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人に何か言われるんじゃないか、というのはよけいな心配にすぎません。
気にしない方法を5つ紹介しますね。
やりたいことがあるけれど、人に何か言われそうで、それが嫌で、自分の行動にブレーキをかけてしまう。
こういうこと、誰しもあると思いますが、自分の気持ちを優先して、やりたいことをやったほうがいいです。
まず、この記事を書くきっかけになった読者のお便りをシェアします。「さんさん」というお名前の方からいただきました。
敬称をつけると、「さんさんさん」になりますので、「さんさん」と呼ばせていただきます。
ボランティアに参加して気づいたこと
件名:災害ボランティアに参加した感想
早速ですが、私の住む九州では今月、豪雨災害がありました。
私はかねてからスーパーボランティアである尾畠春夫さんに関心があったこともあり、この度小さな町の災害ボランティアを経験させていただくことになりました。私にとっては初の災害ボランティアでした。
自分が派遣されたのは床上浸水のお宅でした。被災者は倉庫やベランダにタンスを置いて、大量の衣類を収納していました。
しかし、居住者さんが、泥がついているものは全て処分したいと言ってくださったので、私たちも作業の目的が明確であり、作業しやすかったです。
正直、保管している衣服の量にも驚きましたが、反面、被災者さんが、泥で汚れたソファやタンスなどの家財すらもあっさり捨てるという思い切りのよさにも驚きました。洗って使うとか全然言われなかったです。
そのお宅は川にも近く、川の水位が上がった時はかなりの恐怖を感じたと思います。そういった経験が、この被災者の方にキッカケを与え、物を所有する意識を急に変えたのかなと思いました。
あと、今回気になったのは自分自身の心です。ボランティア活動は一人で参加して、参加したことは誰にも言っていません。誰かに言うのはなんだか偽善者な気がしたので…。
しかし、その町に来たボランティアは平日であったこともあり30名程度であり、また、ほとんどの方が自治体から派遣された地方自治体関係の職員さんでした。
災害ボランティアの参加人数拡大のためにはSNSでの拡散が必要ではないかと思いましたが、私自身が拡散することは「偽善者」と思われそうで嫌なのです。そういう小さい自分に気がつきました。
今回は拡散は無理でしたが、そのうち「偽善者でもいいじゃないか。」と吹っ切れる自分になりたいです。
今日はボランティアに参加しながら、基本、筆子さんのことを考えていました。
さんさん、メールありがとうございます。
ボランティア、お疲れさまでした。
九州の大雨のことは、YouTubeで、ニュースを見ました。ほんとに大変ですね。
さて、ボランティアしたからといって、誰も偽善者だなんて思いませんよ。
困っている人を、それほど困っていない人(余裕のある人)が助けるのは、人間として当然のことですから。
私は、娘がプレイスクール、幼稚園、小学校に通っていたとき、よく学校にボランティアに行きました。
ほとんど仕事のようでした(ボランティアなのでもちろん無給)。
フィールド・トリップ(遠足)にも、たくさん参加しています。
当時、自分が偽善的なことをしているなんて、夢にも思いませんでした。
そもそも、これまでの人生で、「偽善だな」と思うことなんて一度もしてないです。
基本的に、いつも自分がしたいことをしています。ここが大事ではないでしょうか?
さんさん、自分がしたいことを、素直にしてみては? すると「偽善者と思われるかも」みたいな不安は消えますよ。
さんさん以外にも、「こんなことを話せる人が身近にいないので、筆子さんにお便りします」と、メールをくださる方がたくさんいます。
何を話すことができないかというと、たいしたことではありません。
湯シャンしていること、断捨離していること、ミニマリストをめざしていること、買わない挑戦をしていること、など。
どれも恥ずかしいことではないし、むしろ地球環境を守る、という意味では、社会的に見ていいことです。
以前、こんなお便りをいただきましたが⇒好きな服を着たいけど、ネットで叩かれると思うと怖くてできない。
他人(見ず知らずの人、世間一般の人、大衆)の反応が気になるとき、自分が勝手に心配しているだけです。つまり、取越苦労しているのです。
取越苦労を手放す方法を 5つ紹介します。
1.他人の行動をコントロールしようとしない
「人の反応が心配だ」と思うとき、ぼんやりと、「一般大衆の反応」をイメージしていると思いますが、実際は、特定の人の反応を恐れています。
家族、友達など、顔を知っている人たちです。
人の反応をコントロールすることはできないので、はなから、コントロールしようと思わなければいいのです。
それは、過ぎ去ったできごとや、これから起こることをコントロールできないのと同じです。
「人の口に戸は立てられぬ」ということわざがあります。
世間の評判やうわさを止めることは不可能である、という意味です。
自分が何をしても、しなくても、何か言われるときは言われます。これは制御不能です。
自分がコントロールできることは、自分の行動と思考だけです。どんなにがんばっても、他人の思考や行動はコントロールできないので、好きにさせておけばいいのです。
コントロールできないことをコントロールしようとがんばると無駄に疲れます。
2.皆忙しいし、すぐに忘れる
みな、自分のことで忙しいので、芸能人でも著名人でもなんでもないふつうの人を、「あなたは偽善者だ」と攻めたりしませんし、仮にそうしたとしても、その行動は長続きしません。
しつように、攻撃が続くとしたら、よっぽど暇か、そうすることが仕事や本人の利益に結びついているからでしょう。
さらに、人間は忘れる生きものなので、何か思ったとしても、すぐに忘れます。
先日も、一面のニュースの話を書きましたが⇒捨てるなんてもったいない、持っていればそのうち何かに使える~服を捨てたいけど捨てられない理由とその対処法(その2) 「捨てれば忘れてしまう」のところです。
脳のキャパシティに限界があるため、特定のこと(それもあまり自分に関係のないこと)に、ずっと意識を向け続けることはできません。
「人のうわさも75日」ですから、仮にうわさになっても、ちょっとがまんすれば、そのうち消えます。
3.見解の違いはあって当然
自分が偽善じゃないと思っているなら、それでいいのであって、それを偽善と取る人があれば、それは単に見解の違いです。
「ああ、そういうふうに思う人もいるんだな」と思って、あとはスルーすればいいです。
あいた時間に、他人の泥だらけの部屋の片付けを手伝ったというのは、あきらかに社会に対してプラスの行動です。
それを、他人がちょっと違う評価の仕方をしたって、私なら、全然気にしません。
仮に偽善であったとしても(私にはそうは思えないけど)、部屋の片付けを手伝ったということは、何もしないよりずっといいんじゃないですか?
4.ふだんから人をジャッジしないようにする
人からこんなふうに思われるかもしれない、と気にすることが多い人は、自分も相手の行動をジャッジする傾向があるかもしれません。
ふだん、「あれは偽善で、これは偽善じゃない」といった区別に敏感な人ほど、「偽善者だと思われる」と感じてしまいます。
この点については、過去記事に詳しく書いているので参考にしてください⇒人の批判に対処する7つの現実的な方法。
5.いい人と思われようとしない
人の意見がすごく気になる人は、「いい人と思われたい」という願望が強いのだと思います。
この願望を手放してください。
いい人と思われようが、悪い人と思われようが、自分自身は何も変わらないですよね?
人の評価で自分の本質が決まるのではなく、まず自分の本質があって、それが、いろいろな形で評価をされるだけです。
それでは、さんさん、これからもお元気でお過ごしください。
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災害ボランティアに参加された方のメールを紹介しました。
川や海など水のそばは景色がいいから、ふだんであれば快適に暮らせると思いますが、これからは大雨の頻度があがりそうで心配ですね。
私が住んでいる市も、去年の夏、今年の夏とやたら雨が多いです。
それではあなたも、何か伝えたいことがありましたら、お気軽にメールください。