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プレゼントの断捨離に関する質問をいただきました。この記事で回答します。
3年前、友人が新居祝いに時計をくれた。1年後、私はその時計を処分した。
くれた友人が、ゴールデンウィークに我が家に遊びに来る。時計がないことに友人が気づいたらと思うと心配だ。
この気持を整理するにはどうしたらいいか?
こんな内容です。
あなたならどうしますか?
まずメールをシェアしますね。いずもさんからいただきました。いずもさんは40代半ばの方です。
贈り物を捨てたことを強く後悔しています
件名:ウエッジウッドの写真立て
91歳のタクシードライバーの話等」の記事、とても感動しました。
これからいっぱいこの言葉を使わせていただこうと思います♪
さて、わたしは以前
「努力してもどうしても手に入らないモノ(子供)」についてご相談させていただき、お返事いただき感謝しております。
少し弱気になったときは
「いますでに持っているものにフォーカスする! 他人と比べない!」の記事をココロでいつもつぶやきながら立ち上がってます。
すばらしい数々の記事にいつも感謝しております。
さて、今日はまた小さな悩みができてメールしております。すみません。
贈り物の処分についての記事はいくつかもちろん読んでいるのですが、いざ自分にふりかかるとやっぱり悩んでしまっております。
詳細は
3年前に家を新築したさい、幼なじみの女の子から新築祝いにウエッジウッドの写真立てとクロックのセットが送られてきました。
1年くらいは飾っていたのですが、その後、筆子ジャーナルの大ファンになり激しい断捨離ブームが到来しました。
家中の処分市(笑)が繰り広げられ、例外はなくそのウエッジウッドも行きつけのリサイクル店に処分しました。
その彼女が今年のGWにうちに初めて来訪してくれることになり、
昨日またリサイクル店に、別のものを処分に行ったさい、売りにでている私の売ったウエッジウッドのセット品が目につき、買い戻そうか、かなり悩みました。
今思うと彼女が来訪してくれたあとに処分すればよかったのに、大断捨離ブームのわたしは家中のものをかなり処分したので、今回悩む羽目になりました。
彼女はお父上の設計された舶来モノが沢山飾られた大きな格式高い実家で育ちました。
小学3年生からのつきあいですが、高校・大学と少し会わなかった期間もあったのに、数年前、街でばったり再会し、最近少しおつきあいが復活し、飲みに行ったり、一緒にイギリスやバリに旅行に行ったりするようになったので、新築のお祝いまでしてくれました。
「贈答品は受け取った時点でもうキモチも受け取っているから、あとは自由にしたらよい」のは本当によくわかっているのですが
礼を重んじる日本人魂の底の底が、今回の事件でうづいてしまいます。
あと1週間。
観察眼のある彼女が写真立てがないことに気づくのは必須で、それを考えただけで食欲がなくなります。。。
大量に断捨離したもので後悔したものはほとんどないのに、リサイクル店で見てしまったあの写真立てが頭から離れません。
一度、買い戻しまた処分しようか。。。と馬鹿なことも考えたりしましたが、れもどうかなあ・・・と。
この思いをどう断捨離したらいいか、ご意見聞かせてください。
いずもさん、お便りありがとうございます。
いつもブログを読んでいただき、うれしいです。お友達はGWに遊びに来られるそうなので、早めに質問に回答することにしました。
友達が写真立てがないことに気づくと思うと、食事もろくろくのどを通らない。
それは大きなストレスですね。
いっそ、写真立てを買い戻したほうが手っ取り早いと思うかもしれませんが、これでは何の解決にもならないので、おすすめしません。
プレゼントをくれた人と行動をともにすることになるたびに、贈り物を捨てた罪悪感で食欲がなくなったり、リサイクル店に売り払った物を買い戻してまた売ったりする。
これって、無駄が無駄を再生産しているだけです。
いずもさんの心の中に無駄なガラクタがあるから、新たに無駄な行為が生じるのです。
よって、解決するのはごく簡単。心の中のガラクタをきれいさっぱり捨てればいいですね。
3つの考え方を書くので参考にしてください。
1.いまの価値観を捨て、新しい価値観を採用する
いまの価値観を変えれば、もうそんなに悩むことはありません。
3年前にもらった時計を捨てたことがばれたらどうしよう、と悩んでしまうのは、いずもさんの中に、以下のような価値観があるからではないでしょうか?
私が誰かに贈り物をしたら、その人は3年後も(もしかしたら永遠に)、変わらずその品物を使用するべきである。たとえそれを好きでなくても、気に入っていなくても、邪魔だと思っていても。
そうしないのは人の道にはずれたことであり、礼儀知らずなことである。そんな人とは友人関係を結ぶべきではない。
例を上げます。
いずもさんが、「筆子さん、いつもブログでお世話になっているから使ってください」と私に、ブランド物の写真立てをくれたとします。
私は、ありがたくもらい、娘の写真を入れて、机の上に飾りました。1年後、邪魔になったので、近所のリサイクルセンターに持っていきました。
写真立てを贈った3年後、いずもさんは、筆子ジャーナルで、「捨ててよかったもの。読者にもらった写真立て」という記事を発見します。
そこには自分があげた写真フレームの画像までのっていました。いずもさんは、私の行動が許せません(ブログに書いたことではなく、私が贈り物を捨てたことに対してです)。
ここで質問ですが、いずもさんは、本当にそんな人になりたいですか?
自分の好意を示すためにあげたプレゼントを、相手が気に入っていなくても、無理にずっと使い続けることを強いるような人に。
あげたことをいつまでも覚えていて、相手が使っていないのを発見したら、怒りを感じるような人になりたいですか?
自分のプレゼントのせいで、相手がご飯も食べられないほど悩んでしまう状況を作りたいと願っていますか?
そうじゃないと思います。
プレゼントは、あくまで自分の気持ちを示すためのもの。
相手が喜んで受け取ってくれればそれでよし。そのあと、相手の生活が変わって、当人がそのプレゼントを処分したとしても、それは相手の決めることだ。
私は、どこまでも相手の幸せを願っているのだから、相手のいいようにしてくれればそれでいい。
私はこういう価値観を持っているので、いずもさんのような状況になっても、別に悩みません。
もちろん、ブログの記事にするなんてのは、あくまでたとえ話です。わざわざ相手にギフトを捨てたことを知らせたりしないし、そもそも不用なプレゼントはできるだけもらわないようにしています。
2.現実と憶測をごっちゃにするのをやめる
次におすすめするのは、取り越し苦労をしない、ということです。
以下のことは、すべていずもさんの憶測であり、勝手な思い込みですよね?
・友達は観察眼がするどいから、3年前にあげたプレゼントが、いずもさんの家にないことを必ず発見する。
・自分の贈り物が飾られていないことに対して、いたく落胆し、怒りを感じる。
・友達は、いずもさんは、礼儀知らずだと思う⇒そんな人とは友達でいたくないと思う。
このシナリオはいずもさんの頭の中のみで展開されていることです。
もしかしたら、現実に起こることは全然違うかもしれませんよ?
それとも、必ずこうなる客観的な証拠がありますか?
お友達は格式高い家の出身だそうですが、そういう家で育つと執念深くなるんですか? 人の家に飾ってあるものを、1つひとつ品定めして、「たいしたことないわね。ふふん」なんて、鼻を鳴らすような人なんですか?
お金持ちの家のお嬢さんはどちらかというと、おっとりしていると思うのですが。
たぶん自分のあげた贈り物のことなんて、もうすっかり忘れている。
こんな可能性だってあります。
いずもさん、こちらの記事を読んでくれたのですよね?⇒ネガティブ思考を直してくれる楽しい質問(TED)
もしかしたら、いま、起こりうる最悪の事態だけに意識を向けているんじゃないですか? ほかの可能性は全く視野に入れずに。
それに、育ちのいい人は、たとえ、「あ、私のあげた写真立てと時計がどこにも飾ってない」と気づいたとしても、そのことを指摘なんてしません。
指摘したってお互いに気まずくなるだけですから。
仮に、友達に「写真立て、どうした?」と聞かれたら、「とてもきれいでもったいなくて、使えなくて。大事にしまってあるの」と言えば、穏便にすませられます。
友達に嘘をつくことになりますが、こういう小さな嘘は、いわゆる ホワイト・ライ(white lie 善意からつく嘘)ではないでしょうか?
写真立てを買い戻して、友達が来たときだけ飾り、その後、また売り払う、というのは、私には、もうホワイト・ライではなく、虚飾に思えます。
もし、友達に「え~、やだ~。せっかく、高いのをあげたのに。ちゃんと使ってくれなきゃいや。もう友達じゃない!」と言われたら、そんな人は、こちらから願い下げです。
3.他人の感情をコントロールしようとしない
よく書いていますが、自分のコントロールできないことは、コントロールしようとしないほうがいいです。
相手がどう思うか、相手がどんなことに幸せを感じるか、相手がどんな反応をするか、なんてのは、すべて、自分がコントロールできない領域なのです。
関連記事⇒夫が断捨離を邪魔しても「他人はコントロールできない」ことを知っておく
友達が、自分が贈った写真立てがないという事実に対して、どんなふうに反応するかは、友達の責任領域です。
「こういうふうに反応してもらいたい。だから写真立てを飾っておかないと困る」なんて悩むのは、友達の反応を支配したい気持ちの表れではないでしょうか?
もちろん、誰だって自分の友達には楽しい思いをしてもらいたいし、ハッピーでもらいたいから、遊びに来てくれれば最大限のおもてなしをするでしょう。
ですが、自分でできるのは誠意をもって友達づきあいをするところまでです。
自分の行動に対して、友達がどんなふうに感じるかは、友達の好きにさせてあげるべきだと思います。
友達は、自分の感じたいように感じ、したいようにする自由があります。
それはいずもさんだって同じですよね。
いずもさんは、人のことはほっといて、ご自身の暮らしの質をあげることに、フォーカスするべきです。
なぜ、いずもさんは、物を大量に断捨離したのでしょう?
もっと自分らしい暮らしをしたいと思ったからですよね? 自分がハッピーになることを優先したから、ウエッジウッドの写真立てを処分したのだと思います。
それとも、もっと他人軸の別の動機があったのでしょうか?
一人ひとりが自分や自分の生活を大事にすることができれば、それは他人の生活を尊重することにもつながります。
こちらを読んでみてください⇒人をコントロールしようとする心を捨てる7つの方法。おせっかいはストレスの元。
贈り物の断捨離、その他の関連記事
最後に、プレゼントの断捨離に関係のある記事を3つと、取り越し苦労に関する記事にリンクしておきます。もう一度、自分ごととして読み直してみてください。
リンク先の記事にも古い記事へのリンクがあります。
不用な贈り物を捨てられないのは、世の中の人全員に好かれたいと思っているから。
取り越し苦労をやめる7つの方法。先のことを心配して物をためこむあなたへ。
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今回は、贈り物を捨てたことを後悔している読者の質問に答えました。
贈り物は、もらったらもう自分の物なのです。
自分の物として、処分できない人は、誰かに何かをあげるとき、物をあげることで、相手をコントロールしようとしているのかもしれません。