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断捨離をする時、人が感じがちな不安感や恐怖を検証し、それを克服する方法を提案するシリーズ。
7回目は、「自分がなくなってしまう」という不安を取り上げます。
これまでずっと大事にとっておいたもの(実際は、押入れの中につっこんであっただけでも)をいざ捨てようとすると、「自分がなくなりそうだ」と不安を感じることがあると思います。
あのときがんばった自分、楽しかった時間を過ごした自分、幸せだった自分など、自分の一部(アイデンティティ)が消えてなくなりそうだから、捨てられないと思うわけです。
私はいつも、「物がなくなっても、自分はなくならないから大丈夫だよ」と言っていますが、なかには、そう思えない人もいるでしょう。
そんなとき、やってみるといいことを5つ紹介します。
1.物の価値だけを考える
今捨てようと思っているもの(数十年分の領収書やお薬手帳、昔書いたノート、昔読んでいた絵本や使っていたおもちゃなど)を、いったん自分や思い出と切り離してください。
それらを、ただの物だと思った場合、どれぐらい価値があるでしょうか?
物自体の価値と思い出品としての価値を区別して考えると、物としての価値はたいしてないと思います。
つまり、そういう古いものに価値を与えているのは、自分です。
他人から見たら、ほとんどゴミみたいなものに、勝手に価値を与えて、捨てられない状況を作り、汚部屋を作って悩んでいるのは自分なんです。
他人や外的状況はまったく介入せず、自分だけがやっていることなので、考え方を変えれば、この状況を変えることができます。
2.代表選手を選抜する
自分が価値を与えているだけなので、目の前にあるすべての物に漫勉なく価値を与えるのではなく、一部だけに価値を与え、ほかは捨ててはどうでしょうか?
たとえば、領収書を30年分、まるごと取っているなら、各年の自分の誕生日だけの領収書を残すとか。
こうすると、30枚だけになります。
正直なところ、不用な領収書なんて、1枚たりとも残す必要はありません。
でも、過去の仕事の書類を捨てない人や、あらゆる遺品を捨てない人は、そういう考え方をしたことがないから、そう考える神経伝達回路がないのだと、最近、私は思っています。
私の夫も、古いものを捨てないタイプで、私がきわめて論理的でまっとうな「捨てる理由」を夫に言っても、全く受け付けません。
ですから、いきなり全部捨てようとするのではなく、一部のものだけに、自分のアイデンティティを担わせる作業をやってみてください。
山のようにある領収書から、1枚だけ抜き出すのは、けっこう面倒な作業なので、やっているうちに、馬鹿らしくなり、「すべて捨てたほうが早い」と気づくかもしれません。
そう気づけなかったとしても、大量にあった領収書が30枚になれば、ずいぶん、管理が楽になるでしょう。
3.変化と成長を受け入れる
過去の自分と今の自分はずっとつながっているので、どんなにがんばっても、過去のアイデンティティだけを失うことはできないと思います。
過去のアイデンティティは今のアイデンティティの中にあるんです。
ただ、時間がたつうちに、人は成長したり、変わったりするから、昔の自分と今の自分ははずいぶん違うと思うだけです。
でも、それは当然のことですよね?
生活環境も自分自身も変わっていくのはあたりまえのことです。
人は変わり続ける。未来の自分に対する心理:ダン・ギルバート(TED)
この変化を前向きにとらえてください。
そうすれば、過去の自分を象徴しているものをたくさん持っていなくても、今の自分さえ残っていれば、毎日、楽しく生きられると思います。
4.未来に焦点をあててみる
過去に執着するのをやめて、未来のほうを向くと、「古いものをいっぱい持ちたい」という気持ちから自由になれるかもしれません。
ドラマや映画では、しばしば過去を生きようとする人々が出てきますが、やっぱり無理があると思います。
無理があるから、過去を生きようとする人たちは、後悔したり、自責の念にかられたりして、いろいろ苦しむのではないでしょうか?
どんなに過去を生きたいと思っても、私たちは、現在しか生きられません。
これは、人生の大原則みたいなものです。
原則に逆らって生きるのは、不自然なため、多大なストレスをもたらします。
古いものを前にして、過去の思い出にひたる時間の4分の1でもいいから、たまには、前を見るようにしてください。
後ろを見るか、前を見るかは、その人の考え方のくせだです。
過去にすごく悔いが残っている場合、前を向くことができないので、気持ちの整理をしてください。
物と向き合って気持ちの整理をしたいなら⇒思い出は心の中にあるから物はいらない。こう割り切れない時の気持ちの整理の仕方。
自分と向き合って気持ちの整理をしたいなら⇒頭の中のガラクタを断捨離するブレインダンプのやり方
5.代替品を見つける
古い領収書や事務的な書類が自分のアイデンティティと強く結びついていて、どうしても捨てることができない。
そうした書類が入っている箱がいっぱいあって、押入れの大部分を占拠している。
そんなときは、代替品を用意して、本体は処分してはどうでしょうか?
紙束じゃないものに、自分のアイデンティや過去の楽しかった時間を象徴させて、それをキープすればいいのです。
代替品は何でもいいですが、できるだけかさばらないものがおすすめです。
たとえば、すでに成人した子供が、幼いときに書いた作文や手紙、絵を捨てられないときの代替品は、子供の写真数枚か、今、現在大人になってしまった子ども自身でまかなえると思います。
以前、記事に書いたことありますが、私は、娘の子供の頃の筆跡をかわいく思い、写真に取って残したことがあります。
詳しくはこちら⇒痛い経験から学んだ子どもの物の捨て方のコツ(写真つき):ミニマリストへの道(86)
今を去ること、11年前の2012年に、娘の小学校時代の6年分のアジェンダ(生徒たちがもつスケジュール帳、日本で言うと連絡帳みたいなもの)の表紙の撮影をして、各年のアジェンダから、1ページだけ、娘の筆跡を撮影しました。
その写真は、すべてかつて書いていた日記ブログに写真をアップしてありますが、ブログの写真が小さすぎて、ほとんど筆跡がわかりません(元データは削除しました)。
でも、読めなくてもどうということはありません。
過去の思い出を残したいと、必死にデジタルでアーカイブを残したとしても、意外とあとで見ませんよ。
結婚式のビデオだって、多くの人は、1回しか見ないんじゃないですか?
毎年、結婚記念日に夫婦で見返している、なんてことはないですよね?
見返さなくても、今、十分生きていくことができるからです。むしろ、見返しているほうが気持ち悪いです。
捨てようとするとき、失うのがいやだから、書類やビデオがすごく大事なもの思えるかもしれませんが、実際は、今、自分が生きていくうえで、そこまで重要なアーカイブは、そうそうありません。
■この続きはこちら⇒将来、必要になるかもしれない:物を手放すことに対する不安と恐怖(その8)
■このシリーズを最初から読みたい方はこちらからどうぞ⇒物を手放すことに対する不安や恐怖に向き合う(その1)~どこから始めたらいいの? という不安。
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自分のアイデンティティと深く結びついている物を捨てる考え方を紹介しました。
太平洋戦争で、特攻隊員だった人の証言。このような記録は、残して、後世に伝えるべきだと私は思います。
でも、数十年前に、自分がお金をつかった記録なんて、残す必要がありますか?
そんな記録は、べつになくても、今日を生きるのに何も困りません。
むしろ、そういう記録を紙で大量に持っているほうが、生きる邪魔をします。