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いつ来るかわからない「いつか」のために捨てられない呪縛から逃れて、無事、断捨離できる3つの思考法をお伝えします。
捨てられない人の典型的な言い訳
物を捨てられない人がよく言うのが「これ、いつか使うかもしれないから取っておこう」「もしかしたらまた必要になるかも」というもっともらしい理由です。
確かにそれを取っておけば、いつか使うことがあるかもしれません。その可能性はゼロではないでしょう。ただ、それはそこにあったからたまたま使ったり、役立てることができただけのこと。
なければないで何とかなっていたのです。
このように役立つチャンスは、ヘタすると10年に1回だったりします。そしてその物は、それきり陽の目を見ません。
これは適当に書いているわけではありません。私自身、使わずに20年以上持っていたものがいくつもありました。私は物持ちがいいほうでしたが、似たような人、ほかにもたくさん知っています。
現実問題として「これ、いつか使うかもしれない」という理由から、何でもとっておいたら、部屋の中はいつまでたっても片付きません。
どんなに「いつか使うかも」と思ったとしても、捨てるしかないわけです。そうしなければ、部屋は、きのうも、きょうも、明日も物であふれたままです。
ということは、「いつか使うかもしれない」という理由は、その物を残す理由にはならないのです。
捨てるものの判断基準に「いつか使うかもしれないもの」というのを入れたほうがいいくらいです。
「いつか使うかも」という呪縛から逃れるために役立つ3つの考え方をお伝えします。
1.いつか使うためには、きちんとしまっておかなければならない
そもそもなぜ人は断捨離するのでしょうか?
「必要なものが、必要なときにさっと手に取れるストレスのない暮らしをしたいから」
「探しものに費やす時間がもったいないから」
こんな理由から、物を捨て始める人もたくさんいます。私も「探しものをしなくていい生活」をめざしています。ミニマルライフを始め、以前に比べて探しものをする頻度は格段に減りました。ですが、全く探しものをしていないか、というとそんなことはありません。
目当ての本を手にとるために、本棚に並んでいる本の背表紙を老眼でじーっと順番に見ていかなければなりません。
洋服にしても、ざくっと箱に入れてあるので、いつもと違う服を着る時は多少上のほうの服をかきわける必要があります。
探しものをしないためには、その物をよく分かるところに、置いておく必要があります。
「いつか使うかもしれない」という理由で、物をどんどん残してしまうと、家の中は、ずっとガラクタでいっぱいのカオスの状態が続きます。
必要になったとき、取っておいたものを取り出せないのです。
例をあげましょう。
「いつか使うかもしれないから」、ダイソーで100円で買った毛玉取り機を、6畳の和室の押入れに押しこんでしまったとします。まわりには、やはり同じ理由で、いつ来るかわからない将来の出番を待っている物たちがひしめいています。
いったん押入れのふすまを閉めたら、こんなことが起きます。
1). 目に見えないので、押入れの中身をすっかり忘れてしまう。3年後にセーターの毛玉を取りたい時が来るが、ダイソーの毛玉取り機のことも忘却の彼方。ヨドバシカメラで、別のもっといい毛玉取り機を購入して使う。
2). 毛玉取り機のことは覚えていたが、どこにしまったかすっかり忘れてしまう。3年後、毛玉取り機を使うチャンスがめぐってきたが、廊下の押入れにしまったと思い込み、必死になって探すが、見つからず、アマゾンでテスコムの毛玉クリーナーを注文して使う。
3). 毛玉取り機のことも、どこにしまったのかも覚えている。3年後、毛玉と取りたいときが来たので、6畳の和室の押入れのふすまを久しぶりに開けてみる。
あまりに物がごちゃごちゃと押し込まれているので、見ただけで怖気づく。30秒後、ふすまをピシャンと閉めて、今見たことを忘れようとする。そして、セリアに別の毛玉取り機を買いに行く。
「いつか使うかもしれない精神」にのっとって、今は使っていないものをすべて残してしまうと、高い確率で1~3のどれかの結果になります。
なぜなら、あなたの家は相変わらず、いらない物が多く、使いたい物が使いたいときにさっと取り出せない状況にあるからです。
つまり、「いつか使うかも」と残しても、それが、定位置に置かれ、ほしいときにすぐにアクセスできる状態になければ、残す意味がない、ということ。
物がガラクタを構成する一員になり、なんだかわからないカオスの中にあるとき、それは、物としての機能を果たすことができません。それは、持っているのに、持っていないのと同じことなのです。
2.たいていの物は簡単に調達できる
毛玉取り機のみならず、たいていの物は必要なときに、簡単にお金もそんなにかからず調達できます。
我が家は、一昨年(2014年)の秋に、今のアパートに引っ越してきました。それまでは、一軒家を借りて住んでいました。その家には大きな地下室(半地下)がありました。
地下室の床の6割ぐらいはコンクリートです。その地下室のはしっこに私は段ボール箱をためていました。夫に「今度引越しするときに使うから、空き箱は捨ててはいけない」と言われたからです。
私は、日本から母が荷物を入れて送ってくれたゆうパックの箱、パソコンなどの入っていた箱、その他の箱をすべてつぶして、立てていました。
夫は、時々勤め先でいらなくなった、大きな箱を家に持ってきて、箱置き場に立てていました。そんなふうに、せっせと空き箱をためていたら、5年を経過するころ、地下室の奥の壁面が、箱でいっぱいになりました。
途中でミニマリストになる決心をした私は、この箱が邪魔で邪魔でしょうがなくなりました。そもそも空き箱を地下室に置いておくと、silverfish (シルバーフィッシュ、セイヨウシミ)という虫がわきます。
シルバーフィッシュは、本や衣類を食べて生息する虫。そのうち、地下のクローゼットにかけていた、ウールや綿100%の服の何着かが、虫に食われて穴があく事件が発生しました。
地下のクローゼットの写真はこちら⇒これで捨てたつもりになっていた(写真あり):ミニマリストへの道(50)
精油を使って、虫よけをしてみましたが、全く効果なし。
頭に来た私は、夫にだまって、箱を少しずつ捨て始めました。まずは、自分のところに来た箱から順番に。
そのうち引っ越すことになりました。
引っ越し荷物をまとめる時までに、3分の2以上の箱を捨てていました。ですが、それで充分間に合ったのです。
なぜなら、前の家の半分以下のスペースの家に引っ越すことになったから。そんなに荷造りの箱が必要なかったのです。
そもそも、箱を持ちすぎていたら、引越し先に持っていくものも増えてしまっていたでしょう。
本当に箱が必要だったとしても、そんなものは、ものすごく安く、あるいは無料で手に入れることができます。そこらのスーパーに行ってもらってくればいいのですから。
箱を取っておく必要なんてなかったのです。
箱の例を出しましたが、ほかの物、服やおもちゃ、道具などの実用品はきわめて簡単に代用できます。
今使っているものを捨てる必要はありません。ですが、いつ使う時が来るのかわからないものはもう外に出したほうがいいのです。
使うかどうかわからないものまで、取っておくスペースや時間の余裕がある人が、どれだけいるでしょうか?
物は所有するだけでコストがかかります⇒節約ではお金はたまらない。お金持ちになりたいなら、買わない暮らしが1番いい
それでなくても、毎日、いろいろな物が家に入ってきます。使わないものは捨ててスペースを開けたほうがいいのです。
3.他の人がそれを使うチャンスを奪ってはいけない
当面の間使わないもの、使うかどうかわからないものを、収納しておくことは、きわめて、自己的な行為です。
もう自分の子供には小さくなってしまった服や、かばん、くつ、おもちゃなどを、「いつか孫が使うかもしれない」と思ってしまっておいたとしましょう。
こちらに書いたとおり、孫が使う可能性は限りなく低いです⇒不安や恐怖のせいで物が捨てられない。恐れる心とうまくつきあう方法 「3.それは本当に恐いことなのか見極める」のランドセルの例をお読みください。
今使っていない物をずっとどこかにしまっておいても、誰の役にもたちません。役に立たないどころか、よけいなコストがかかります。
もう使わないものを、寄付するなり、バザーに出すなりして、家の外に出せば、必要としている人がまた使う可能性が生まれます。
特に子供のものは、使う年数が限られているので、「中古でいい」と思っている親はたくさんいます。
いつ来るかわからないその時のために、たくさんの物をためこむことは、物が物として活躍するチャンスを奪っていることにほかならないのです。
もちろん、それはあなたがお金を出して買ったものです。「自分の物なのだから、どうしようと、私の勝手です」というのも、まっとうな意見です。
ですが、しょせんこの世のものはすべて借り物。肉体も物もお金も何一つ、あの世に持っていくことはできません。
この世の物は借り物である話はこちら⇒幸せになるために4つ捨てる。サムシングフォーのプチ断捨離 「借りたものは返す」という項目に書いています。
すべて、ちょっとの間、借りているだけなのですから、使っていないなら、他の人の手に渡すようにするべきではないでしょうか?
何もかも自分のところにためておこうとするのは、とてもエゴイスティックな行動だと思います。
物は使ってこそ、なんぼ、です。
* * * *
いかがでしょうか?
「もったいない」「まだ使える」「いつか使うかも」という気持ちになり、本当はもういらない物を捨てられないとき、ちょっと違う視点から考えてみるだけで、簡単に手放すことができます。
繰り返しますが、捨てないといつまでたっても片付きません。