ページに広告が含まれる場合があります。
不用品を捨てられない心理の背後には、2つの感情があります。
1.恐怖
2.罪悪感
恐怖については、過去記事で何度か語りましたので、今回は罪悪感の扱い方をお伝えします。
捨てても捨てなくも罪悪感はなくならない
物を捨てるのが苦手な人は、こんな罪悪感を感じて捨てないことを選びます。
●すごく高かったからこのまま捨てるなんてもったいない
●これはプレゼントだから捨ててしまうとくれた人に申し訳ない
●これは先祖代々受け継いだものだから、私が捨てると母や祖母に悪い
●使おうと思って買ったのに、全部無駄になってしまった。とても捨てられない
罪の意識は、自分が自分で決めたルールや価値観に即した行動をしなかったと感じたときに起きます。
人はうまくいかなかったことすべてに対して罪悪感を感じるものです。
だから、「この雛人形はプレゼントだから、すごく邪魔でずっとしまいっぱなしだけど捨てられない」と思って、捨てないでいると、別の罪悪感が生まれます。
すなわち、「いらない物をいつまでも持っている自分」「片付けられない自分」「シンプルに暮らしたいのに、ぐしゃぐしゃな部屋で暮らし続けている自分」「主婦なのにちゃんと掃除ができない自分」に対して罪悪感を持つのです。
捨てても捨てなくも罪悪感を持ち続けるとしたら、どちらの罪悪感を選びますか?
私ならいらない物を捨てて次に行くほうを選びます。
「これでさっぱり捨てられる」と思った人は、さっそく片付けに入ってください。
納得できない人は、罪悪感に意識を向けすぎるのをやめたり、行動を修正するきっかけとして利用してはどうでしょうか?
以下のように考えるとうまくいきます。
1.そもそも今、罪悪感を感じる場面なのか?
今、心に湧き上がっているその罪悪感は、いつまでも感じ続けるべきものなのでしょうか?
断捨離中に罪悪感を感じたら、その罪悪感の正体についてちょっと考えてください。
捨て活動中に感じる罪悪感は、たいてい過去の自分の行動に対する批判的な思いです。
「こんなに買うんじゃなかった」「こんな物もらうんじゃなかった」「すぐ片付ければよかった」というような。
罪悪感にはもっと重大なものがあります。
人としてやってはいけないことをやってしまい、警察につかまって留置所に入ったり、裁判にかけられて、罪をつぐなっているとき、大きな罪悪感を感じるでしょう。
はからずも大切な人を裏切ってしまったら、罪を問われることはないにしても、何年も罪の意識にさいなまれるかもしれません。
こんな罪悪感に思いをはせたとき、今自分が感じている「~すべきじゃなかった」という気持ちは、多大なエネルギーを使ってどんよりするほどもものでもない、と気づくかもしれません。
中学校の修学旅行のおみやげで友だちにもらった人形を捨てることに、そこまで罪悪感を感じるべきでしょうか?何年も手をつけていない、手芸の材料を捨てることに、もんもんと罪の意識を感じる必要なんてあるのでしょうか?
単に物に執着して、捨てない理由を見つけたいから、「罪悪感を感じちゃって」と思っているだけかもしれません。
2.自分でコントロールできないことはあきらめる
義理の親や実の親から文化遺産的な物をもらって困ることがあります。
自分には着物や焼き物を、子供には大きな雛人形や五月人形などを大量にもらってしまった、こんな人もいるかもしれません。
もし、しまう場所がなくて持て余しているなら捨ててもいいと思います。
文化遺産ふうの物なので捨てるのに抵抗があるかもしれませんが、押し入れの中にしまいこんでいても何の役にも立ちません。
他人はコントロールできないので、もらってしまったのは自分のせいではありません。
できるだけもらわないようにするべきだと思いますが、他人の贈り物を完全に突っぱねることもできません。
親はたいてい好意でくれるのでしょうから。
欲しくはないのに、もらわざるを得なかったものは仕方がなかったのです。だからそういう物を捨てることに罪悪感を感じる必要はないです。
贈り物をくれた気持ちにだけ感謝して物は手放せばいいのです⇒いらないプレゼントがある。捨てるべきか、捨てざるべきか?
着物の捨て方を書いています⇒親が買ってくれた着物を断捨離する方法。捨てることで幸せになる方を選ぶ
3.罪悪感を感じることが人を成長させる機会になる
「こんなにたくさん本を買っちゃって全然読んでない。無駄遣いしちゃったな、私って本当にバカだよ」。こんなふうに過去の自分の愚かな行動に罪悪感を感じたら、反省して仕切り直すチャンスです。
人が自分の行動に罪悪感を感じるのは、脳がそれ以上の暴走を止めようとしてくれているのだと思います。
買い物しすぎて、「また買ってしまった」と嫌な気分になるのは、「ちょっと買いすぎですよ」と脳が自分に教えてくれているのです。
いや~な気分になったら、次はそうならないための行動に出てください。
私も、物を増やしすぎて断捨離し、軽くリバウンドし、また減らし、とやっていくうちに、失敗から学んで、あまりよけいな物は買わなくなりました。
罪悪感を感じているときは、過去の失敗から学んで、前進するチャンス。
新しい自分になるためには、「私ってだめな人」とうじうじする状態でとどまらず、「えいっ」と捨てるべきなのです。
それもできるだけ早く。
4.失敗を認める勇気をもち、修正する
3番に書いたように、自分の行動に対する罪悪感は脳の軽い警告です。「こうするべきだった」と感じているとき、そのまま何もしないと、過去の失敗を繰り返すことになります。
「ああ、もったいないことをした」と感じたら、いさぎよく自分の失敗を認めてください。
「そんなもったいないことをしてしまったのはまぎれもない自分なのだから、責任をとろう」と考えればいいのです。
自分の責任なので、文字通り自分で片をつけます。
人に押し付けたり、人に捨てさせたりしないほうがいいです。その物がこわれたり、消えてなくなる(なんてことはないのですが)のを待つのではなく、自分できっちり捨てるべきです。
それが自分の生き方を修正することにつながります。
5.ベストを尽くしたならそれでいいじゃない
もしあなたが完璧主義なら、はからずも物をたくさん溜め込んでしまっても、自分を責めるべきではありません。
完璧主義の人はたいていまじめですから、たくさん溜めた物をきっちり収納していたりします。おそろいのコンテナにラベルを貼って、押し入れや棚にきれいに並べているかもしれません。
ところが、筆子という人のブログを読んだら、そもそも収納しようとすることが間違っていると書かれていました⇒いつまでたっても断捨離が終わらない人は収納のワナにはまっている。
言われてみると確かにそうです。
「どうしてこんな当たり前のことに気づかなかったのかしら?」完璧主義の人は、自信を失い、自分を責めます。
これまで収納ケースや収納雑貨に投資したお金が悔やまれてなりません。
「なんてバカなことをしたんだろう」
ショックで片付けができないかもしれませんが、過去の自分は、今の自分とは違うのでしょうがないのです。昔は、収納することが物を増やす大きな要因であることに気づいていなかっただけなのです。
方向は間違っていたけれど、自分はベストを尽くしたのです。
ベストを尽くしたのだからいいのではないでしょうか?
罪の意識など感じる必要はなく、すみやかに軌道修正すればいいのです。
6.誰でも失敗やミスをする
長年に渡る洋服の無駄買い、買っただけで満足してほとんど読んでいない積ん読本、意味もなく集めてしまった数々の雑貨⇒人はなぜ物を集めたがるのか?~私はこうして収集癖を断捨離しました
50年以上生きている間に私は数々の失敗をしました。
今でも毎日小さな失敗を繰り返しています。
ですが、失敗をしない人なんていないのです。
失敗するのは当たり前なので、「あ、失敗した」と思ったら、次からは同じ失敗をしないように行動を修正すればいいだけです。
「あんなことするんじゃなかった」「どうしてこんなにいらない物を買ってしまったのか」と罪の意識にとらわれるのは長くても1分ぐらいにとどめるべきでしょう。
自分の失敗を受け入れて前進する道を選んだほうが明るい人生になります。
7.大げさに考えるのをやめる
物に対して大げさに考えすぎていることがあります。
こんなふうに思うことはありませんか?
●誰かに何かをもらったら、一生持ち続けなければいけない
●家族から置物をもらったら一生見えるところに飾り続けなければいけない
●何かを買ったら、100%フルに活用しなければならない
●スマホやタブレットを買ったら、最大限の機能を使いこなさなければいけない
●雑誌や新聞は隅から隅まで読まなければならない
「そうできない自分はだめな自分だ、物を活用できなくてもったいない」と。
ふだんは見向きもしない物なのに、いざ捨てようとすると、こんな思いに囚われる人がいます。
ですが、こういう考え方で自分を縛るのは間違っています。
物は物でしかないのです。少しの間だけでも、便利に使えたり、自分の心を豊かにしてくれたら、それでいいのではないでしょうか?
もう不用になったら、手放して、誰かほかの人に使ってもらえばいいのです。
貧乏性の人は、「買ったからには、とことん使い倒さなければ」という過大なミッションを自分に課し、身動きできなくなるものです。
ほかでもない、この私がそうでした。
=======
今回は断捨離中に感じる「罪悪感」との付き合い方を書きました。
自分を責めることが好きな人は、感じる必要もないのに罪悪感に囚われることがあります。
断捨離中の罪悪感は、そこまで深刻に悩むものではないですし、罪悪感を感じても、うまく将来につなげればいいのです。
今度罪悪感を感じたら、自分の心の動きを客観的に見て、適切な方向に舵を取ってください。