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よりよい意思決定をする参考になるTEDの動画を紹介します。「選択」について研究を続けている、Sheena Iyengar(シーナ・アイエンガー)教授のThe Art of Choosing(選択の技術)です。邦題は「選択術」となっています。
「選択術」の説明
Sheena Iyengar studies how we make choices — and how we feel about the choices we make. At TEDGlobal, she talks about both trivial choices (Coke v. Pepsi) and profound ones, and shares her groundbreaking research that has uncovered some surprising attitudes about our decisions.
シーナ・アイエンガーは人がどうやって選択をするか、自分の選択に対してどう感じているか研究しています。
アイエンガーはTEDグローバルで、ささいな選択(コカコーラかペプシか?)から、重要な選択までとりあげ、リサーチ結果からわかった、私たちの選択に対する驚くべき態度について語ります。
この動画では、アメリカ人の選択に関する思い込み(文化的な刷り込み)が3つとりあげられています。
2010年収録の動画です。時間は24分。日本語字幕がありますが、動画のあとに簡単に要約をつけます。英語や字幕なしがよい方はプレイヤーで選べます。
※トランスクリプトはこちらからごらんになれます⇒Sheena Iyengar: The art of choosing | TED Talk | TED.com
※TEDの説明はこちら⇒TEDの記事のまとめ(1)ミニマリスト的生き方の参考に
導入:アメリカ人の選択に対する考え方が正しいとはいえない
15年前に日本でリサーチをしていたとき、日本人家庭に住んでいました。
初日にレストランに行き、砂糖を入れた緑茶を頼みました。
ウエイターに断られたあと、しつこくリクエストしましたが、聞き入れられませんでした。最後に店長が出てきて、「すみません、店には砂糖がありません」とあやまりました。
代わりにコーヒーを頼んだら、ソーサーの上に砂糖の袋があったのですが。
なぜ私のリクエストが通らなかったのでしょうか?
アメリカで同様のリクエストをしたら、リーズナブルな依頼である限り、店はできるだけ客の好みのものを出そうとします。
アメリカでは、カスタマイズすることがよいことだと思われているからです。
ところが日本では、文化的には、私のリクエストを認めることはできなかったのです。
緑茶には砂糖を入れて飲まないという文化があり、それを知らない客が間違った選択をしないように守らなければならないのです。
アメリカ人は、自分たちは選択することに関して、優れていると考えがちです。人ならみんな自分で選択をすることを選び、それはいいことだと思っています。
ところが、国や文化が違えば、その考えが通るとは限らないのです。
きょうは、こうしたアメリカ人の選択に関する思い込みを紹介します。
思い込み1:自分にかかわる選択は自分がすべきである
アメリカでは、自分のことは自分で決めなければならないと考えられています。自分で決めることが、自分の好みや希望を叶える道なのです。
しかし、個人の好みは、他人の意見に多いに左右されるので、自分で決めたからといって自分に利益があるとは限りません。
7~9歳の文化の違う子供たちを使った実験をしました。
アングロサクソン系とアジア系の子供たちをそれぞれ3つのグループに分けてパズルをしてもらいました。
パズルを6種類用意して、解くパズルを選びます。その選び方を変えてグループ分けしました。
1.自分で好きなパズルを選んだグループ
2.スミスさん(リサーチャー)がパズルを選んだグループ
3.母親がパズルを選んだグループ
アングロサクソン系の子供たちは、自分でパズルを選んだグループが、一番うまくできました。他人がパズルを選んだときより、2.5倍うまくできたのです。
なかには、母親がパズルを選ぶことにひじょうに屈辱を感じている子もいました。
ところがアジア系の子供たちは、母親がパズルを選んだとき、もっともパフォーマンスがよかったのです。
ある女の子など、「ちゃんとママに言われたとおりにやったと、ママに言ってくれる?」とリサーチャーにことづけしたぐらいです。
アジア系の子供たちにとっては、選択は、個人的な願いを叶える方法だけにとどまらず、自分が信頼したり尊敬している人と形成しているコミュニティや全体の和を作り上げる方法でもあるのです。
自分だけでなく、そのコミュニティにおいて重要な人を満足させる必要があります。
個人の好みは、他の人の好みを反映しているのです。
よって、いつも自分1人で決めたほうがベストであるとはいえません。誰もが1人で決めさせれば成長できる、と考えるのは間違っています。
思い込み2:選択肢があればあるほどよい選択をする
アメリカでは選択肢が多いほどベストな選択ができると考えています。
しかし、東欧(社会主義から資本主義に変わったばかりのヨーロッパ)でのリサーチ結果を見るとそうとは言えません。
ロシアで、7種類の飲み物(コーラ、ダイエットコーク、ストライプなど)から1つを選んでもらおうとしたところ、「別にどれでもいいです。みんな炭酸飲料なのですから」と言われました。
東欧のほかの場所でもやってみましたが、皆、7種類の飲料とは思わず、1つの炭酸飲料だと解釈するのです。
水とジュースを付け加えれば選択肢は3つに増えます。
特定のフレイバーやブランドにこだわるアメリカ人とは大きな違いです。
そもそも、私たちはコカ・コーラとペプシの違いがわからない、という実験がいくつもあります。
アメリカ人はたくさんの選択にさらされ、広告も多いです。ほんのささいな違いが重要に感じられます。
しかし東欧の人にとって、店にいきなりいろいろな種類の商品が並んでもそれは、洪水に飲まれたようなもの。違いがわからないのです。
現実には、選択肢が増えても、それぞれの違いはささいなものです。その違いがわからなければ、その選択に価値は生まれません。
アメリカ人は生まれたときから、商品の違いを見つけるように訓練されています。だから、人は生まれつき、いろいろなものの違いを見分けられると思っていますが、それは違います。
どんな人も、選ぶことにたいして、基本的なニーズはもっていますが、それぞれの選択肢を同じようにとらえてはいません。
違いがわからない人にとっては、多すぎる選択肢は「機会」ではなく苦痛の種となります。
つまり、選択をする準備の整っていない人に、大量の選択肢から選ぶことを強要しても、本人にはアメリカ人が感じているようなメリットはないのです。
私たちは、みな、肉体的、心理的、感情的に限界があります。私のリサーチによると、人は、10以上の選択肢を与えられると、まずい選択をします。
思い込み3:選択することを放棄すべきではない
アメリカでは、選択することを放棄してはならない、という思い込みがあります。
この思い込みを検証するために、アメリカとフランスを比べた実験についてお話します。
ここに若いカップルがいて、初めての赤ちゃんができました。すでにバーバラという名前をつけています。
妊娠7ヶ月のとき、妻の陣痛が始まり、病院に運ばれました。帝王切開で子供は生まれたものの、脳無酸素症でした。脳内の酸素が欠乏していたのです。
自分で呼吸できないので、生命維持装置につながれました。
2日後、医者は父親に選択をせまります。
今、生命維持装置をはずすか、つけたままにするか。
装置をはずすと赤ん坊は数時間後に亡くなります。つけたままにしておいても、数日後には亡くなるかもしれません。たとえ生き延びても、一生植物人間状態になります。
こんなとき両親はどうするか?
同じような体験をした両親にインタビューしたことがあります。皆、生命維持装置をはずし、子供を失くした親たちです。
フランスでは、装置をはずすかどうかは医者が決めます。一方、アメリカでは、最終的な決断は両親がします。
自分ではずす決断をしたアメリカの親のほうが、フランスの親に比べてずっとつらい気持ちをひきずっていました。
フランスの親はこんなふうに言います。「子供はこの世にほんの少ししかいられなかったけれど、私たちに本当にたくさんのことを教えてくれた。人生の見方を変えてくれたんです」。
アメリカの親はこんなふうに言います。「もし、あのとき、自分が違う決断をしていたらどうなっていただろう?」
「決断を迫られたことがすごくつらかった」、「まるで自分が子供の命を奪うかのような気がした」と訴える親もいます。
ところが、アメリカの親は、「では、医者に決めてもらったほうがよかったですか」と聞かれると、全員ノーと言いました。
自分にとってそんな大事な決断を他人に委ねるわけにはいかない、と考えるのです。
たとえその決断が、自分たちを苦しめることになったとしても。
アメリカの親たちは人に決めさせることができません。なぜなら、そうすることは、これまで自分が教えられてきたことや信じてきたを裏切ることになるからです。
アメリカンドリームの価値観は絶対的なものではない
アメリカ人は、選択できることや、選択の力を信じてきました。
自分で決めれば、自由や幸せ、成功を手に入れることができる。なんだって手に入る。
すばらしい物語です。この物語を書き換える気になれないのもよくわかります。
けれども、注意深く見てみると、このストーリーには落とし穴があります。それに、もっと違う筋書きにだってできるのです。
自分で選択すること、心を広くもつことを大事にしてきたアメリカ人ですが、歴史の本や日々のニュースを見ていると、必ずしもそのやり方で毎回うまくいっているわけではないことがわかります。
日々の暮らしで、私たちが経験し、理解しようとし、気持ちの整理をつけていく物語は、時と場所によって違うのです。
誰でも信じることができる絶対的な物語などこの世にはありません。
ロバート・フロストはこう言いました。「詩は翻訳によって失われる」と。翻訳してしまうと詩の美しさや感動がなくなってしまうというのです。
しかし、ジョセフ・ブロドスキーはこう言っています。「翻訳によって詩が作られる」と。
翻訳はクリエイティブで物ごとを変える作業である、ということを示唆しています。
選択について考えると、さまざまな解釈をしたほうが、私たちは、より恩恵を得られます。物語を置き換えるのではなく、いろいろなバージョンから学ぶのです。
どこにいても、どんな物語を持っていても、選択がもつさまざまな物語に広い心をもつべきです。
そうすれば、選択の潜在的なパワーを知ることができます。
たとえ翻訳を使っても、お互いに話しあうことを学べば、選択のもつ奇妙で複雑で、感動的なまでの美しさに気づけるのです。
//// 抄訳ここまで ////
※ロバート・フロストはアメリカの詩人、ジョセフ・ブロドスキーはロシアの作家でノーベル文学賞の受賞者。
選択や意思決定がテーマのTEDの動画
選択をしやすくするには~シーナ・アイエンガー(TED)。選択肢の海の中で生きる技術。 アイエンガー教授のプロフィールも書いています。
バリー・シュワルツに学ぶ『選択のパラドックス』(TED)~所持品をミニマムにすると生きやすくなる理由とは?
我々は本当に自分で決めているのか?ダン・アリエリーに学ぶ、選択のミス(TED)
決断に悩むときこそ大きなチャンス。重要な選択をする方法(TED)
なぜ運動するのを面倒に感じるのか?あるいは断捨離を始められないのか?(TED)
選択について考えることの大切さ
私は選択や意思決定がテーマのTEDの動画をよく紹介しています。
以下のメッセージを届けたいと思っているからです。
1.選択肢が多いとかえってしんどいことになる
物や情報が多ければ多いほどいい、という考え方をしていると、部屋の中も頭の中もよけいなゴミでいっぱいになります。
洋服やシャンプー、化粧品を集めるだけ集めて、選ぶ楽しさを感じている、と思っている人も多いかもしれません。
ですが、本当に楽しんでいるのでしょうか?
かえって自分の首をしめているのかもしれません。
2.自分で決めているわけじゃない
物を購入するとき、自分で決断していますが、それは必ずしも自分の心の声ではありません。
多くの研究者が言うように、他人の行動や意見、テレビや雑誌の広告に大きな影響を受けています。
今回の動画では、選択にたいする価値観は、たぶんに文化的な影響があると言っていました。
アメリカ人は何でも自分で決めたい人たち、ということがこの動画からうかがわれます。
しかし、アメリカは大変な消費社会。多くの人がいらない物をたくさん買わされています。
3.自分で決める練習をしたほうがいい
アイエンガー先生の実験によると、アジア系の子供たちは親に決めてもらったパズルを使ったほうがパフォーマンスがあがります。
アメリカ人の子供と日本人の子供で実験してもたぶん同じ結果がでるでしょう。
日本では、親や年長者、はたまた「自分ではない誰か」に自分のことを決めてもらいたがる人が多いです。
それがいいか悪いかは、今回の動画で言っていたように、時と場合によるでしょう。
しかし、断捨離において、自分のものを捨てるかどうかは、自分で決めたほうがいいのではないでしょうか。
他人のものは勝手に「捨てたい」という気持ちになる一方で、自分のものを自分の責任において捨てることをためらう人がいます。
そのような人たちから、「捨てていいでしょうか?」という相談メールをいただきます。
私にメールすれば、「捨てたほうがいいです」と言う可能性が高いので、メールを送ってくるのかもしれません。
だから、最近は、「自分で決めてください」と返事を書くことも多いです。
近頃多いのは家族が関係する問題です。
先日はこんな記事を書きました⇒実家がゴミマンション化。片付けられない母親をどうしたらいいのか。
家族はすごく大事な存在だから、親にもらったものが捨てられない、どうしよう、と悩んだり、親の問題を何とか解決してあげたい、と思う気持ちはわかります。
しかし、そのような問題をどうするかは、やはり自分で考えて決めた方がよいと思います。
特に、私が、「こうしたらいいんじゃないですか?」と返事を出したあと、「でも、実はこんな事情があってそれはできない」と感じるなら、やはり自分で決めるべきなのです。
他人に相談すると違う視点が得られるから、相談するのはよい方法だとは思いますが。
しかし、多くの場合、すでに自分の中に答えがあるのです。
その答えに気づくために、思い込みをはずしてほしいと願っています。
そうした思い込みを捨てるのに、「選ぶこと」や「決めること」に関するいろいろな人の意見を聞くのは多いに役立つのではないでしょうか?
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アイエンガー教授の緑茶のエピソード、おもしろいですね。
15年前の話と言っていたので、1985年です。この頃はまだ緑茶に砂糖を入れる、グリーンティーを甘くする、という発想は日本にはなかったのかもしれません。
でも、抹茶のかき氷はあったでしょうから、たまたまその店の人が、緑茶の飲み方に対して強い思い込みを持っていたのでしょう。
京都の店は、外国人観光客が多いので、日本人にとっては奇妙なリクエストには慣れていると思うのですが。
私が先日見ていたフランスの動画では、緑茶に、バターとジャムをつけたバゲットを浸して食べていました。
カナダに来てわりとすぐ、友達(カナダ人)の家で味噌汁を作ったことがあります。
そこのおばあさんが、味噌汁にクラッカーをくだいて入れたとき、軽いカルチャーショックを覚えました。
その後、ご飯にいきなりしょうゆをかけて食べる人などいろいろ見たので、最近はちょっとやそっとでは驚かなくなりました。
それに、こういうのはお互いさまですね。