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2週間前に、シンプルに暮らしたいと思っているのに、家が物だらけで困っている読者、るかさんのお便りに対する感想を紹介しました。
今回は、この記事に対する感想をシェアします。
ささささんからいただきました。
この方のハンドルネームは、「さささ」なのですが、書きにくいし、読みにくいので、今回もSさんとお呼びします。
使うつもりで買ったけど使えないもの
件名:るかさんのメールへの感想のメールを読んで感じたこと
Sこと、さささです。
先日は、メールをブログに載せてくださってありがとうございました。
びっくりして、嬉しくて、半日くらい家事が手につかないくらいでした。
筆子さんに「もとからその気を出せば動ける人」とほめられてとても嬉しいです。
ですが私は断捨離もまだまだ途中だし、家族からもっと動けと言われているくらいで、怠け者なのです。
そんな怠け者の私には、るかさんのメールへの他の方の感想メールがとても耳に痛かったです。
「新品の物がなぜあるのだろう」と書かれていましたが、私の家にも「絶対に読むつもりで買ったのに、読めていない本」が何冊もあります。
処分は少しずつ進めていますが、亀の歩みです。
買うときは、絶対にこれは好きな本だから読むと思ったのに、どうしてこうなっちゃうんでしょうか…
たぶん、るかさんも、これは絶対に好きなものだから、と思って買ったけれど、なぜか使えない物がたくさんあるんじゃないかなーと思います。
好きだから買ったのに、使えないのは不思議なんですけど、きっと、体は一つなのに、好きなものはいっぱいあるからだと思います。
好きだから、捨てるのは嫌なんですよね。それが積み重なると部屋が埋まっちゃうんじゃないでしょうか。
私の部屋は物で埋まりはしないのですが、それは私が出不精で家事にもファッションにも関心が薄いからだと思います。
るかさんは、ご病気されてて、ペットもいて、ご主人も在宅ワークだからお忙しいと思うのに、お買い物も沢山されてるから、元々はお元気で社交的でパワフルな方なんだろうなと思いました。
そういう方ほど、ご病気されて不自由になるとストレスが大きいだろうから、ストレス発散したくなるのはわかります。
だから、お買い物じゃなくて、ペットと遊ぶとか、そういう別のストレス発散方法にシフトしていければいいと思います。
我が家は猫アレルギーの子どもがいるので、猫がいるのはうらやましいです。
考えがなかなかまとまらなくて長文になってしまいました。読んでくださってありがとうございます。
寒くなる折ですのでどうぞご自愛ください。
お返事は不要です。
Sさん、こんにちは。再度のお便り、ありがとうございます。
勝手に名前をSさんにしてすみません。
ブログの感想をいただき、とてもうれしいです。
先日紹介したるかさんの相談に対する感想は、2通とも、わりと手厳しかったですね。
るかさんの記事⇒物が多いから捨てたいけど、できなくてストレスがたまる一方です←質問の回答。
るかさんの記事の感想⇒ストレスのせいで、部屋が物だらけの人の記事を読んで思ったこと。
私たちは、人のよくないところは、よく目につくのです。しかし、自分には甘いというか、自分のよくないところは、意外と見えないので、ほかの人のお便りに対して、手厳しくなるのでしょう。
自分もけっこう不用品をもっているのに、他人の物がすべてガラクタに見えるのと同じです。
だから、Sさんは、「耳が痛い」とか、「私は怠け者」というふうに思う必要は全然ありません。
人間、みな怠け者ですから。
確かに、ふだん行動的で、あちこち出かける人にとっては、新型コロナウィルスで行動を制限されているのはすごくストレスでしょうね。
特に、家族や友人とひんぱんに会って、愛情や友情を確かめ合っていた人たちにとっては、会えないのはとてもつらいことだと思います。
私も、Sさんと同じで、基本、ずっと家にいるし、家事にもファッションにも関心がないというか、情熱を持てないし、買い物はめんどくさいと思うほうだし、もともとあまりものを買わないから、店が開いていなくてもそこまで困りません。
たくさんの物をかかえて生きていきたくないから、よけいな物を捨てるのも、わりと平気です。
しかし、そうじゃない人もたくさんいます。買い物でストレスを発散している人も多いでしょう。
ところで、Sさん、「好きだから買ったのに、使えないのは不思議」と書いておられるので、今回はこの問題について私が思うことを書きますね。
前回Sさんからいただいたお便りはこちらで紹介⇒5捨て3処理を3ヶ月やってみたらいいことばかり。
物が多すぎるから使えないだけ
「これは好きだ、絶対使う」と思って買ったものを使えないのは、すでに家の中にたくさん似たものがあるからです。
本にしても、他にたくさん読む本があれば、そちらを読んでから、ということになります。
私も、いまだに読んでいない本が本箱やKindleにあります。
これらの本は、まだ順番が回ってきていないのです。
あまりにも、本がはけないので、先日、フリータイムに読書時間を追加したところです(塗り絵をする時間と交換)。
つまり、たとえ好きなものでも、在庫を無視して買ってしまうと、ちゃんと使えないのです。
買うときは、「好きだから!」よりも、「必要だから」という理由を多めにするといいと思います。
ニーズとウォンツを考える話⇒ミニマリスト的節約術の極意は、「必要なもの」と「欲しいもの」をしっかり分けること
人間、好きだと感じるものはたくさんあるので、好きなものを全部所有するのは、物理的に不可能です。
場所もないし、それらすべてを消費する時間もありません。
絞り込むべきです。
さて、うっかり好きなものをたくさん買ってしまって、好きゆえに、手放せないときは、以下のように考えてはどうでしょうか?
物を過大評価しない
現代人は、物を過大評価しすぎていると思います。
物そのものの持つ価値以外にも、美しさ、希望、追憶、安全性、慰め、安心感、誰かの愛情(ギフトの場合)といった価値を物から得ていますよね?
さらに、ステータスシンボルとして物を持ち、所有している物が自分という人間を表していると感じています。
家にある物は、自分の人間としての価値を表しているのです。
こう考えているから、際限なく、物が増えるんじゃないでしょうか。
物が増えれば増えるほど、自分の人間としての価値も高まるわけですから。
どうして、こんなに物を過大評価してしまうのかというと、やはり、生まれてからずっと、「こんな物を持てば、こんな人になれる」「あんな物を持てば、こんなに楽しい生活になる」、つまり、「物を所有すれば幸せになりますよ」、と、物を売る側や、メディア、周囲の人間から言われて育ったからだと思います。
しかし、いつも書いているように、物は物にすぎません。物は人生を生きやすくしてくれるツールでこそあれ、自分自身を定義するものではないのです。
数ある物の中には、本当に大事な物や自分を支えてくれる物もあるかもしれません。
それがなくなると自分もいなくなると感じるようなものが。
親の形見や、子供のときからずっと大事にしているオルゴール、就職して初めてもらった給料で買って以来ずっと使っている万年筆など。
こうしたものは、自分を勇気づけてくれる存在です。
ですが、仮にこれらの物が洪水で流されてしまっても、自分は前と同じように残ります。
物を無くした当初は、大きなショックを感じ、立ち直るのに時間はかかるかもしれません。しかし、大事な物がなくなっても、自分はなくなりません。
というのも、物に大きな価値を与えていたのは、自分の感情だからです。
思い出が心の中にあるように、物に感じている価値も結局自分の思考が作り出したものです。
だから、物を手放しても、自分らしさや、自分の価値みたいなものはゆるぎません。
特に、押入れに突っ込んでいたり、ずっとそのへんに放置していたりする物は、今すぐ捨ててもどうってことありません。
むしろ、少し不用品を整理したほうが、素の自分と向き合うことが時間と心の余裕ができるので、自分のためです。
それでは、Sさん、これからもマイペースで不用品の整理を進めてください。
どうぞお元気で。
■関連記事もどうぞ⇒価格と価値の違いを知れば、余計な物も浪費も減る。
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本日、日本はブラックフライデーですね。
もうね、ブラックフライデーのセールの告知で、あちこちからメールが来てうるさいです。
この機会に、配信解除をしています。
ブラックフライデーだけで十分なのに、なぜ、サイバーマンデーまであるのか。
買い物好きな人は、べつにセールじゃなくてもふだんから買っているのに。
それでは、あなたも、感想や質問、近況などありましたら、お気軽にメールをください。
お待ちしています。