予告編をご紹介します。
英語のタイトルは My Stuff (僕のもの)です。原題のTavarataivas は「モノ天国」という意味だと、オフィシャルサイトで見ました。
映画の概要についてはこちらの記事をごらん下さい⇒映画『365日のシンプルライフ』の感想:「物を捨てる」映画ではなく、大切な物を選ぶ話です
この映画、2015年5月23日にDVDが発売されました。アマゾンやiTunesでレンタルして見ることもできます。
「持たない暮し」をめざしている人は興味がひかれる映画だと思いますが、あまり期待しすぎないのがこの映画を楽しむコツです。
というのも、これはペトリの個人的な実験の記録だからです。
名古屋で映画を見ましたよ
2014年8月某日
名古屋駅のそばにあるシネマスコーレという小さな映画館に友だちと2人で行きました。映画の開始はお昼の12時5分から。
15分ぐらい前に映画館につきましたが、すでに人がたくさんいました。チケットを購入して25番という整理券をもらいました。
さらに「いらないチラシ」をドサっともらいました。名古屋にいたときは、ちょっと街を歩くと、この手のチラシをもらってしまうので油断は禁物です。
関連⇒モノをもらわないのも一苦労~不用品を「もらわない」ためのミニマリストの努力と工夫
私は映画のチラシと、「”自分と向き合う”ワークシート」だけもらい、残りは全部友だちに押し付けました。
友だちはミニマリストではないので、チラシをもらっても「押し付けられた」とは思っていないようでした。
このとき、なぜ「”自分と向き合う”ワークシート」をもらってしまったのか謎です。というのも、そのチラシは私がカナダに帰る日まで、向き合うどころか、ずっと部屋の片隅に放置され、結局ゴミとなったのですから。
映画館の話に戻ります。
せまい館内はほぼ満員でした。ほとんど女性でしたが、若い男性もいました。わりと単独で来ている人が多い印象。
デートをしているカップル、夫婦で来ているような人はいなさそうでした。
映画は80分ほどでそんなに長くありません。まあ、私は途中で寝てしまい、ふと気づいたら、主人公に新しい恋人ができていたのです。
しかし、あとで友だちに聞いたところによると、「わりと唐突にガールフレンドができた」と言ってました。
なれそめは割愛したのでしょうね。なにせ、この映画は1年間の実験の記録ですから、細いエピソードまで全部入れていたら、とんでもなく長い映画になります。
人間関係は意外に良好なペトリ
登場人物はペトリと彼の家族や友だちなど。
彼は弟やおばあちゃんと仲がいいのです。
おばあちゃんはモノに執着のない人なのか、「幸せは持ってるモノでは決まらないよ」と言います。
これ、誰しもわかっていることなんですよね。しかし、現代人は今日も明日も新しいモノを買ってしまいます。
ペトリも、空虚な気持ちを埋めるために、たくさんのモノを買ってしまい、振り子が大きく逆にふれて、こんな極端な実験をしてしまったのでしょう。
弟は突然奇妙な実験を始めたお兄さんにあきれながらも、食料を差し入れたりして協力します。
上で貼った予告編の1分すぎに出てくる女性はお母さんです。心配して様子を見に来たのですね。
友だちも「頭は大丈夫か」と言いながら、結局助けてくれます。監督(ペトリ)のインタビューを読んだのですが、「周囲の人はある意味自分に嫉妬していたのではないか」と言ってました。
「モノから自由になった自分がうらやましいものの、そんな極端なことはできないから」とのこと。この監督、けっこう唯我独尊タイプかも。
1年間モノを買わないルール
ペトリの実験には、「1年間モノを買わない」という自分ルールがありました。
食料は買いますが、それ以外は買わないのです。私もここ3年ぐらい「買わない生活」をしていて、できるだけモノを買わないようにしていますが、そんなに大変ではありません。
しかし、ペトリの場合、時々使っているものがこわれてしまい、苦戦します。考えてみたら、ペトリはほとんどのモノが倉庫なので、何か壊れたとき、代替品がないのですよね。
私の所持品はすべて家にありますし、やたらモノ持ちの夫もいますので、何か足りないときは借りることもできます。
そうやって考えると彼の実験はやはりかなり過激です。
最後のほうで、新しくできた恋人の冷蔵庫がこわれて、ペトリが「買うべきか、修理するべきか」でものすごく悩むシーンがあります。修理に出すとすごくお金がかかるらしいのです。
恋人の冷蔵庫なんて、自分のモノでもないのに、誰かと関係を持つと、人のことで悩むことが増えてしまうのです。
かといって1人では生きられませんから、自分のライフスタイルを保ちつつ、他人のライフスタイルも尊重するというのは、ミニマリストにとって永遠の課題です。
あくまでも実験の記録
この映画は実験を写しているので、最初に決めた筋書きがありません。どんなふうになるのか知りたくて実験しているのだから、結末は実験が終わるまでわからないのです。
そのため普通の映画には、たいていある「盛り上がり」や「盛り上がる前の困難な状況」といった要素は入っていません。
ドキュメンタリーですから。
しかし、最後は新しい恋人も見つかったし、ペトリの部屋も快適そうに整えられていました。
所持品が400個に満たなくても充分人間らしい生活ができるのです。
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所持品をすべて倉庫に預けて毎日1個ずつ持ち帰ってくるそれだけの話を、よくもここまでうまく映画にできたな、と思います。
編集が鍵です。
確かに途中から退屈なのですが、ネタはたった1つなのですから、しょうがありません。
この実験、ハッピーエンドで終わったから映画にできたのかもしれませんね。
やはりモノが多い状態よりは少ないほうが幸せのほうにベクトルが向くんだということを改めて感じました。
足してだめなら、引いてみればいいのです。