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引越し前に服を断捨離しましたが、うまく捨てられず、不用な服をたくさん新居に持ち込んでしまいました。
なぜ捨てられなかったのか?その理由を4つお伝えします。
夏の段階で45着ほどあったのをさらに断捨離して34着にし、引越し先に持ち込みました。引越し後に20着捨てて今14着です。
引越し前は、捨て方が甘かったと思います。
1.引っ越し先が決まらなくて断捨離に集中できず
引っ越しは物を減らす絶好のチャンスです。しかし、引っ越しにまつわるさまざまな用事で忙殺されると、物を「いる、いらない」と判別している時間も心の余裕もなくなります。
すると、「ああ、もういい、みんな持っていこう」となってしまうのです。
私は心の余裕がありませんでした。
「自分の持ち物は全部ここに放置して新しい家に行きたい」という気持ちと、「まとめて全部引越し先に持っていきたい」という気持ち。この2つの相反する思いに追い詰められていました。
実際は、物を置いていくわけにはいかないので、なしくずし的に判別して、かなりの物を新居に持ち込んでしまったのです。
気持ちの余裕がなかったのは、引越し先がなかなか決まらなかったせいです。
未来の住まいが決まらないため、荷物を箱に詰めたまま1ヶ月以上過ごしました⇒暮らしに必要な物の数は案外少ない:ミニマリストへの道(75)
あまりに物が多すぎて、荷造りする箱が足りなくなり、自分の衣類はごみ袋に投入しました。
サンタクロースの袋みたいにボンボンになりました。しかも重い。
持ってみたら、服の重みで袋の先が千切れそうでした。
2.断捨離のゴールがイメージできていなかった
洋服を捨てる目的は、自分が本当に好きで、ちゃんと着る服を残すことです。
ですが、この頃の私は、「荷物が多いから、何とか減らそう」と思っていました。捨てることにフォーカスしすぎて、最終的なゴールを思い描いていなかったのです。
衣類を入れた黒いサンタの袋があまりに重いため、「これはまずい。やはりもう少し捨てよう」とあせりました。
袋の中身をベッドの上にぶちまけて、1つひとつ眺めて、さらに断捨離を決行。
考えてみると、衣類をゴミ袋に詰めてからの1ヶ月に、私が着用したのは、
・Tシャツ2
・袖Tシャツ1
・綿のパーカ1
・フリースのジャケット1
・トラックパンツ1
・スパッツ1
全部で7着のみ。
靴はスニーカー1足。
季節は秋でした。
冬になったら、この7着にセーター1着とダウンジャケットをプラスすれば生きていける気がしました。
事実、今の状況を考えると10着前後だけで充分事足りています。
自分にとって最適な服の数がなんとなくわかっていたのに、そこに意識を向けなかったせいで、引越し先によけいな物をたくさん持ってきてしまったのです。
今の私は、物を減らすとき、先に、「捨ててどうなりたいのか」「何のために捨てるのか」を考えるようにしています。
まあ、もうあんまり捨てるものはないのですが。
終わりを思い描くメリットは少なくとも3つあります。
・いらない物がよくわかる⇒断捨離が加速する
・捨てる行為がもっとポジティブになる
・ゴールが明らかだと、途中で迷いにくい
「自分の望む未来のために捨てているんだ」と思うから捨てる行為がポジティブになります。
ゴールを思い浮かべると、些細なことはどうでもよくなるので、思い切ってさっさと捨てることができます。
3.断捨離するとき服を着てみなかった
実際に衣類を着用してみると、捨てる服を選びやすくなります。
着てみれば、着心地がいいのか悪いのか、なぜ自分があまりこの服を着ないのか、残すのに値する服なのか、そういうことがよくわかります。
しかし、心の余裕のなかった私はいちいち服を着るなんてことはしませんでした。
服がたくさんあればあるほど、自分がその服を好きなのかどうか、わからなくなってしまいます。
目の前にある山のような服は、「なんとかして片付けなければならないもの」になってしまうのです。
服を捨てるときは、やはり1着ずつ袖を通したほうが、後悔のない断捨離になります。
もちろん、明らかに着ない服はどんどん捨ててもかまいませんが。
問題になるのは、いるのかいらないのかよくわからない、ボーダーライン上の服です。
たいていそういう服はもう不用です。ところが、試着をする手間をはぶいてしまうと、「またいつか着るかもね」というカテゴリーに入れられて、そのまま何年も手を通さずに終わってしまうのです。
「なんか邪魔だけど、そのうちまた着るかもしれないなあ」と思う服があったら、面倒でも一度着てみてください。
鏡で自分の姿を見れば、捨てたほうがいいのかどうか、一目瞭然です。
4.捨てる理由が必要だと考えていた
これは、捨てることにフォーカスしていると犯してしまうミスです。
私は、「明らかにいらない服」を捨てて、次に「ダブっている服」を捨てて、さらに「難のある服」を捨てていきました。
しかし、捨てる理由がちゃんとある服だけ捨てようとすると、「捨てる理由のない服」が残ってしまいます。
服を減らすことが目的だった私は、まず冠婚葬祭用に買ったもののほとんど着ない服を捨てました。
みんな黒いから何がなんだかわからないと思いますが、ブラウススーツやスカートです。
こうやって捨てる服を選んだので、「そんなに着ないけど、あればまた着るかもしれない服」が大量に残り、それを引越し先に持ってきてしまいました。
服を捨てるのに、そんなにきっちりした理由なんていらなかった、と思います。
多くの人は、「まだ使える物を捨てるには、ちゃんとした捨てる理由がいる」と考えています。
だから、
「1年に1度も着ないから」
「サイズが小さくて着れないから」
「入れる場所がないから」
「シミがついているから」
「ときめかないから」
こんな理由を考えて物を捨てようとします。私も、当ブログに、服を捨てる理由を書いています⇒こんな服は今が捨て時。年末こそ衣類の断捨離を
しかし、実際には、そんなにしっかりした理由がなくても、「なんか邪魔だ」「これ、いつもここに山になっている」と思ったらもうさっさと捨ててもいいのではないでしょうか?
なぜならば、ちゃんとした「買う理由」なんてないのに、人は物をどんどん買っているからです。
たとえ「捨てる理由」がなくても、ろくに着ない服をいつまでも持っていると、ひじょうに生活の質がさがります。
「捨てる理由がないと捨てられない」と思いがちな人はこんなふうに考えてはどうでしょうか?
・このまま「まだ着られるけど誰も着ない服」を10年持ち続けた先にある未来はどんなものなのか?
・プレゼントでもらったけど、もったいなくて使えないスカーフ(箱に入ったまま)を残して、自分が死んだあと、いったい何が起こるのか?
・今後10年間、衣替えをするたびに、着ないコートを移動させる行為にどんな意味があるのか?
その服を捨てる明確な理由がないとしても、持ち続ける理由もないのです。
☆この続きはこちら⇒堺雅人に触発されて雑貨を28個断捨離:ミニマリストへの道77
☆このシリーズを最初から読む方はこちら⇒何度も失敗したけど、今も前を見て進んでいます~「ミニマリストへの道」のまとめ(1)
2014年は服の数を減らしたかったので、毎月1度は、手持ちのワードローブを調べていました。
1年着なかった服、あんまり着ない服、なくても大丈夫そうな服を少しずつ間引きました。
その月の捨てるセッションで残した服は、その次かその次ぐらいには、「やっぱりいらないな」と判断し捨てることになったのです。
もし私が最初から、理想のワードローブのゴールを明確にし、それぞれの服をキープしたときの5年後、10年後の自分の姿を想像していたら、もっと早く、いらない服を手放すことができたと思います。
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引越し前は、断捨離しているときの心理状態もあまりよくありませんでした。
先のあてがないから心配だったし、夫や娘の荷物はすごく多いので、私だけでも何とか減らさなければ、と勝手に悲壮になっていました。
おまけに、出て来る服、出て来る服、ろくに着ていなかったものばかり。
お金がないのに、こういう使いもしない服を買ってしまった自分にひじょうに腹をたてていました。
捨て方も甘かったし、気分も落ち込んでいましたが、その後のスッキリ生活のためには、必要なプロセスだったと考えています。