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昔、無駄に買ってためこんでいた物を振り返っています。
今回はタオルを取り上げることにしました。
タオルはそこまで数を集めていたわけではありません。しかし、使うあてもないのに買っていたという恐ろしい現実があります。
例によって頒布会を利用して数を増やしていました。
タオルの会に入っていた
フェリシモ(まだハイセンス時代だったかもしれません)で、タオルの会に入っていました。
フェリシモのことは、過去記事にもよく書いていますが、再度説明しておきます。
今は知りませんが、私が20代のころ(1980年代)、フェリシモは頒布会というシステムを採用しており、特定の会に入ると、止めるまで同じ商品(意匠)のデザイン違いが毎月届きました。
たとえば、レターセットの会に入ると、基本的な構成は同じだけど、柄の違うレターセットが毎月届けられました⇒通販で買い過ぎて貧乏になる人:ミニマリストへの道、番外編3
私は、毎月の注文額が3000円以上になるように、複数の会に入っていたことが多かったです。
1つ5000円以上する会もあったと思いますが、私はケチくさいので、3000円以上する会を利用するのは、なんとなく損だ、もったいない、高すぎる、という気持ちがありました。
そこで、1500円の会に2つはいっていたりしていたわけです。
払う金額は5000円近くになることもあったのですが、届く物の数は多いから、「損はしていない」と思っていたのでしょう。
タオルは、2つの会に入ったことがあります。
1つは、ミッフィーのタオルの会。毎月、ミッフィーやその仲間のタオルが1枚か2枚届きました。いわゆる普通サイズのタオルです。
もう1つはモノトーン(白黒)のタオルの会。柄に白と黒が入っている(大きなチェック柄や水玉、ストライプなど)バスタオルと、そろいのスポーツタオルが届いたと思います。
2つの会を同時進行していたかどうかは覚えていません。それぞれ半年ぐらい購入を続け、買ったタオルは、長らく押入れで眠っていました。
なぜ使わないタオルを買っていたのか?
なぜ使いもしないタオルを購入するのに、毎月お金を払っていたのでしょうか?
理由を一言で書けば、私がバカだから、となります。しかし、「バカだから」ですますと、なんの学びも得られないので少し原因をさぐってみましょう。
タオルが好きだったのか?
タオルが好きで、チェストやたんすにびっしりタオルをおさめている人がいます。時々きれいにたたみ直したり、並べなおしたりするのが至福の時間だ、という人が。
しかし、私は特にタオル好きというわけではありません。
私にとってタオルはタオルにしかすぎず、それ以上でもそれ以下でもないのです。
よって、タオルが好きだったから買っていたわけではありません。
見栄を張りたかったのか?
人に「私、こんな素敵なタオル持っているのよ。どう、すごいでしょう? うらやましいでしょう?」と、見栄を貼るために、ブランド物のタオルを買う人もいるかもしれません。
しかし、その場合は、しまいこんだりせず、家の中のあちこちに配置するでしょうし、ジムや旅行に行く時にバッグにしのばせ、これみよがしに使うはずです。
私は、ある時点まではずっとタオルをしまいこんでいたし、そんなタオルを買っていたことは、実は今まで誰にも話したことがありません。
見栄を貼るための買い物でもありませんでした。
仲間になりたかったのか?
人と同じ物を持ち、「私もあなたと同じで、あなたの属する集団に属しているのよ」と意思表示をするために、物を買うことがあります。
流行の物やブランド物、特定の層に人気のある物を買うときによくある動機です。
しかし、私の周囲に、ミッフィーやモノクロのタオルを愛好するコミュニティめいたものがあったわけではないので、これも違うでしょう。
「フェリシモ仲間」という目に見えない団体に所属したかったわけでもありません。
安心感を求めていたのか?
さしあたり使わないものでも、たくさん集めてタンスに入れておくと、安心だから。
そんな理由で、不用な物を買ってしまうことがあります。
家にはほかにもタオルがたくさんあるけれど、万が一のことが起きて(それがどういうことかはさっぱり思いつきませんが)、いま、使っているタオルが使えなくなったときのための予備を揃えておきたい、そんな気持ちがあったのでしょうか?
これもないと思います。
他の人が持っていたから?
友達や近所の人が持っていたから、うらやましくて買ったのでしょうか?
ミッフィーのタオルを持っていないと世間体が悪いとか?
これも違います。
タオルを持っていると人生がよくなると思っていた?
たとえ、今すぐ使わなくても、お金のあるときにミッフィーやモノクロのタオルをそろえておくと、後々の人生が豊かになる。
これはよりよい人生を送るために、未来のことを見据えて行う必要な投資なの。
こんなふうに思ってタオルを買ったのでしょうか?
いつか1人暮らしを始めたら、いつか結婚したら、ミッフィーやモノクロのタオルを使いたい、と思っていたのでしょうか?
これも違うでしょう。
使うシーンなんて全然思い描いていませんでした。
そもそも、ミッフィーのタオルは原色の派手なパターンで、モノクロのタオルとはあまり調和しません。
安いから買ったのか?
すぐに使わないものでも、「セールだから」「安いから」という理由があると買ってしまうことがあります。
私は「お得だから」と思ってタオルを買ったのではありません。
フェリシモの商品は高くもないでしょうが、めちゃめちゃ安かったわけでもありません。
当時は100円均一ショップも、ディスカウントストアもありませんでしたが、スーパーに行けばもっと安いタオルがあったはずです。
ただの習慣で買っていただけ
使わないタオルを買った理由をあれこれ考えてみると、結局、毎月、フェリシモに物を注文することが習慣になっていたからそうしたのだ、という結論に達します。
誰に頼まれたわけでも、強制されたわけでもないのに、毎月、注文書を書いて、郵送し、翌月注文した物が入った赤い箱を受け取り、中を見て、喜んだり、がっかりしたり、次に注文するものを決めるために、えんえんとカタログを眺めたりすることが生活の一部になっていたのです。
赤い箱が届くと、プレゼントが届いたみたいでうれしかったし、新しい物を手に入れるのも、うれしかったのです⇒買い物で気分があがるのはドーパミンのせい。この仕組みを知って無駄遣いを防ぐ。
注文額に応じてもらえるプレゼントも、楽しみにしていたと思います。私、おまけをもらうのが好きでしたから⇒おまけにつられて物を増やす人:ミニマリストへの道、番外編4
それは退屈な毎日を彩ってくれる、安い投資で簡単に手に入る「刺激」でした。
注文したあと、すぐに品物を手にできない通販は、店で買うのとは違う喜び(刺激)があります。
届くまでわくわくしながら待つ喜び。
忘れたころに届く、うれしい驚き。箱が赤いのも、プレゼントみたいな雰囲気をかもしだしています。
「どんなのかなあ~」と期待しながら、箱を開ける時間。
新しいおもちゃをもらって喜ぶ子供と同じです。
月3000円+払って、そうしたうきうきした気分を買っていたのでしょう。
うきうきした気分と引き換えに得たものは?
箱をあけたときは、喜びをもたらしてくれたタオルも、数年後には、私の罪悪感の元になりました。
「せっかく買ったんだから使わないともったいない」。
シンプルに暮らすことを意識して、断捨離を始めたとき、ずっとしまっていたタオルも使うことにしました。
ミッフィーのタオルは数枚使ったし、モノトーンのバスタオルも2~3枚おろして使いました。
フェイスタオル(ふつうサイズのタオル)は、実家にストックがありすぎたため、ミッフィータオルは結局断捨離しました。
モノトーンのバスタオルはいまだに実家で使っているものがあります。
タオルは意外に長持ちなのです。特に、複数のタオルをローテーションして使うと、なかなかへたりません。
私の夫も、20年以上前に買ったバスタオルを、クローゼットの扉にひっかけていあmす。
昔、よく買い物をしていたときは、自分がいらない物ばかり買ってためこんでいる、大切なお金を無駄使いしている、なんてことは何も考えていませんでした。
何も考えないでいられた自分が不思議です。
いつも次に買う物のことばかり考えていたから、ほかのことを考える心の余裕がなかったのでしょう。
ミニマリストへの道を最初から読む方はこちらから⇒なぜ私は断捨離をしてミニマリストになったのか?(1)~物がたくさんあっても幸せではなかった
番外編はこちらから⇒ただで物をもらう生活習慣はこうしてできあがった:ミニマリストへの道、番外編1
タオルの話⇒タオルは何枚必要か? : ミニマリズムのすすめ(TED)
もうタオルは使っていません⇒バスタオルを使わないシンプルライフ~バスタオルがないとこんな問題は一挙に解決
タオルが捨てられない人⇒使っていないタオルなのにどうしても捨てられない(読者の断捨離体験)
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先週のTEDの記事で、タオルをためている理由を教えてください、とおたずねしたら、タオルについてメールをくださった方がいます。
粗品としてもらってしまうから増えてしまうようです。
シンプルに暮らしたいなら、もらわない、手を出さない。これ、重要ですね。