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人の生活と自分の生活を比べて、不用な物を買ってしまう人はたくさんいます。
こうした行為をやめるきっかけになるTEDの動画を紹介します。
タイトルは、Oranges versus bananas: The unforgiving mirror of comparison(オレンジ対バナナ:比較という許しがたい鏡)。
講演者は、ソーシャルワーカーの、ローラ・マイルズ(Laura Miles)さんです。
オレンジ対バナナ:TEDの說明
This talk, based on Laura’s own lived experience of being defined through comparison, provides an entertaining and profound examination of the role of comparison in society and the impact it has on how we relate to ourselves and each other.
Accessible to all, this talk provides practical strategies of how to reverse the impact comparison has had and embrace our unique identity. Using principles from neuroscience, Laura illuminates four ways to both limit and reverse the impact comparison can have.
他人と比較して、自分を測っていたローラの実体験にもとづくこのトークは、社会における比較の役割や、比較することが、自分自身と他人との関係に与える影響を、楽しく、そして深く検証します。
さらに、比較の影響をひっくり返し、自分らしさを大事にする、誰にでもできる戦略を伝えます。
ローラは、脳神経学の原理を使って、比較の影響を制限し、逆にする4つの方法を紹介します。
収録は2019年7月13日。長さは12分、字幕はありません。動画のあとに抄訳を書きます。
☆TEDの說明はこちら⇒TEDの記事のまとめ(1)ミニマリスト的生き方の参考に
鏡やフルーツを使ってわかりやすく語られたプレゼンです。
友だちと比べていきなり不幸になった私
人と比較することは、危険な敵です。もっとも危ないのは、無意識に比較しているとき。
ですが、比較のわなにはまっていることに気づき、その危険を制限し、インパクトを逆にすることもできます。
2007年の夏のある日、私は学位論文の結果を待っていました。10ヶ月かけて、リサーチし、下書きし、書き直して、また書き直し。
その結果を待っていたのです。55あれば、学位を取得できます。3年間の結果が出るわけですから、期待と不安でいっぱいでした。
結果は58。合格です。3年かけてめざしてきたゴールを達成できたので、ほこらしい気持ちになりました。
自分の結果を知ったあと、友だちの結果も知りたくなりました。
聞く前にちょっとナーバスになりましたが。私は10ヶ月かけて、論文を書き上げましたが、友だちは締め切り当日の午前3時になんとか間に合わせたからです。
友だちの明るい表情から、合格したのだとわかりました。きっと、ギリギリ40~45あたりでなんとか合格したんだろうな、と思いました。
ところが、彼女は63を獲得していたのです。
「え。。。まあそれはすごいわ。合格して本当によかった!」 口ではこう言いましたが、心の中では、自分の58と彼女の63を比べて、がっかりし、自分を恥じていました。
ほんの数分前は、自分をほこらしく思っていたのに、人と比較したとたん、自分は劣っている、はずかしいと思ったのです。
比較するのがあたりまえの社会
皆さんも似たような体験をしているんじゃないでしょうか。
うれしく、ほこらしく思っていた気持ちが、突然、幻滅に変わったことが。
私のように学校で、もしくは、人間関係やお金、仕事、外見、ソーシャルメディアで。
人と比較することは、日常、よくあることです。私たちは、比較する社会に生まれます。生まれてすぐ、赤ちゃんの体重を測りパーセンタイルを調べます。
これはべつに悪いことではありません。赤ちゃんの健康のために重要なことです。でも、比較はここで止まりません。
その後も、いつ寝返りしたか、いつしゃべり始めたか、いつ歩き始めたか、ほかの赤ちゃんと比べます。
学校に入れば、すべてが、他の生徒と比較されます。大人になるとソーシャルメディアが比較を促します。
私は学校やソーシャルメディアに、「比較する社会」の責任がある、と言いたいわけではありません。ただ、人と比較することが、どこでも、ごくあたりまえに行われていると言いたいのです。
比較が問題なのは、片方の端(はし)に「よい/価値がある」という概念を置き、もう片方の端に、「悪い/価値がない」という概念を置いてしまうことです。
脳神経学のリサーチによると、比較をすると、痛みを司る脳の部分が活性化されます。誰かに比べて劣っていると感じると痛みが引き出され、恥(shame)の気持ちが生まれるのです。
人と比較して生きてきた
私の人生は、人と比較する人生でした。人の素晴らしさと自分を比べて、自分は決して、そこには到達できないと感じてきました。
自分は、充分よくない(good enough)、充分賢くない、充分おもしろくない、充分やせていない、充分きれいではない、その他、なんでも、充分ではない、と思っていたのです。
いろいろと比べた結果、「自分は充分ではない」という結論に至りました。「よい/価値がある」と「悪い/価値がない」という測りの、「悪い」というはしっこに自分を置いたのです。
比較をするとこういうことが起きます。自分自身を明確にとらえる能力がゆがんでしまうのです。
パフォーマンス(自分のしたこと)を他人と比べると、最終的に、自分のアイデンティや、自分が誰であるのか、比べてしまいます。この地点に到達すると、鏡に映る自分の姿が変わります。
人と比べるたびに鏡にひびが入り、びひだらけの鏡ができあがります。
理想の自分と比べることもある
私たちが比べるのは他人だけではありません。
ホームレスの若い女性の話を聞くと、彼女たちに一番の痛みをもたらすのは、他人との比較ではありません。
彼女たちが大きな痛みや悩み、恥を感じるのは、心の中で「自分はこうあらねばならない」と思っているその自分と、いまの自分を比べる時です。
子供のとき、夢見ていたような大人と自分は違うと思うとき、鏡に大きなひびが入るのです。
他人と比べるときも、自分の理想と比べるときも、鏡にひびが入り、本当の自分の姿がわからなくなります。鏡に映るのは、混乱し、ゆがんだ自分の姿です。
インスピレーショナルスピーカー(人の生き方などの講演をする人)のイヤンラ・ヴァンザン(Iyanla Vanzant)は、
Comparison is an act of violence against the self.(比較することは、自分自身に対する暴力行為です)。
こう言っています。
私はさらに進んで、「比較することは、自分を壊す最初の一歩」と言いたいです。
私たちの存在、私たちのすること、私たちがなりたいものすべてを、他人と比較して測ったら、個性がなくなるし、唯一無二の自分を奪うことになります。
人はバナナとオレンジを比べている
フルーツを使って例をお見せします。
ここにオレンジがあります。とてもいいオレンジです。丸くて、輝いていて、中はジューシーでしょう。このオレンジは、測りの、「よい/価値がある」端にあります。
このオレンジは、あるべき姿の縮図かもしれません。インスタグラムにのせるのに最適なオレンジです。
ここにべつのオレンジ(実際はバナナ)があります。このオレンジはがっかりする代物です。サイズが違うし、形も違います。
匂いも変。ジューシーとも思えません。このバナナは、測りの「悪い/価値がない」ほうの端にあります。このバナナは、オレンジとしては、完全な失敗作です。
もし私がこのオレンジだったら、自分に不満を感じます。朝、着替えるたびに、自分のサイズは間違っているし、形も間違っているし、そもそもまったくオレンジらしくない、と感じます。
不安を感じ、うつうつとし、生きることから引きこもってしまうかもしれません。私の核は、くずのオレンジだから。
バナナの価値をオレンジらしさで決めるな
比較をすると、私たちは、この2つ目のオレンジになってしまうのです。そうなるはずではないものと、自分を比較して、自分自身をジャッジします。
私たちはみな、ユニークであり、他の人と比較することはできません。人と比較するのは、バナナの質をどれぐらいオレンジと似ているかで決めるぐらい、ばかげたことなのです。
でも、みなさんはオレンジではなく、バナナなのです。超一流の素晴らしいバナナです。
私は自分のバナナ性、つまり「ローラであること」を大事にできるようになるまでに時間がかかりました。ローラとして立派になることではなく、「他の人のできそこない」になることに、時間をかけてきました。
しかし、自分はユニークな存在だから、他の誰とも比べられないとわかったとき、自由になれました。
ヒビだらけの鏡を修復するには?
これに気づいたとき、ヒビだらけの鏡を修復しなければなりませんでした。
比較することが、自分のイメージをゆがめると気づいたとき、どうやって、鏡を直せばいいのでしょうか?
4つのステップ、F・A・C・T(ファクト)を提案します。
許す(forgive)
最初のステップは、他の人にならない自分を許すことです。比較することから生じる競争から、おりることを自分に許します。
そして、「私はバナナであり、オレンジになるために生まれてきたんじゃない」と宣言します。
同時に、私たちを比較している他の人のことも許します。先生、両親、パートナー、その他誰でも、比較している人たちを許すことが、鏡を直す方法です。
受け入れる(accept)
次に、自分が誰であるのか考えるとき、自分の意見は必ずしも正しくはないということを受け入れます。
比較することを続けてきた私たちは、自分自身をはっきり見る能力が損なわれています。
自分の思考や感情が、自分を測るものさしとして、正しいとは限らないことを受け入れないと、自分自身を明確に見ることができません。
修正する(correct)
3つ目は修正です。正しい自分の姿を見つけるようにします。鏡のひびを直して、真実を見つけます。
他人の言うことを無視して、自分で見たり、外に出かけて真実を探します。
私にとっての真実は、「私は、すでに自分自身であるためのすべてを備えている」というものです。
たとえ、そう感じられないときでも。
教える(teach)
最後は自分に教えることです。新しいものの見方をするように、自分の脳をトレーニングします。
比較によってもたらされたものを正すように、脳に教え込みます。
脳科学によれば、いくつになっても、私たちの脳は、可塑性(かそせい)があります。可塑性があるので、時間をかければ、脳を変容することができます。
つねに意識を向けていることが、人生にとって大事なものになる、と脳科学ではわかっています。
自分はオレンジのできそこないだといつも思うことを選択すると、自分はそれを信じ、脳は、自分はオレンジのできそこないだと自分に言うのです。
自分は素晴らしいバナナだという事実に意識を向ければ、脳もそれを信じます。
自分の脳に教えるために、私は、まず、自分について感じるネガティブなことをすべて書き出しました。たくさんありました。
次に、自分が書いたネガティブなことひとつひとつについて、真実を見つけ正していきました。
それを何度も何度も何度も何度も繰り返しました。
どのぐらい繰り返すべきか?
10年後の今も、繰り返して教えていることがあります。時間はかかりますが、これが脳を変える方法です。ものの見方を変えるために、脳に教えこみ、トレーニングするのです。
自分は誰とも比べられない
この4つのステップをとれば、新しい事実(new fact)が表れてきます。
自分は誰とも比較することなんてできないという事実です。
鏡に映った像が、自分と同じ人などいないということ、自分が世界に貢献するのと同じことができる人はいないという事実です。
鏡で自分自身を見てください。比べることで、像がゆがんでいないか考えてください。
もし像がゆがんでいたら、F・A・C・Tを使って、修復できないか考えてみます。なぜなら、誰もが、超一流のすばらしいバナナであるということが、事実なのですから。
比較することをやめ、自分をオレンジのできそこないだと見るのをやめれば、そうわかります。
//// 抄訳ここまで ///
単語の意味など
dissartation 学位論文
insidious 狡猾な
elicit 引き出す、誘い出す
accolade 賞賛、賛美
annihilation 全滅
ludicrous こっけいな、ばかげた
plasticity 可塑性(かそせい:個体に外力を加えて変形させたあと、力を取り去ってももとに戻らない性質)、適応性、柔軟性
自分自身であるためのほかのプレゼン
たくさんありますが、7つだけ紹介します。
自分の気持ちをそのまま受け入れる勇気のパワーとその素晴らしさ(TED)
本当の自分はどこに存在しているのか?:ジュリアン・バジーニ(TED)
不安な心(ヴァルネラビリティ)に秘められたパワー:ブレネー・ブラウン(TED)
本当のことを話せば、ほかの人の本当の姿にふれることができる(TED)
比較せず自分を大事にする
不毛な比較をするたびに、鏡にヒビが入って、そのうち、本当の自分の像がゆがむ。
なかなか秀逸なアナロジーですね。
先日、「断捨離が終わったあと、素敵な物が欲しくなる。買い物欲を抑えたい」というメールをいただきました⇒どうしたら、今持っているもので充分、満足だと思えるか?
素敵な物が欲しい、もっと質のいい物が欲しい、と願うとき、たいてい他人の生活をなぞろうとしています。
比べているわけです。
ですが、表面的に真似してもうまくいきません。
うわっつらをなぞっているだけだと、何回、物を買い替えても、満足できません。
そもそも、自分がお手本に見立てているその人の生活が、自分にとって最適とは言えませんからね。
お手本は慎重に選んだほうがいいですよ。
自分にとって最適で、もっとも幸福に近づける環境は、自分が自分らしく生きられる場所だと思います。
自分らしくあるためには、人と比較するのはほどほどにしたほうがいいです。
鏡にヒビが入るだけでなく、家によけいな物が増えます。すると、ますます本当の自分がわからなくなります。
ローラさんは、「比べることは、自分をこわす行為」だと言っていました。
比べることは、自分を大事にしないことなのです。
物で幸福になりたいと願う人は、外に幸福を求める傾向があると思います。
身の回りにある物や、ほかの人の言動によって、幸せを得たいと願うのです。
ですが、自分を幸福にできるのは、自分自身だけです。外側ばかり見るのではなく、自分の中にある、本当の自分を大事にする道もあるということを知ってほしいです。
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脳は変容するけど、何回も教えなければならない。
本当にそうですね。
物の断捨離は、比較的、短期間でできますが、心の断捨離はそういうわけにはいきません。
考え方のくせはなかなか直らないので、私も、地道に時間をかけて取り組んでいます。