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こんなことで、いちいち自分を責めてもエネルギーの無駄である、という事象を4つ紹介します。
読者のお便りを読んでいたら、汚部屋や買い物依存に悩んでいる人は、自分のことが嫌いらしいとわかってきました。
そのような人たちは、無意識のうちに、ある基準を設定し、自分はその基準に満たないからだめだ、と自分を責めているのです。
自分を責める気持ちは、心のガラクタの中でも、かなりやっかいなものではないでしょうか?
建設的に反省しているのと、単に自分を責めているのは、区別がつきにくいですから。
以下に書くことについて、「私ってだめだなあ」と思うことがあったら、それは自分のせいではありません。あまり落ち込まないでください。
1.自分の感情
うれしいとか悲しい、さみしい、怖い、何かが大好きだ、といった気持ちに対して、罪悪感を持つ必要はない、と私は考えています。
いまはわかりませんが、私が子供のときは、男の子がめそめそすると、「男の子なんだから、そんなことで泣いてはいけない」と親に言われたものでした。
その子は、感受性の強いタイプに生まれただけなのです。そんなとき、「自分は気が弱い情けないやつだ」と自分を責めると、ますます暗い気持ちになります。
たまたま、とても気の強い、恐れを知らない兄弟なんかがいると、比べてしまい、ますます、自分を責める気持ちが強くなるでしょう。
人間の感情、特に、基本的な、怖い、うれしい、悲しい、いやだ、楽しい、といった感情は、ごく自然に出てくるものです。そういう感情に対して、「よい・悪い」と言ってもしょうがないと思います。
このような感情を押さえつけようとすると、かえってややこしいことになります。
つまり、ストレスになって、心のバランスがくずれるわけです。
自分では感じたくないと思っている感情(嫉妬とか)を感じてしまったら、とりあえず、紙にがーっと書いて、その紙をびりびりに破いたり燃やすと、スッキリするでしょう。
私は小さいときからわりと自分の感情がもろに顔に出るタイプだったし、なんでも馬鹿正直に口にしていたので、この手のストレスはあまり感じたことがありません。
よって、紙に書き殴って燃やす、ということをしたことはありませんが、ストレス解消法の1つとして、よく勧められている方法です。
参考記事⇒買い物はやめられる。お金を使わないシンプルなストレス解消法
2.他人の感情
自分の持つ感情に責任を持つ必要がないのですから、他人の感情は、もっと、自分には責任のないことです。
あまりいい親子関係を築けなかったせいで、いまも、いろいろ引きずっている人からメールをもらうことがあります。
ですが、このような、相手のある問題は、自分ではどうしようもできないことが多いのです。
けんかをするためには、2人以上必要ですが、喧嘩両成敗という言葉があるように、どちらかが一方的に責任がある、とは言えないでしょう。
しかも、大人対子供だったら、たいてい大人のほうに責任があります。
「お母さんに嫌われた」と思うようなことがあったとしても、それは自分のせいではなく、お母さんのせいかもしれないのです。
実際、精神的に未熟なまま、親になる人はたくさんいます。
「ああ、お母さんを怒らせちゃった。悪いのは私だ」と思うとき、実は、お母さん自身が問題をかかえていて、ぷりぷりしていただけだ、ということはよくあります。
それはお母さんが解決すべき問題なので、子供の側が気にする必要はありません。
3.自分ができないこと
人間は、それぞれ得手不得手があるので、何かがすごく苦手でできなかったとしても、自分を責める必要はないです。
子供のときは、学校の成績がいいほうが、人間として質が上だ、とか、素晴らしい、という評価を与えられますが、これは根本的に間違っていますよね?
その人によって、上手にできることと、できないことはずいぶん違います。苦手なことが、できないからといって、自分が悪いわけではありません。
私は、人がふつうにできそうなことで、できないことがたくさんあります。
1つだけ例をあげると、イケアで売っているような、組立家具を組み立てるのがものすごく苦手です。もしかしたら、やってみればできるのかもしれませんが、やる気にすらなりません。
考えてみれば、子供のときから、雑誌の付録を組み立てるのが嫌いで、いつも人にやってもらっていました。
先日、自分の部屋に、ノートパソコン用の、ものすごく安い(50ドル)、わりにシンプルなスタンディングデスクをアマゾンで買いました。組み立ては、娘にやってもらいました。
組立家具が組み立てられないからといって、自分を責める人はいないと思います。
ですが、仕事ができない、と自分を責める人はたくさんいます。私に言わせれば、仕事ができない、と自分を責めるのは、家具を組み立てられないと自分を責めているのと同じです。
裁縫ができない、家計簿が続かない、主婦なのに料理が苦手だ、というのも、自分を責める材料にはなりません。そういう人は、ほかに得意なことがありますから。
得意なことをがんばって、苦手なことは、手をつけないか、できる範囲でやっておけばいいんじゃないでしょうか?
4.さまざまな失敗
生きていると、何かうまくいかないことにしょっちゅう出くわします。失敗したり、間違えたりすることはよくあるわけです。
たとえ失敗した原因が、自分にあったとしても、あまり自分を責めないほうがいいです。
なぜなら、人間は完璧ではなく、失敗するのは、ごくあたりまえのことだからです。人が失敗をするのは、夜になったら眠くなるのと同じくらい、ごく自然なことです。
ところが、幼いころの教育のせいか、「失敗しちゃいけない」と失敗をすごく恐れる人が、たくさんいます。
私だって、失敗したら、決してうれしくはありません。ですが、「人間なんだから、仕方ない」と思っています。失敗するか成功するかは、自分にはコントロールできない領域なのです。
コントロールできないことをコントロールしようとするから、自分を責めるという、ネガティブな行動につながるのかもしれません。
コントロールするのをやめれば、「うまくやらなくちゃだめだ」という強迫観念から、自由になれるでしょう。
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きのうKさんという読者の方のメールを紹介しました⇒思い出がたくさんある昔の物を、上手に捨てる4つのヒント。
早速、Kさんから、お返事をいただきました。そのメールには、「私は大人になりきれていない。すべて自分で決めたことであり、その結果だと考えていきます」といったことが書かれていました。
確かに、私は、「買い物は本人が決めたことである」と書きました。
けれども、いらない物をたくさん買ってしまったのは、すべて自分だけの責任か、といったらそれも違います。
いまは昔と比べて、たいていの物が安価です。30年前は、ぜいたくすぎて買えなかったものや、食べられなかったものが、現代は、自分の給料の範囲でごくふつうに買ったり、食べたりできます。
私が子供のときは、ケーキは、誕生日やクリスマスなど特別な時に食べるものでした。しかも、まずいバタークリーム(たぶんバターではないもので作ったクリーム)がのっていました。
いまの人は、その気になれば、毎日スイーツを食べることができます。
売り手側は、本当はいらない物でも、たくさん買ってもらおうと、あの手この手を使っています。SNSがあるから、他人の生活をうらやましく思ってしまう機会も多いです。
全部自分のせいとは言えないのです。けれども、自分を責めがちな人は、何かよくないことがあると、すべて自分の問題だと考えてしまいます。
これは考え方のクセなので、意識して改めていったほうがいいです。
「自分のせいだ」と思うのは、30秒ぐらいにして、その後、「事態をよくするために、何ができるかな?」と、前に進むほうに、意識を向けるといいと思います。