ページに広告が含まれることがあります。
2018年の4月に、「実家の自分の部屋の断捨離」という記事を書きました。
あれからほぼ8年。状況は大きく変わりました。
今回は、その後の話をします。
8年前は、まだ本が19冊と家具が残っていました。
でも、今、私の手元には実家にあったものはほとんどありません。
実家そのものも、もうありません。
残したものは、結局どうなったか
2018年の記事を書いたあと、私が日本に帰ったのは2023年の秋でした。
私は5年に1回程度しか里帰りしないので、5年ぶりの帰国です。
里帰りした目的は、不動産取引です。実家の土地の一部が私の名義になっていたので、弟と母、弟の嫁の名義に変更しました。
名義変更が終わると、すぐに土地と家は売りに出されました。
実家がなくなったあと、母はサポート付きマンションで暮らすのがいいと弟は考えていたのです。
このときが、実家で自分のものを処分する最後のチャンスでした。
前回の里帰りで捨てきった
本は、里帰りするたびに少しずつ捨てていました。
私は本をたくさん持っていたので、20代後半から、せっせと捨てていたんです。
ものだらけの部屋にうんざりして、断捨離を始めたとき(当時、断捨離という言葉はまだなかったと思う)、最初に手をつけたのは大量にあった雑誌、『Olive』(オリーブ)です。
なぜ家の中にうんざりするほど物があるのか?(その1)~買い物のしすぎ。
8年前の記事に書棚の画像を入れたので、それで確認できますが、2018年の春、私の書棚には、『映画術 ヒッチコック・トリュフォー』という本がありました。
トリュフォーがヒッチコックにしたインタビューをまとめた本です。これは私の愛読書の一冊ですが、大きくて重いので、カナダに持って帰るのは無理だと判断しました。
フランス語版も英語版もあるし、映像も見られます。必要ならオリジナルを見ればいいと考えて手放しました。
雑貨や服は、2023年以前にほぼ捨て終わっていましたが、この時、デスクや洋服ダンスの引き出しに少し残っていたものを完全に捨てきりました。
家を売ることがわかっていたので、中途半端に残すわけにはいきません。
本や雑貨を処分した
本はすべて廃品回収に出しました。
「古本屋に持っていけばお金になるのでは?」と思う方もいるかもしれません。
でも、私は本を処分するとき古本屋を利用したことは一度もありません。人に譲るか、廃品回収に出すようにしています。
理由は、時間がないこと、そして目的は捨てることだからです。
断捨離のゴールは捨てることであって、お金にすることではありません。余計なことをしようすると、捨てるという目標を達成できなくなってしまいます。
不用品を処分するときはお金にすることを考えないとシンプルにできる
写真はどうしたかというと、母と弟に任せました。
私はもともと写真が好きではないので、そんなに枚数はありません。
子どもの頃の写真、たとえば、幼稚園時代の昭和の横長のちょっとレトロな写真アルバムは、自分のものというより母のものだと考えました。
ふだん、実家の私の部屋のベッドで母が寝ていたので、家具は残しました。そのうち、母が今のマンションで使っているものもあります。
大きな洋服ダンスや壊れかけた本棚は、処分したはずです。
2024年、実家そのものがなくなった
2024年の春、母はサポート付きマンションへ引っ越しました。
今年の春93歳になる母はいたって元気です。ただ、物覚えが怪しくなっていて、一人では少々心配な状態です。
ちなみに、このマンションは、特別な介護が必要な人は入れません。
実家がいつ売れたかは正確にはわかりませんが、私はときどき実家の住所をGoogle Mapで見ていました。
ノスタルジアでしょうか。
去年見たときは、更地になっていました。
さきほど確認したら、2025年3月初めに撮影されたモダンな家の建築中の写真が表示されていました。
築55年の実家は、もう跡形もありません。
母は4人家族向けに建てられた平屋に50年以上住み、その間、一度も引っ越していなかったので、ものがたくさんありました。
私のものは捨てましたが、弟と弟の嫁の古いものも残っていたはずです。
そうしたものもすべて、母と弟が処分しました。
いずれにしろ、実家という「いつでも帰れる場所」は、なくなりました。
何も残っていないけど、困っていない
今、私の手元には実家から持ってきた本が数冊あります。
大半が語学関係の本です。
それ以外には、実家で使っていたものはほとんどありません。
でも、「あれがあればよかった」と思ったことは、一度もありません。
そもそも何を持っていたのか、思い出せません。
今、この記事を書くために、過去記事にある自分の部屋の写真を見たら、「ああ、そういえばあんなもの、あったな」と気づきました。
ものを捨てると、それぞれのもののことは忘れます。
でも、そこで過ごした時間の感覚や、価値観の土台みたいなものは自分の中にあります。
必要なときに、匂い・音・季節・言葉がきっかけになって、ふっと思い出が立ち上がってくると私は考えています。
つまり、不要なものを捨てても、実際はほとんど困りません。
ひっかかることがあるとしたら、不安や罪悪感、あるいは思い出の置き場がなくなる気がすることです。
でも、こうした気持ちは自分で整理できます。
実家があるうちに動いてよかった
実家があるうちに、自分のものを処分しておいてよかったと思います。
理由はいくつかあります。
まず、自分で選んで手放すことができました。
母や弟に全部任せずに済んだので、後悔もありません。
「親に申し訳ない」という気持ちも減らせました。
実家を母と片づけたときに、古いものを見ながらコミュニケーションできたのも楽しい思い出です。
大々的に断捨離をしたあとも、母は、一人でものを片づけるようになりました。
事前に自分のものだけでなく、母と家のものをかなり捨てたので、最終的なダウンサイジングは楽だったと思います。
もし、私が何もせずに放置していたら、母と弟にすべての負担がかかっていたでしょう。
私は実家が遠くにあったので、まめに片づけに帰ることはできませんでした。
そこで、5年に1回の里帰りのときに、せっせと捨て活をしました。
私が自分のものを一生懸命捨てるのを見て、母も、ものを捨てる生き方になじんでいきました。
実家には大量に通販のカタログが届いていたので、私がメールや電話で止めました。
その後も、カタログが届いているか母にメールや電話で聞いてフォローアップしました。
大半の実家は永遠にはないと思います。
いつか、なくなる日が来ます。
そのとき、自分のものをどうするか、早めに考えておくといいかもしれません。
◆実家の片づけ関連記事◆
おわりに:ものを手放しても、大切なものは残る
実家にあった私のものの行く末についてお話ししました。
実家の断捨離の記事に書いていますが、実家を出たら、「もうそこは自分の家ではない」と考えたほうがいいかもしれません。
でも、そこで過ごした時間は、自分の中に残っています。
実家にたくさんのものをキープしておかなくても、その記憶があれば十分だと思います。














































