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物を捨てたいけど、捨てられず悩んでいるあなたに、最近私が考えついた捨て方のコツを1つお伝えします。それは自分の物を「おうちの子」だと考える方法です。
今、片付けや物の捨て方に関する本が、本屋さんで1つのコーナーを作っています。本だけでなく、雑誌でも、毎号のように断捨離の仕方が特集されています。
近藤麻理恵さんのような片付けコンサルタントや整理収納アドバイザーといった、いわゆる片付けや捨てるプロが、各種メディアで情報を発信しています。
インターネットでちょっと探せば、プロのアドバイスから、私のような「経験者は語る」的な体験談であふれていますよね。
ですが、家の中のものを減らすことができなくて苦労している人は、相変わらずたくさんいます。
それはなぜでしょうか?
物が減らない3つの理由
物減らしできない理由は3つあります。
1.物を捨てるべきなのはわかっているけど、結局捨てることができない。
2.買い物を続ける習慣を断ち切れない。
3.本気で捨てたいと思っていない(なんとなく断捨離してる)。
今回は、1番の捨てることができない、という問題の解決を試みたいと思います。私独自の仮説である、『自分が所有しているものは、すべて「おうちの子」だ理論』を展開するつもりです。
その前に、2番と3番にも軽くふれておきますと、買い物は、自分が買い物しすぎている事実に気づいて、生活習慣を変えることで、やめられます。
買い物のやめ方⇒買わない習慣を身につける方法を書いた記事のまとめ
「少しは物がないとかえって居心地悪いし」「ミニマリストみたいな非人間的な暮しには賛成出来ないわ」と考えるのはいいのです。いいのですが、それを買い物をする言い訳にしているのではないか、という点を考えてみてください。
買い物をしていたら、物は減らないわけで、部屋もすっきりしないのは当然です。両方手に入れようなんて虫のいい話です。
3番に関しては、ほかの人にどうこうできる問題ではありません。本人のやる気次第です。
では、1番の『自分が所有しているものは、すべて「おうちの子」だ理論』長いので「おうちの子理論」を説明します。
人はさまざまな境界線をひいて生きている
断捨離は、ただいらない物をポイっと捨てるだけでいいのですが、そんなに簡単にはいきません。
私の経験や捨てられない人(夫や母)を見た体験からわかったことは、人は自分の家や持ち物に感情的に強い結びつきを持っているということです。
たまに、自分の家や部屋にさほど執着のない人もいますが、たいていの人は、自分の家って好きですよね?
たとえ、いろいろ不満はあるにせよ、「ここは私の家だ」という意識があるからこそ、不満があるわけです。人のものだったら、別に何とも思いません。
他人の家に行くと、そこはやっぱり他人の家なんです。すごく居心地がよかったとしても。そして、他人の物を借りると、それはやはり自分の物ではありません。「人の物意識」が抜けません。
まあ、小さな物だと、ちょっと借りて、使っているうちに、だんだん自分の物みたいな気分になり、ちっとも持ち主に返そうとしない人もいますが。
人は、感情的にも物理的に境界線を引かないと生きていけないのです。
最近は、SNSが人気で、フェイスブックやインスタグラムで、私生活を見せる写真をぼんぼん公開する人が大勢います。これは、だんだん境界線がぼやけてきている現象です。
やってる本人は楽しいと思っているでしょう。ですが、裏でエネルギーがもれてるんじゃないかな、と私は思います。
「盛る(もる)」という若者言葉があります。誇張する、という意味です。
髪型とかメイクを「盛る」と言ったり、話しを「盛る」というように使います。
フェイスブックで私生活を公開している人は、知らず知らずのうちに盛ってしまうんじゃないでしょうか?
「いいね」機能がありますので。ふつうだとおもしろくないので、だんだん大げさになっていくのです。演出過剰になるわけです。
「盛る」行為は、結局、うけを狙うことですから、判断基準が自分じゃなくて、それを見ている人になってしまいます。
生き方が、自分軸から次第にはずれていくので、心理的ストレスになると思いますよ。
SNSでストレスがたまるのは、必要な「境界線」をしっかり引くことができないから、という理由もあるのです。
このように。心理的な境界線は私たちになくてはならないものです。
物を捨てることは、境界線の外に出すこと
こんまりさんが、「人生がときめく片付けの魔法」に、こんなふうに書いています。
お店におかれているモノは商品で、家に置かれているモノは「おうちの子」。タグをつけたままだと、モノは「そのおうちの子」になりきれないのです。
何かを買ってきたら、すぐに外装やタグをとっておうちの子にするべきです。そうしないと、使いそびれてガラクタになる可能性があがります、とこんまりさんは言っております。
「おうちの子」にする、ということはその家の一員にする、つまり自分の境界線の中に入れることです。
物を捨てるときは、いったんうちの子になった子を外に出すようなもの。
これがみんなできないのです。なにせ、「おうちの子」ですから。いったん境界線の中に入れると、とても出しにくいのです。
所持品を捨てられないのは、境界線の中に入っているからだと思います。
今まで家にいたことを忘れていたような「おうちの子」でも、家の中で発見したのですから、だいじなおうちの子にほかなりません。
自分の家にある、その事実だけが、その物を捨てにくくさせます。
使っているとか、いないとか関係ないんです。その物の物としての機能、見た目の美しさ、こわれているかこわれていないか、そんなことも全然関係ありません。
他人から見たらタダのガラクタでも、持ち主にとっては大切な「おうちの子」です。
「おうちの子」なので、その物を物として評価することができなくなってしまうのです。
単に家にあるから、大事に思えてしまうのですね。
自分の物の評価があがる話はこちら⇒物を捨てられないのは恐怖のせい~損失回避と、授かり効果の心理をさぐる
こうして執着が生まれ、人は、捨てない理由をいろいろ思いつきます。
いつか使うかもしれない。
これがないと困るかもしれない。
こんな理由から、おうちの子を外に出せなくなります。
どうしたら「おうちの子」を外に出せるか?
断捨離とは、実際はまったくその家の主(あるじ)の利益に貢献していないどころか、むしろ迷惑な「おうちの子」を家の外に出す行為です。
先に書いたように、これは難しいです。
どうやったらいいのでしょうか?
まずは、明らかに迷惑で、外に出て行ってほしい「おうちの子」から出してみてください。
自分で、「こいつはこの家にいてもらっては困る」、「もうここにいるべきじゃないんだ」、とわかっている「おうちの子」です。
別の言葉で言うと明らかなゴミです。
ショップの服なんて、わたしは「おうちの子」ではないと思います。
店から、別のおうちの子を運ぶときにたまたま使った袋なのです。自分で「おうちに入れよう」と思って連れてきたわけじゃないですよね?
こういう何かの運搬に使った物は、おうちの子でもなければ、よその家の子にもできない、ひじょうに微妙な立場の「何か」です。
考えてほしいのですが、おうちの子がその家に居続ける限り、死ぬまで面倒を見なければなりません。
あなたは、ショップの袋まで「おうちの子」にしたいのでしょうか?
ショップの袋の断捨離について⇒家にある紙袋を全部捨てても、生きるのに何の問題もない~実録・親の家を片付ける(5)
もしおうちの子でなかったら、おうちの子にしたいのか?
ひととおり、真正「非おうちの子」を捨てたあとは、おうちの子だけど、もう出て行ってもらいたいものをあぶりだす作業に移ります。
1つ1つの物を自分の「おうちの子」だと考えてみてください。知らないうちに「おうちの子」になっているものを見つけることがあるかもしれません。
家族が勝手におうちに連れてきたものもあるでしょう。
そういう「おうちの子」を見ながら、もしこれが、今、この家ではなく、外にいるとしたら、私は、おうちの子にするだろうか、と考えてみてください。
するとほとんどの物は、「いや、おうちの子にはしたくない」という宣告を受けるのではないでしょうか?
私は、「これ以上、おうちの子は増やしたくない」という気持ち生きています。繰り返しますが、おうちの子は、一生面倒を見なければならないのです。
いったん境界線を越えて、自分の世界に入ってきた「おうちの子」たち。それはたまたま「おうち」にいるから、価値があるように見えるだけです。
家の中にいるから、「おうちの子」づらしていますが、果たして、外に出してみたらどう見えるでしょうか?
いったん、物を「自分の物でないとしたら」という視点で見てみると、不用品が浮き彫りになり、どんどん断捨離できます。
捨てることに行き詰まったら、試してください。