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もっと自分らしく生きたい人の参考になるTEDの動画を紹介します。
タイトルは、The power of vulnerability (ザ・パワー・オブ・ヴァルネラビリティ)。邦題は「傷つく心の力」です。
プレゼンターは、ヴァルネラビリティを研究している、ブレネー・ブラウン(Brené Brown)さんです。
ヴァルネラビリティというより、ボーナビリティと聞こえますが、社会学の用語として、「ヴァルネラビリティ」で定着しているので、こちらを使います。
TEDの中でも、ひじょうに人気がある講演の1つです。
vulnerability は 「弱さ、脆弱性」ですが、ブレネーさんの言うvulnerability はが「弱さ」ではありません。
税金と死以外は何もかも不確定な世の中で、人がつねに感じる、心配や不安が、vulnerability といえます。
本当の自分を見せることが怖いと思う気持ちもヴァルネラビリティです。
そういう不安な気持ち、恐れる気持ちは、実は、パワーにもなる。こういう気持ちがあるからこそ、人生の醍醐味があるんだよ、という内容です。
パワー・オブ・ヴァルネラビリティ:TEDの説明
Brené Brown studies human connection — our ability to empathize, belong, love. In a poignant, funny talk, she shares a deep insight from her research, one that sent her on a personal quest to know herself as well as to understand humanity. A talk to share.
ブレネー・ブラウンは、人間のつながりを研究しています。私たちの共感する力、どこかに属する能力、愛情を。
この心に迫る、ユーモアのある講演で、ブラウンは、リサーチから得た深い洞察をシェアします。
それは、彼女自身が個人的に追求することになったものであり、人々を理解する助けになります。
人にシェアしたい講演です。
収録は2010年の6月。動画の時間は20分13秒。日本語字幕あり。動画のあとに抄訳を書きます。
☆トランスクリプトはこちら⇒Brené Brown: The power of vulnerability | TED Talk
☆TEDの説明はこちら⇒TEDの記事のまとめ(1)ミニマリスト的生き方の参考に
ブラウン博士は、ひじょうに話が上手で、ジョークや余談もたくさん話しています。
大学の先生が、「これは余談なんだけど…」と切り出す部分はたいていおもしろくて、全体を理解する助けになったりします(先生によりますが)。
このプレゼンも、そういう部分があるから、親しみやすいのですが、抄訳では、そのあたりはばさっと省きます。
日本語字幕があるので、ぜひ、動画を見てください。
私の生き方を変えてくれた研究
私は研究者でありストーリーテラーです。きょうは、私のリサーチからわかったことをお話しします。
それは、私自身の視野も広げてくれ、生き方や、愛し方、働き方、子育てのやり方を変えました。
博士課程の1年のとき、指導教官がこんなことを言いました。
「測定できないものは、存在しないのだ」と。
おだてているのかな、と思ったのですが、先生は確信を持っていました。私はずっとソーシャルワークを専攻していて、博士号もとろうとしていました。
だから、いつも、「人生とは、混乱したものだよ。それを愛さなければ」という人たちばかりに囲まれていたのです。
ですが、私自身は、「ぐしゃぐしゃなら、掃除して、整理整頓して、弁当箱に入れたい」と思うほうでした。
だから、指導教官の話を聞いたとき、自分のやりたいことは、これだ、と思ったのです。
わたしは、ごちゃごちゃした問題に興味があり、それを理解し、整理し、誰もがわかる形にまとめたいのです。
つながり(コネクション)の研究から始めた
そこで、まず「つながり(connection)」の研究から始めました。ソーシャルワーカーを10年していて、人が生きるのは、つながりがあるからこそだとわかっていました。
つながりこそが、人生に目的や意味をもたらします。
人とつながっていることを感じる能力があるからこそ、人は生きているのです。
さて、上司に、37個のよい点を評価されたあと、1つだけ「改善の余地あり」と言われると、みな、その改善点について考えます。
私のリサーチでも同しことが起きました。
人々に愛情についてたずねると、みな、失恋について語るし、どこかに属している話を聞けば、仲間はずれにされたつらい体験を話題にします。
つながりについてたずねると、つながれなかったこと、関係を持てなかったことを話すのです。
自分自身、つながりの問題に悩むように
リサーチを始めて6週間後に、自分でも、このような、名前のない「つながり」、自分では理解できない「つながり」問題にぶち当たって、リサーチを中断することになりました。
「いったい、これはなんだろう」と考えざるを得なくなったのです。その気持ちは「恥(shame)」に変わりました。
恥とは、つながれないこと、関係を持てないことをを恐れる気持ちです。私には、「人がつながりたいと思える価値がないのかしら」と思いました。
実はこのような気持ちは誰にでもあります。
こうした感情を体験したことがない人は、人間として共感する力やつながる力がまったくない人たちです。
誰も、こんな話はしませんが、こういう話をしない人ほど、「自分は関係を持つ価値がないのかもしれない」と感じています。
こうした恥の気持ちの元にあるのは、「私は充分ではない」という感情です。
「私は、充分白くない」「充分やせていない」「お金が足りない」「美しさが足りない」「賢さが足りない」「昇進度合いが足りない」などなど、誰もが感じたことのある気持ちです。
人とつながるためには、自分をしっかり見せることが重要です。
ヴァルネラビリティの研究を始める
私は、ヴァルネラビリティを感じていて、この弱さを嫌っていました。
だから、ものさしを使って測定し、これを撃退しようと考えました。
ヴァルネラビリティとは何かを知るために、1年かけようと決めました。「恥」を分析し、ヴァルネラビリティがどんなふうに作用するのか明らかにしようと。
もちろん、うまくいきませんでした。
1年の予定が6年かかり、何千もの体験話を聞き、長いインタビューをいくつもしました。
たくさんのデータを集め、「恥」について理解したと思い、本を出版し、論文を書きました。
ですが、何か違和感がありました。
人は2つのグループに分かれる
人々を集め、話を聞くと、2つのグループに分けることができます。
1つは、自分の価値を信じている人たち、だから愛情やどこかに属していると感じている人たち。
もう1つは、そうしたものが感じられない人たち。こういう人たちは、いつも、「自分は充分ではない」と悩んでいます。
愛情や所属している意識を持っている人たちには、1つの大きな共通点があります。
彼らは、自分は、愛や所属を得るのに値している、と信じているのです。
これだけです。彼らは、自分には価値があると信じています。
人とつながりを持てない理由の1つは、自分にはつながる価値がないという恐怖心を持っていることです。個人的にも、職業的にも。
この点をもっとよく理解したいと思いました。
自分の価値を信じている人たちの共通点とは?
そこで、自分には価値があると考えている人たちのインタビューを全部調べてみました。
この人たちに共通するキーワードは、「心から(whole-hearted)」だと思いました。
自分は価値があると心から信じて、そのように行動しているのです。
さらにリサーチをして発見したことは、この人たちは、全員勇気がある、ということです。
勇気(courage)と 勇敢さ(bravery)は違うので、ちょっと説明します。
courage は ラテン語の”cor”から来ていて、これは「心(heart)」です。つまり、自分がどんな人であるのか、心から語ることが勇気です。
この人たちは、不完全でいる勇気を持っているのです。
彼らは、まず自分を思いやり、次に、他人を思いやります。自分自身を尊重できないなら、他人を尊重することはできません。
彼らが、つながりをもてるのは、本物である(authenticity オーセンチシティ、自分自身である)からなのです。
自分自身でいることをさらけだすことができる。だから、つながりを持てるのです。
ヴァルネラビリティを受け入れている人たち
もう1つ共通点があります。彼らは、ヴァルネラビリティを心から受け入れています。
弱さがあるから、美しいのだと信じています。彼らは、ヴァルネラビリティが、心地よくあることだとも、ひどい苦しみにあることだとも言いません。
それは、必要なことだと語るだけです。
彼らは、最初に「あなたを愛しています」と進んで言える人たちです。そこには、何の保障もないのに。
マンモグラフィ(乳がんの検診で撮るレントゲン)のあと、医者からの連絡を冷静に待てるし、うまくいくか、いかないかわからない関係に、時間やエネルギーを注ぐことをいとわない人たちです。
彼らは、こうしたことは、基本的なことだと考えていました。
自分の研究結果に裏切られる
この結果を見て、「裏切られた」と感じました。リサーチとは、何かをコントロールして予測することなのですから(to control and predict).
さまざまな現象から法則や理由をみつけ、これから起こることをコントロールしたり、予測したりするのがリサーチです。
私は、ヴァルネラビリティをコントロールし、予測したかったのに、ヴァルネラビリティとうまくやっていく方法は、それをコントロールすることや、予測することをやめることだとわかったのですから。
これを知って、心身が衰弱しました。
セラピーを受けながらヴァルネラビリティと闘う
研究を中断し、セラピストに会うことにしました。セラピストのセラピーをする人です。
心に正直に生きている人たちのリストをもって、面談にのぞみました。
「私はヴァルネラビリティを研究しています。ヴァルネラビリティは、恥や恐怖の核心にあるもので、これがあるから、人は、自分には価値がないと思ってしまうと考えていました。
ところが、どうやら、ヴァルネラビリティがあるから、人は喜びやクリエイティビティ、どこかに所属していること、そして愛を感じられるようなのです。
困ってしまってセラピーを受けにきました。これはまずいですよね?」
こう言ったら、「「よくも悪くもありません。それはただそうあるだけです」と返され、こんなんじゃにっちもさっちもいかないと思いました。
セラピーは1年続きました。
「ヴァルネラビリティや、やさしさは大事だから、そこに身を委ね、歩み寄ろう」と考える人たちがいます。
ですが、私は、そうではないし、そう考える人たちとつきあうのもいやなんです。
ヴァルネラビリティというものと戦う1年でした。結果は負けたのですが、自分の人生を取り戻すことにもなりました。
その後リサーチに戻り、数年かけて、心から生きている人たちが、どんな選択をし、ヴァルネラビリティとどうつきあっているのか調べました。
ヴァルネラビリティでもっとも困っている人たちはどんな人なのか? それは私だけなのか?
違います。
どんなときに、ヴァルネラビリティを感じるか?
私たちは、ヴァルネラビリティを麻痺させます。
TwitterとFacebookで、「ヴァルネラビリティをどう定義しますか? どんなときにヴァーナブル(vulnerable、vulnerabilityの形容詞形)に感じますか?」と聞いたところ、150の回答がありました。
たとえば、
- 夫に助けを求めること。私は病気だし、まだ新婚だから。
- 夫/妻をセックスに誘うこと
- 断られること
- 誰かをデートに誘うこと
- 医者の返事の電話を待つこと
- 解雇されること
- 人を解雇すること
これこそ私たちが生きている世界です。私たちは傷つきやすい世界(vulnerable world)に生きています。
いやな気持だけを麻痺させることはできない
このあやうさとつきあう方法の1つに、ヴァルネラビリティを麻痺させる、というのがあります。
そのせいで、私たちアメリカ人は、現在、これまでの歴史でもっとも借金をかかえ、肥満になり、依存症になり、薬漬けなのです。
リサーチからわかったことですが、特定の感情だけを麻痺させることはできません。
ヴァルネラビリティ、後悔の気持ち、恥、恐怖、失望などを選んで麻痺させることはできないのです。
こういう気持ちになりたくないから、ビールを何杯かあおって、バナナナッツマフィンを食べよう、と思ってもうまくいきません。
というのも、ほかの感情も麻痺してしまうから。
いやな気分を麻痺させようとすると、喜びや感謝、幸せも麻痺してしまいます。
そして、みじめになり、目的や意味を追い求め、ヴァーナブルに感じます。そして、ビールを何杯か飲み、バナナナッツマフィンを食べるという、危険なサイクルに入り込みます。
不確実なことを確実にしようとする問題
なぜ麻痺させようとするのか、どうやって麻痺させるのか、ここを考えることが重要です。
問題は依存だけではありません。私たちは、不確実なことすべてを、確実なことにしようとします。
宗教は信仰ではなく、確実なことを求める不思議なものになりました。
「私は正しい、君は間違っている。だから黙れ」。こんな感じです。
恐れれば恐れるほど、私たちはヴァーナブルになり、ますます恐れる。現在の政治にみられる現象です。
話し合いや会話はなく、そこにあるのは、非難(blame)だけです。
非難は、リサーチでは、「痛みを不快さを排出する方法」と定義されています。
不完全さを受け入れること
人はいろいろなことを完璧なものにしようとします。もっとも危険なのは、子供を完全なものにしようとすることです。
親の仕事は、子供が生まれたとき、腕に抱いて「見て。この子は完璧よ。私の役目はこの完璧をキープすること。5年生になるまでには、テニスのチームにいれて、7年生までには、イエール大学に入れなきゃ」なんて言うことではありません。
私たちの役割は、「ねえ、知ってる? あなたは完璧じゃないのよ。これからいろいろ苦労することになってるの。でもね、あなたは愛される価値があるし、どこかに属する価値もあるのよ」と言ってあげることです。
子どもたちをこんなふうに育てることができたら、現在あるさまざまな問題もなくなります。
私たちは、自分のすることが他人には影響を与えないふりをしています。個人レベルでも、企業レベルでも。
緊急援助や、石油の流出、リコールが起きても。
自分たちのしていることは、他の人には、そんなに影響がないふりをしている企業に言いたいのです。
リアルの自分自身になって、こう言うべきです。「ごめんなさい、私たちが直します」。
自分自身をさらけ出せ
もう1つ別の方法もあります。それは、自分自身をしっかりさらけ出すこと(to let ourselves be seen)です。
心の底から愛すること。たとえ、そこに何の保障がなくても。これは大変なことです。親だから言えますが、すごく難しいことです。
感謝すること、恐怖におののいているときも、喜びを見つけること。
これから起こるかもしれないことを、悲観せず、「ありがたいことよ。だって、こんなふうに不安なのは、生きている証拠だもの」と思うこと。
最後にもっとも大切なことを言います。
それは、自分は充分である、と信じることです。
「自分は充分だ」と感じられたら、叫ぶことをやめ、聞くことを始められるから。
周囲の人に、より親切に、やさしくなれるし、自分自身にもそうなれるから。
//// 抄訳ここまで ///
単語の説明など
qualitative research 定性的研究
対象の質的な側面に注目した研究 ⇔ 定量的研究
sweet talk おだて、甘言
lean into 身を乗り出す
underpin 支える
outsmart 勝つ、~の裏をかく
whole-hearted 心のそこから、誠心誠意。ここでは、嘘偽りなく、自分でいる様子。
Jackson Pollock ジャクソン・ポロック(1912-1956)
アメリカの画家。キャンパスの周辺を歩きまわりながら描いた。
authenticity オーセンティシティ、(にせ物ではなく)本物であること
slugfest 激しく殴り合うボクシングの試合/けんか
ブレネー・ブラウンの本は3冊翻訳されていますが、ヴァルネラビリティを扱っている1冊めの著書へリンクしておきます。
自分の心に向きあえるそのほかのTEDの動画
つらいことがあったとき、自分で応急手当する方法。心の傷をないがしろにしてはいけない(TED)
言い訳を作り出してしまう私たち:あなたに夢の仕事ができない理由(TED)
なぜ人は自分が本当に求めている物を追求しないのか?(TED)
自分自身でいる勇気を持てば汚部屋から脱却できる
ブレネー・ブラウン博士の動画を紹介したのは、汚部屋や買い物しすぎる問題や、いろいろなことに依存してしまうのは、結局、ヴァルナビリティを麻痺させようとしているからだ、と思ったからです。
いやな気持ちだけを選んで麻痺させることはできない、と言われていますが、本当にそうですね。
何かから逃げている人は、心の平安は得られません。
ヴァルナビリティを受け入れられず、それと直面するのを避けるために、買い物をたくさんする人は少なからずいるんじゃないでしょうか?
漠然とした不安や、恥の気持ち、その他のマイナス感情を打ち消すために、とりあえず、買い物をして、楽しい気分になってやりすごす。
けれども、それでは何の解決にもならないし、心は満たされません。
ガラクタが増えるし、貯金もできない。それよりもっと問題なのは、そういうむなしい行為の繰り返しで、貴重な人生が費やされてしまうことです。自分にとっても、周囲の人にとっても。
生きていると、感情を殺さなければやっていけない場面がたくさんあるかもしれません。
けれども、もしあなたが、買い物で何かを麻痺させているのなら、今年は、もう少し、生身の自分を出す機会を増やしてください。
さらけ出すといったって、誰彼かまわず、さらけ出すわけではありません。信頼している人に、自分の弱みを見せるのです。
人生も人間も不完全なもの。それを受け入れる強さを持つことが、人とつながり、笑顔で生きるコツだと思います。
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The power of vulnerability は以前から記事にしたい、と思っていましたが、「そもそもvulnerability をどう訳したらいいんだ?」と思ってしまい、なかなか記事にできませんでした。
結局、ヴァルネラビリティとカタカナ書きしました。
connections、whole-hearted、authenticity も訳しにくい言葉です。
もう少し日本語の語彙や表現を増やすために、今年は日本語の本もたくさん読みたいと思っています。