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しまいっぱなしで、ふだんはほぼ忘れている服。
しかし、いざ捨てようとすると捨てられない。
その理由を検証しています。理由24は、
手作りの服だから
これを考えてみましょう。
苦労して自分で作ったスカート、子供が家庭科の授業で作ったエプロン、母親や姉が編んでくれたセーター、洋裁の得意な友達がわざわざ作ってくれたワンピース、職人が作ったオーダーメイドのスーツ。
どれも手作りの一点ものだから、捨ててしまうと2度と手に入らない。
どうしたら、このような「大事な」ハンドメイドの服を捨てられるでしょうか?
勝手に思い入れを持っているだけ
その服に対する、勝手な思い入れを捨てれば、服も手放すことができます。
手作りの品は、服に限らず捨てにくいです。
その服を作るために、制作した人がかけた時間やエネルギー、その人の思い。
捨てるのは、そうしたものをふいにする行為。そんな罰当たり(ばちあたり)なことしていいわけがない。
こんなふうに思ってしまいます。
捨てるのが罰当たりなら、着ないで、たんすに入れっぱなしにして虫に食わせておいたり、そのへんのガラクタの中に埋もらせておいたりするのも、かなり罰当たりですが、そういうことは特に考えません。
工場で大量生産しているファストファッションの服も、人間が1枚、1枚、ミシンをかけて作っていますが、こちらは、作っている人のことなんて考えず、わりと簡単に捨てられます。
消費者にとって、ファストファッションの服を縫っている人は、人間じゃないから関係ない、とも言えます⇒「真の代償」The True Costはファストファッションの真実を暴く映画 ~これでもあなたは安い服を買い続けますか?
値段も安かったでしょうし。
自分が顔や名前を知っている人の作った服の価値だけがあがります。
価値があるけれど、着ることはしません。
こう考えてみると、手作りの服に対する思い入れ(自分が感じている価値)は、捨てなくてすむように、自分で勝手に作っている感情だとわかります。
本当にそんなに大事なものなら、ちゃんと着て、活用するんじゃないですか?
着られるものは着る
「勝手に思い入れを持ってるだけですよ」と言われても、「なるほど、そうですね。もういりませんね。捨てます」とはいかないと思います。
捨てることができるぐらいなら、たぶんこの連載の初回の記事を読んだ段階で捨てていたでしょう。
20本以上記事を読んでもまだ捨てないとしたら、相当、感傷的な気分や罪悪感にしばられています。
この場合は、その服を着ればいいのです。
ちゃんと着ることができれば、もうそれはガラクタではありません。
ただ、「機会があったら着よう」と思うだけだと、いつまでたっても着ません。
強制的に着てください。
「1ヶ月に1着は、ずっと着ていない服を着てみる」というチャレンジをしてはどうでしょうか?
このチャレンジは、YouTubeで、塗り絵チューバーの動画を見ているときに思いつきました。
塗り絵チューバーたちのタグに、「まだ手つかずだけど、今年こそは塗りたい本を紹介するタグ」があります。塗り絵チューバーたちは、ターゲットとする塗り絵本を10冊選んで動画で紹介します (10 Untouched Books to Color in 2021というタグです)。
全然着ていないけれど、活用したい服を10着選び出し、月に1着ずつ着てみてください。
月に1着なので、ハードルは低いです。
30日チャンスがありますから。
1回着てみると、けっこう使えることがわかって、もっと着るようになるかもしれません。
自分で作った服は捨てても大丈夫
作品を捨てる記事で書きましたが⇒さっさと捨てたほうがいい理由:古い作品を残すメリットとデメリット
自分で作り出したものは、自分から出てきたものなので、必要なら、また作ることができます。
「でも、これは生地がとってもよくて、この生地は今となってはなかなか手にはいらないんです」などと、うだうだ言う人は、もっと一期一会(いちごいちえ)の精神で生きてください。
一期一会は、「生涯に一度きり」という意味の仏教の言葉で、茶道の心得の1つとして知られています。
茶会をするときは、一生に1度の会だと考えて、お茶を淹れる人も飲む人も、真剣に誠心誠意、お茶をたてて、飲みましょう、という教えです。
考えてみると、人生そのものが1回きりだし、今、この瞬間も今しかないので、人の一生は、一期一会にほかなりません。
使っていない服なのに、「捨てると2度と手に入らない」と執着してしまうのは、人生の大原則に強く逆らう行為ではないでしょうか?
そのすばらしい生地で服を作るチャンスに恵まれたことに感謝して、服そのものは手放してください。
素材がとてもよい遺品なので、処分できず、困っています←質問の回答。
家族・知人が作った服はこうする
友人や家族が作ってくれた服は、作ってくれた人のゴールを考えてみて、そのゴールの達成に近づく行動をするといいでしょう。
その人たちは何のためにその服を作ったのか?
裁縫が好きな人は、ただ作りたいから作ったのかもしれません。
その場合、作った段階で、ゴールは達成されています。
学校の課題で作ったのかもしれません。
課題で作ったのなら、製作者が、その服を作ることで何らかの学びを得た段階で、目的は達成されています。
私も小学生か中学生か忘れましたが家庭科の時間にノースリーブのブラウスを作りました。
課題だから作りましたが、作っているときは全く楽しくなかったし(というより、苦しみもがいていました)、できあがったブラウスも数回着ただけで、捨てました。
あなたに着てもらいたくて作った…… ほとんどの場合、これがゴールでしょう。
「洋服として活用してもらう」、これが製作者のゴールなら、自分が着るのがベストです。
しかし、好みに合わないとか、ほかにいくらでも着るものがある、という理由で活用できないから、今、たんすの肥やしになっています。
この場合は、自分じゃなくても、ほかの人に着てもらうのが、次善の策ですよね?
少なくとも、ずっとそのへんに放置しているよりはましです。
ほしい人にあげるか、売るほうが、自分の家に置きっぱなしにしておくより、製作者の意図を反映しています。
まあ、もらった物は自分の物なので、自由にしていいのです。
しかし、あなたは、「作ってくれた人の思い」に重きをおいているのだから、洋服の扱い方についても、作ってくれた人の意図にそった行動をすべきではないでしょうか?
プロが作った服はこうする
職人が作ってくれた1点もののすばらしい服。
こうした服は、服としてのクオリティが高いので、家の中で眠らせておくことはありません。
リサイクルショップに売るか、コンサイメントストアに出しましょう。
コンサイメントストアは、高品質の服を、委託して売ることができる店です。
「自分の体型は特殊だから、ほしい人なんていないと思う」。
こう思う人は、わりといますが、服は、ばらせば布きれになり、他のものに作り変えることができるので、生地を気に入って買う人もたくさんいます。
「せっかく作家さんが作った服だから」と執着する人がいますが、作家や職人は、作るのが仕事なので、ずっと作品を残しておきたいとは思わないでしょう。
作って、売ったら、もうその人の手から離れています。売ったあとのことまで、コントロールしたいとは思わないだろうし、そうすべきでもありません。
それに、誰かの汚部屋でしわだらけになっているより、リサイクルショップに出したほうが、職人もうれしいんじゃないでしょうか?
この続きはこちら⇒質のいい服だから:着ない服を捨てない理由と、それを乗り越えて捨てる方法(24)
このシリーズを最初から読む方はこちらから⇒着ていない服を捨てたい。でも、捨てるのはむずかしい。そんなときはこう考えてみる(その1)
これまで取り上げた捨てない理由
1.捨てるメリットがピンとこない
2.捨てるのは面倒
3.もったいない
4.心が痛む
5.持っていなければならないという義務感あり
6.ギフトだから
7.収納する場所があるから
8.どれを捨てたらいいのかわからない
9.思い出があるから
10.ウエス用に取っておく
11.捨ててもいいのかどうかわからない
12.罪悪感を感じるから
13.娘が着るかもしれないから
14.とてもかわいくて見てるだけで満足だから
15.忙しいから片付ける時間がない
16.着るものがなくなってしまいそうで心配
17.いつか仕事に戻るとき、必要になるかもしれないから
18.たんすやクローゼットに服がぎっしり入っていないと不安
19.いつも同じ服を着ているダサい人だと、他人に思われたくない
20.そのうちメルカリで売るから
21.コーディネートが苦手だからたくさんアイテムがいる
22.特別な時ようの服だから
23.服を捨てるのは損だから
これ以外の理由で、服を手放すことをためらっている人は、ぜひ、その理由を教えてください。
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私は、裁縫や編み物が苦手ですが(どへたです)、娘は器用で、学校の課題で作った枕カバーも、パジャマのズボンもふつうに使用できるものでした。
パジャマのズボンは本人が使用して、小さくなったときに、寄付センターに出しました。
枕カバーも、娘が使っていましたが、3年前に家を出たとき、私にくれました。
私は木枕を使っているので⇒木枕でウソのように肩こり解消~健康にいいし、小さいし、床に寝るミニマリストには理想の枕です
カバーは不要です。
もらった枕カバーは、袋状になっているので、細かい物入れとして使っています。
私が持っている数少ない思い出品の1つです。