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亡くなった祖母の思い出の写真が見つからず、そのアルバムのことばかり考えてしまう。思い出の品への執着心をなくすにはどうしたらいいのか? というご質問をいただきました。
この記事で回答します。
まずメールをシェアしますね。Bさんからです。
過去への執着心を手放し、気持ちを整理したい
件名:祖母との思い出の品
8年前に亡くなった祖母の思い出の品を探して思い悩む日々です。大好きな祖母でした。
私は、20年ほど海外で暮らしており、5年ほど前に祖母も住んでいた実家も、父1人になったため、手放しました。
その際、仕事と子育てで、帰国が出来なかったため、父に「私の物は全て取っておいて欲しい」とお願いしたため、実家に置いていった全ての思い出の品が、段ボール何箱にもなって残っている状態です。
この5年間、仕事と子育てで忙しく全くと言っていいほど過去を振り返らずにきたのですが、今年の1月にアメリカに家族で移って来て、家を購入した事もありなのか、専業主婦にもなり、急に過去を思い出し、
少しでも祖母の遺品になるような物があれば、何でも見つかれば、私が預かると父に伝えましたが、すでにたくさんあった着物や洋服は全てリサイクルに出したりしてしまったようでなくなってしまいました。
アルバムは、全て取ってほしいとお願いしたはずなのですが、祖母が40年ほど前に行った香港の写真、私が22年住んだ国だったため、帰国の際に、何度か一緒にアルバムを見て、嬉しそうに話す祖母の顔が今でも忘れられません。
私が香港に移り、ある程度生活も落ち着いてきた頃には、既に祖母は80半ばになっていたため、香港に呼ぶことができなかったため、あのアルバムが唯一の共通の話題にできる物だったのです。 それが見つからず、毎日のように考えてしまっています。
長文すみません。
私からの質問は、どうしたらもうすでにないであろう思い出の品を忘れられるか、執着心を捨てられるられるか。 なぜ実家を片付けるさいに自分でやらなかったことに後悔しているのか。 過去への執着心など、どうしたら気持ちの断捨離できるでしょうか?
Bさん、メールありがとうございます。
まずメールの内容を時系列に簡単に整理しますね。
40年前:まだ若かったおばあさんが香港に行き、写真を撮影し、後にアルバムにした。
20年ほど前:Bさんが海外生活を始める。途中香港にも住んでいたが、おばあさんが高齢だったため、呼ぶことはかなわなかった。
8年前:おばあさんが亡くなる。
5年前:実家をお父さんが手放した。そのさい、おばあさんの思い出の品はお父さんが全部処分した(そうですよね?)。当時自分は仕事と子育てで忙しかったため、帰国しなかった。
10ヶ月前:アメリカに家を買い、家族で移住し専業主婦となる。
現在:おばあさんの香港時代のアルバムが見つからず、とても悲しい。なぜ、お父さんが実家を手放すとき、自分が帰国して片付けなかったのかひじょうに後悔している。この気持を整理したい。
きっと背景にはもっといろいろな事情があるでしょうが、だいたいこんな感じだと理解しました。
質問は大きくわけて以下の2つになるかと思います。
●もうこの世にはない思い出の品を手に入れたいという欲望を手放すにはどうしたらいいのか?
●後悔する気持ちと折り合いをつけるにはどうしたらいいのか?
まず、アルバムに関して、私ならこう考えます。
1.大事なのは物ではなく、亡くなった人への気持ち
Bさんはなぜそんなにそのアルバムに執着するのでしょうか?
「自分の思い出の品はすべて残してくれ」とお父さんに頼んだそうですから、もともとわりあい物に執着するタイプの方なのかもしれませんね。
ですが、いつもブログに書いていますが、思い出は心の中にあるのです。仮に物がすべてなくなったとしても、思い出そのものは消えません。だから、べつにいいんです。アルバムなんてなくても。
故人の思い出の品が大事なのは、それが故人と自分をつなぐ役割をはたすからです。確かに、写真を見たら、いまは思い出せないことを写真をきっかけに思い出すかもしれません。
ですが、すでにBさんはおばあさんとの思い出を持っていますよね?
Bさんの胸の中に、おばあさんとアルバムを見て楽しんだ時間の思い出や、おばあさんをなつかしいと思う気持ちが残っていたら、それでじゅうぶんじゃないでしょうか?
もしアルバムを手にしたら、Bさんがおばあさんを思う気持ちがいまよりアップする、というわけでもないと思います。
すでにBさんの心の中は、おばあさんとの楽しい思い出の記憶で満ちているのです。
幸せな思い出がいっぱいなのに、ネガティブな感情がうずまいているため、美しい思い出は心の奥底に追いやられていると思います。
「ああ、アルバム見つからない。どこ行ったの?」「お父さん、なんでもかんでも捨てるなんてひどすぎる」「なんで私、あの時帰国して、自分で片付けなかったんだろう。あのとき、自分で片付けてさえいれば」。
こうしたマイナス感情にフォーカスするのではなく、すでにある楽しい時間の記憶、昔あったうれしいこと、おばあさんの笑顔、そうしたものに光をあてることはできないでしょうか?
それは、考え方をちょっと変えるだけでできること。自分で選択できることです。
2.アルバムを徹底的に探す、という手もある
アルバムは見つかっていないだけで、もしかしたらあるかもしれないのですよね? いまは「見つからない。どこかにあるかもしれない」という中途半端な状態なので、よけい執着してしまっている可能性があります。
だから一度、徹底的に探してもいいかとも思います。
個人的なアルバムは売ったり、寄付したりしないものです。お父さんはきっと燃えるゴミか資源ごみに出したのでしょう。
もしかしたら、お父さんの手荷物の中にあるかもしれません。どうしても欲しかったら、今すぐ帰国して、お父さんが住んでいる家を家探ししては?
とことん探しても出てこなかったら、すっぱりあきらめればいいでしょう。
ないものはないんですから。そして、1番をもう一度読んで、楽しい記憶にフォーカスする道を選んでください。
私ならすっぱりあきらめますが。
3.手にはいらないと思うから欲しくなる
Bさんが、アルバムに執着するのは、そのアルバムが見つからないからだと思います。人は「もう手にはいらない」「手に入れにくい物だ」と思うとその物に異様に執着してしまうのです。
以前、「生産が終了したお皿を買わなかったことを後悔している」という問い合わせをもらったことがあります。これも、もう手に入らないからです。
期間限定品がよく売れるのも、擬似的に、「手に入りにくい物」という演出がなされているからです。
何かが、自分の手には入らない、と思うと、その何かの価値が自分の中で必要以上にあがるのですね。
そこらへんにおばあさんのアルバムがくさるほどあったら、おばあさんの香港時代のことなんて思い出しもしないかもしれません。実際、5年前、仕事で忙しかったときは、べつのことで頭がいっぱいだったのですよね?
思い出の品の価値は絶対的なものではなく、相対的なものです。つまり、自分の考え方次第です。
以下は後悔する気持ちを整理するヒントです。
4.過去は変えられない。変えられるのは解釈だけ
過去に起きたことは変えられません。自分がおばあさんを香港に呼ばなかったことも、帰国しておばあさんの遺品を片付けなかったことも、お父さんが勝手におばあさんのアルバムを捨てたことも、すべて過ぎたことであり、何をどうしても変えることはできないのです。
起きたことは変えられませんが、そのことに対する自分の解釈や考え方は変えられます。
たとえばこんなふうに考えることも可能です。
●おばあさんを香港に呼べなかったけど、帰国したさい、香港の話で盛り上がることができてうれしかった。
●おばあさんが好きだった香港に長く住むことができてうれしかった。
●忙しくて、おばあさんの遺品の片付けには行けなかったけど、外国で仕事や育児をがんばっていた私のことを、おばあさんはほこりに思ってくれていた。
●お父さんが勝手におばあさんのアルバムを捨てたけど、アルバムがないからこそ、今こうして毎日おばあさんのことを考えることができるんだな。
ほかにもいくらでも考え方はあります。もう少し明るい気分になれるような解釈の仕方を考えてみてはどうでしょうか?
5.自分の限界を受け入れる
「あの時、私がああしてさえいれば、こんなことにはならなかったのに」と自分を責めるのをやめてください。自分の限界を受け入れることで、自責の念から逃れられます。
人間はスーパーマンではありません。その時、その時によかれと思う選択をして生きていくことしかできないのです。当然、間違った選択をしたり、判断ミスをおかすこともあります。
物理的な限界もありますから、やりたくてもやれないことだってたくさんあります。
Bさんは、5年前、すごく忙しかったのですよね。だから帰国しませんでした。それは仕方がないことです。1度に2つの場所にいることはできないし、2つのことを同時に行うこともできません。
仕事や育児に没頭していたから、お父さんがおばあさんの物を捨てた結果になったかもしれませんが、このとき、Bさんにとって、仕事と育児のほうが優先順位が高かったのです。
何かを手にする、選ぶということは、何かを捨てるということです。すべてを手に入れることなどできません。
これはあたりまえのことであり、べつに自分が悪いわけじゃないのです。
もしかしたら優先順位の付け方を間違えたのかもしれませんが(私はそうは思いませんが)、人間は間違いをする生き物なのでそれはそれで仕方がありません。
もし、「自分は間違えた」と思うなら、その反省を活かし、今度は間違えないようにすればいいのです。お父さんが亡くなったときは、帰国して、きっちり遺品整理する、とか。
6.おばあさんが、いまのBさんを見たらどう思うか?
Bさんとおばあさんはすごく仲がよかったみたいですね。おばあさんはBさんの幸せをいつも願っていたと思います。
もしおばあさんがいま生きていて、Bさんが、なくなってしまったアルバムのことを考えて苦しんだり、後悔にさいなまれているのを見たらどう思うでしょうか?
きっと「Bちゃん、そんなこと気にしないで、もっと毎日笑顔で暮しなさいよ」と言うのではないでしょうか?
おばあさんとの絆を大事にしたいなら、Bさんはもっと毎日楽しく生きるべきだと思います。せっかく、家も買ったことだし。
過去は過去。大事なのはいまじゃないですか?
執着や後悔の捨て方を書いた過去記事
執着心や後悔する気持ちの整理に参考になりそうな記事をいくつかあげておきます。読んでみてください。
なぜ人は自分が本当に求めている物を追求しないのか?(TED)
物に執着してなかなか捨てられないあなたに。執着心を捨てる方法はこれです
いらない物を捨てたはずなのに、捨てたことをいつまでも後悔するのはなぜ?
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今回は心の整理に関する質問にお答えしました。
海外に住んでいると、実家にすぐに駆けつけることはできませんが、それは仕方のないことです。実家にすぐに帰りたいなら近くに住むべきです。
私の母(84歳)もそのうち亡くなるでしょうが、べつに遺品や形見がほしいとは思いません。実家がなくなると日本の連絡先の住所がなくなるので困ると思うぐらいです。
しかし、そうなったらその時考えればいいのです。
じっさい、その時考えるしかないわけです。過去や先のことを思いわずらって暗くなりがちな人は、この「結局、その時考えるしかないんだ」という自分の限界を受け入れるようにしてください。
少しラクになると思います。