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ミニマリストをテーマに卒業論文を書いている大学生のKさんからの質問に答えます。
卒論執筆にあたって、さまざまなミニマリストにインタビューをしているとのこと。
メールで17個質問が届きましたが、そのうちの一つ、「ミニマリストが誕生した社会的要因を教えろ」というものに答えます。
まず質問を引用しますね。
私はミニマリストが誕生した社会的要因として、溢れるモノや情報、レンタル・シェアサービスの普及、東日本大震災の発生などが挙げられると考えていますが、ミニマリストが誕生した社会的要因や背景には何があるとお考えですか?
以下に私が思うミニマリストが流行っている理由を7つ書きます。
1.人は心の中ではシンプルな暮らしをもとめている
人は本能的にシンプルに暮らしたほうが幸せだ、とわかっているから、シンプルライフを追い求めるのではないでしょうか?
人は生体であり、自然の一部なので、本質的には自然となじむ暮らしが心地よいのだと思います。
ミニマリストみたいな人は、昔からいました。
たとえばギリシャ時代のエピキュリアン(快楽主義者)は、現実のわずらわしさから開放された状態を「快」だとして追求しました。
今、エピキュリアンというと、欲望を充足させることに熱心な快楽主義者という意味で使われます。ですが、本来のエピキュリアンは、肉体的快楽ではない精神的快楽を求めていたのです。
大きな家に住み、ごちそうを食べ、たくさんの物を持ち、ぜいたくに暮らすことは、エピキュリアンにとって、不自然な欲求です。彼らは、こういう生活は追求してはいけない、と考えていました。
名声や権力も追い求めません。贅沢な生活や名声を追うのをやめれば、心が穏やかになり、それが「快」なのです。
当然、こういう人たちはよけいな物は持たなかったでしょう。
ずっと時代が下がって19世紀のアメリカにヘンリー・デイヴィッド・ソローという作家がいました。
彼は、20代の終わり、2年ぐらい森で自給自足の暮らしをし、「ウォールデン 森の生活」という本を書いています。
彼の思想に影響を受け、簡素な暮らしを始めた人はたくさんいます。
ソローは「私は今を生きたい」と言い、人は小さな暮らしをしたほうが幸せである、と考えていました。
禅宗のお坊さんのように宗教的な理由からミニマムな人もいます。
産業革命が起こる前は、庶民はいやおうなしにシンプルライフだったでしょうし、戦後も、たとえば60年代のヒッピーなんかは、物を集めようとはしていなかったと思います。
「人間らしく自由に暮らしたい」と思えば、人は物に執着しなくなるのです。
2.物をたくさん持っているのに幸せではない状況にいるから
戦後、暮らしが豊かになって、「物は多ければいい」という風潮になりました。
多くの人は、働いて、お金をもうけて、物を買う、また働いて、お金を稼いで、また物を買う。こんなことを繰り返しました。
その結果、人々は幸せになったでしょうか?
残念ながら、どちらかというと不幸です。
いくら物を買っても、忙しいので、一つひとつの物を使ってじっくり楽しむ時間がありません。
おまけに、経済状態もあまりよくありません。
生活が苦しい、仕事がつらい、人間関係が難しいなどの理由から、人々のストレスが増え、心の病気にかかる人がたくさんいます。
現代社会で、ストレスが多い理由はこちら⇒ストレスでいっぱいなら、今日から捨て始めよう。「持たない暮らし」が自分らしい生き方を実現する理由とは? 「なぜ現代はストレスが多いのか?」をお読みください。
「物はたくさんあればあるほどいい」という発想で生きてきたら、とても不幸な状態になってしまったのです。
物はそんなにいらないんじゃない?物がたくさんありすぎると、かえって不幸なんじゃない?
そんな考えから、多くの人が、暮らしをシンプルなほうへシフトしました。
3.物が多すぎて物理的に困っている人が多いから
家の中に物が多すぎて、暮らしに困難が生じている、だから捨て始める。その流れで、シンプルライフやミニマリストという生き方を知り、触発されて自分もミニマリストになる、というケースもあります。
物を捨てているうちに、頭の中の混乱にも考えが及ぶようになります。
というのも、いらない物を捨てることは、自分がこれまでした選択について考え直すことだからです。
「ミニマリストは何でも捨てる人だから、どんどんためこむ人とやっていることは同じだ」という人がいます。
ですが、これは違うのです。
タメコミアンは、ほとんど習慣でためこんでいます。
しかし、ミニマリストはもう少し意識的に暮らしているのではないでしょうか?
不必要な物を見つけ、それを排除することで、必要な物に意識を向けているのです。
ミニマリストは、自分が考えていることや、自分の好きなものについて、注意を向けている人たちだと言えます。
「ミニマリスト=捨てる人」という図式で考える人が多いのは残念なことです。
4.景気がよくないから
今、日本の経済状態が本当に悪いかどうかは別にして、多くの人は、「景気が悪い」と考えています。
高齢化と少子化が進んでいるのは、明らかな事実です。国からもらう年金を積極的にあてにしている人はいないでしょう。
年金があてにできないので、経済成長していたときのように、お金をどんどん使いたいと思っている人は少ないです。
どちらかというと、先々にそなえて貯金をしたい、生活を縮小したい、と考えています。
読者から、「ミニマリストって貧乏人のことですよね」というメールをもらうことがあります。
実際、「生活を縮小しつつも、楽しく生きる」というライフスタイルとして、ミニマリズムを選択する人も多いと思います。
私自身も貧乏ゆえにシンプルライフになった、という側面があります。
車を持たないことだって、「お金がなくて持てません」と言わずに、「ミニマリストだから持ちません」と言えば、セルフエスティームがあがります。
5.高齢化社会だから
人々が長生きするようになったので、生涯かけてためこむ物の量が増えてしまい、必然的に、大量に捨てなければなりません。
ためこんだ物の捨て方に苦慮する人が増えたので、最初からためこまないシンプルな生き方が注目をあびている、というのもミニマリズムブームの要因の一つだと思います。
長生きしなければ、老後になって暮らしをダウンサイズしたり、生前整理や遺品整理をする必要はありません。
今、年をとりつつある人は、バブル経済のときに若者だったので、今の若者より、物をためこむ傾向が強いです。
どんなにため込みグセがある人も、さすがに60歳すぎたら、「もう、物は充分じゃ」という気持ちになるでしょう。
人生の終わりを意識したら、物資的なものより精神的なもののほうが大事になります。あの世には何も持っていけないのですから。
物を持ちすぎてしまったシニア世代が増えたので、「親の家の断捨離をする」というニーズが生まれました。
そのニーズに答える生き方として、シンプルライフやミニマリズムの情報をマスコミが提供するようになったことも、ミニマリストブームを底上げしたと思います。
6.情報化社会だから(インターネットの存在)
私がミニマリストを知ったのは、アメリカのブログです。
具体的にはレオ・バボータさんのブログです。レオさんはこちらで紹介しています⇒意外に簡単、シンプルライフブログの第1人者、レオ・バボータに学ぶ、ガラクタをゼロにする方法
たぶん日本のほかのミニマリストも、最初はアメリカのブログから知った、という人が多いのではないでしょうか?
そうでない人も、佐々木典士(ささきふみお)さんの著書、「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」を読んだあと、彼のブログにアクセスしたと思います。
佐々木さんが、2015年の7月7日(七夕だったのでよく覚えています)、NHKの朝の番組に登場したとき、朝なのに、このブログにすごくアクセスがありました。
みんな彼の部屋を見てびっくりして、「ミニマリストって何よ?」と検索し、私のブログにまで来てしまったのです。
ミニマリズムについてブログを書いている人はほかにもたくさんいて、本を出版した人も多数います。
インターネットがなかったら、ここまで急激にミニマリストがブームになることはなかったでしょう。
もちろんKさんが書いているように、物のデジタル化が進み、多くの人が、スマホやパソコンを使って、データとしての物に、瞬時にアクセスできるようになったのも、ミニマリストブームを後押ししています。
今や、本や紙、CD、DVDなどを物として持つ必要はなくなりました。
私はキンドルを愛用していますし、ふだん撮影する写真はみんなデジタルで、Google Photoに入れてます。CDやDVDもほとんど持たず、ストリーミングで視聴しています。
スマホを導入したとき、スマホがあれば間に合う、カメラ、コンパス、地図は捨てました。
料理のレシピもインターネットで調べればすむので、全捨てしましたし、家電のマニュアルもPDFで見られるので、自分では持ちません。
7.東日本大震災が起きたから
最後に、震災について書きます。
被災して、引っ越しを余儀なくされた人は、否応なく物を減らしたと思います。「その後また増えてしまった」という読者からお便りをもらったことがありますが。
また、被災しなかったとしても、多くの日本人は考え方を変えたでしょう。そして、もう少し自分を大事にする生き方にシフトしたと思います。
震災後、原発に反発を感じた人が多かったはずです。「こんなに危険な物だったのか」というように。
そして、原発開発を推し進めた、国や企業の「利益が出ればいいんだ」という考え方に嫌悪感を抱いたでしょう。
原発は私たちの「便利な生活」をささえるものです。
ですが、震災後は、「あんな犠牲を払うならここまで便利にならなくてもいいのでは?」と疑問を抱いた人も多かったのではないでしょうか?
コンビニは24時間、毎日あいているし、amazonで注文すれば、都内ならその日のうちに商品が届きます。
それらの「便利」は本当に必要なんだろうか?
そんな疑いを持った人は、便利さばかりを追求するライフスタイルは捨て、もっとのんびり生きるスローライフにシフトしたでしょう。
また、自然の恐ろしさを思い知った人も多いはずです。
人間は自然に勝てるわけがない、私たちはなんて不遜なんだ、と。
自然について考えることが増えれば、自然をこわしながら、どんどん経済を発展させるやり方に疑問を感じるようになります。
もっと自然を大事にしたい、と願う人は、消費を減らしたいと思うから、シンプルライフを希求します。
防災という観点から、物を減らしている人もたくさんいます。先日も、「誰も弾かないピアノをようやく手放せた」というメールを読者からいただきました。
「地震のとき倒れる心配が減りました」とおっしゃっていました。
あの震災で、この世の無常を思い知った人もたくさんいます。物なんかためこんだって、一瞬で津波にさらわれる、と。
私が今やっていることは、本当に私のやりたいことなんだろうか?
私が本当に大事にしたいことって何だろう?
そう考える人が、意識的な生き方であるミニマリストの暮らしに魅力を感じるのは充分考えられることです。
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以上が、私の思うミニマリストが増えた理由です。
これは、50代ミニマリストの見解であり、ブームの中心である若い人は別のことをいうでしょう。
今、若い人があまり物を持たないそうですが、働き口がなくてお金がない、という理由もあるかもしれません。
また、スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグみたいな成功者と呼ばれる人たちが、いつも同じ服を着て、シンプルライフを志向している、というのも、若者にアピールする要因だと思います。
「なんとなくかっこいい」という理由が大きいかもしれませんね。