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人は死の恐怖から逃れるために4つの物語を作り出し、文明や時代が変わっても、ずっと語り継いでいると伝えるTEDトークを紹介します。
タイトルは、The 4 stories we tell ourselves about death (死について私達が自分に言い聞かせる4つの物語)。
プレゼンターは、哲学者のStephen Cave(スティーヴン・ケイヴ)。
邦題は、死について私達が信じる4つの物語
死に関する物語:TEDの説明
Philosopher Stephen Cave begins with a dark but compelling question: When did you first realize you were going to die? And even more interesting: Why do we humans so often resist the inevitability of death? Cave explores four narratives — common across civilizations — that we tell ourselves “in order to help us manage the terror of death.”
哲学者のスティーヴン・ケイヴは、暗いけれど、強力な質問から始めました。「自分が死ぬと初めて気づいたのはいつか?」
さらに面白い質問もしました。「なぜ人は、避けられない死から逃れようと必死になるのか?」
ケイヴは、どの文明にも共通する4つの物語をひもとき、それらの物語は、死の恐怖を紛らわすのを助けるために、語っていると話します。
収録は2013年の7月。動画の長さは15分20秒。日本語字幕もあります。動画のあとに抄訳を書きます。
☆トランスクリプトはこちら⇒Stephen Cave: The 4 stories we tell ourselves about death | TED Talk
☆TEDの説明はこちら⇒TEDの記事のまとめ(1)ミニマリスト的生き方の参考に
とても構成がわかりやすいプレゼンです。
いつかは死ぬのだと気づいたとき
人はいつか死ぬのだと、はじめて気づいたときのことを、覚えている人はいますか?
私は覚えています。
幼いとき、祖父が亡くなった数日あと、夜中にベッドで横になって、何が起こったのか、理解しようとしていました。
おじいさんが死んだってどういうこと? どこへ行ってしまったんだろう。
祖父が、現実の中にあいた大きな穴に飲み込まれた気がしました。
そのとき、すごく衝撃的な質問が思い浮かんだのです。
おじいさんが死ぬのなら、僕もいつかは死ぬの?
僕も穴の中に飲み込まれるの? 寝ているあいだにそうなるの?
誰でも、子供の頃のある時点で死の存在に気づきます。
気づき方はいろいろですが、段階的に気づいていきます。
死に対する捉え方は、成長するにつれて変わります。
誰だって私と同じように、死ねば「無」が待っていると感じるでしょう。
進化して死に気づいた人類
子供が成長するにつれて、段階的に死に気づくのは、人類の進化でも同じです。
人は、発達段階で、自我や時間の捉え方が成熟していき、自分が死ぬことに気づきます。同様に、人類も、進化の過程で、考え方が成熟し、人はいつか死ぬのだと気づきました。
これは宿命です。人類がこれほどまでに賢くなったことに対する代償です。
人間は、ある日、必ず最悪のことが起きると知りながら、生きなければなりません。
死は、すべての計画、希望、夢、自分の世界の終わりです。
皆、それぞれの黙示録の中で生きています。それは本当に怖いことです。
だから、皆、逃げ道を探します。
死ぬとどうなるの?
5歳ぐらいのとき、母に死んだらどうなるのか聞きました。まわりの大人は、気まずそうに、キリスト教的な回答をしました。
イギリス人がよくする答え方です。
一番よく聞いたのは、祖父が、「天国から見守ってくれる」し、万が一私が死んでも、同じように天国に上っていくというものです。
まるで、死が「存在のエレベーター(existential elevator)」であるかのような答えです。
説得力がありません。
子どものころ、子供向けのニュースで、宇宙に向かうロケットをよく見ていましたが、祖父や死んだ人に出会った宇宙飛行士なんていません。
しかし、死が怖かった私は、存在のエレベーターに乗って、祖父に会いに行くと考えるほうが、寝ている間に無に飲み込まれるよりずっとましでした。
だから、ナンセンスだと思ったけれど、エレベーターのほうを信じました。
バイアスのかかった思考
このように、私が子供から大人になるまで何度も繰り返した思考のプロセスは、心理学者が「バイアス」と呼ぶものから生じています。
バイアスとは、わたしたちがよくする間違いの体系です。思い違い、判断ミス、現実を歪めてとらえること、自分が見たいと思うものを見ることなど。
死に関するバイアスは、こんなふうに作用します。
自分が死ぬという事実に向き合うと、私たちはその事実を否定するどんな話でも信じようとします。永遠に生きられる話や、存在のエレベーターの話ですらも。
これは、バイアスの中でも、もっとも大きなものです。400以上の研究で実証されています。
死の認識が思考に影響を与える
それは、巧妙ですが、ごくシンプルな研究です。
あらゆる面でよく似ている人々を2つのグループに分けます。一方には、皆、いつか死ぬのだと伝え、もう一方には何も伝えずに、その後の行動を比較します。
死を意識することが行動にどんな影響を与えるか調べるわけです。
この実験は何度やっても同じ結果になります。死を意識しているグループは、死から逃れられ、永遠に生きられる物語をより信じます。
不可知論者、つまり、神は認識できないと思っている人たちを2つのグループに分け、一方には、自分が死んだ時のことを考えるように言い、もう一方には孤独なときについて考えるよう言います。
その後、宗教についてたずねると、死について考えたグループは、神とキリストへの信仰を表明した人が、2倍になりました。
実験前は、全員、神はいない(認識できない)と思っていましたが、死の恐怖を感じると、キリストに走るのです。
こうした実験は、人々に死を思い出させると、バイアスをもち、証拠がない話を信じることを示しています。
バイアスは、宗教だけでなく、不死を約束してくれるどんな信念体系にも作用します。
名を残すこと、子供を持つこと、大きな集団の一部として自分が生き続けることを約束するナショナリズムにも。
なんとか死の恐怖をコントロールしたい
このバイアスは人類の歴史の過程で作られてきました。
400以上の実験で検証されたバイアスの背後にある理論は、脅威管理理論(terror management theory)と呼ばれるものです。
そのコンセプトはごく単純です。
私たちが作ってきた世界観、つまり、この世界や自分の居場所について、私たちが語る物語は、死の恐怖を管理するのを助けるために生まれたのです。
不老の物語には、何千もの違うストーリーがありますが、一見、多様に見えても、基本の型は4つだけだと私は考えています。
歴史を通して、この基本の物語は、その時代の言葉を反映しつつ、何度も繰り返されています。
不死の物語の4つの基本形を紹介します。文化や世代に合わせて、どんなふうに語り方が変わるかもお伝えしたいと思います。
物語1:永遠に生き続ける物語
1つめの物語はもっともシンプルなものです。
今の自分の身体のまま、永遠に生き続けるという夢です。
ありえないと思うでしょうが、実際、どんな文化にも、不老不死の薬や、若さの泉といった永遠の命を与えてくれるものに関する神話や伝説があります。
古代エジプトにもバビロンにもインドにも。
ヨーロッパの歴史にも、錬金術師の記述が残っていますし、現在も私たちはこの物語を信じています。ただ、科学の言葉を使って語られています。
100年前にホルモンが発見された時、人々は、ホルモン治療で、老化や病気が治せると期待しました。現在、期待されているのは、幹細胞、遺伝子操作、ナノテクノロジーです。
科学が死を止められるという考え方は、文明と同じほど古い不老不死の薬の物語に、もう1つの章を付け加えているのです。
ただ、永遠に生きられる薬を見つけるという考え方だけに頼るのは危険です。過去に不老不死の薬を探し求めた人は、皆、死んでいますから。
そこで、バックアッププランが必要になります。プランBです。
物語2:復活の物語
2つ目の不死の物語は、「復活」です。
この物語のベースにあるのは、自分は、自分の身体である、という考え方です。
私たちは、死ななければならないけれど、また生き返られるのだと考えます。キリストのように。
キリストは、死んで3日間墓の中にいて、復活しました。
誰でも復活できるという考え方は、キリスト教徒だけでなく、ユダヤ教徒やイスラム教徒にもあります。
復活できるという信念があまりに強いので、科学の時代ですら、語っています。たとえば、人体冷凍保存として。
人が死んでから、身体を冷凍し、技術が進歩してから、解凍し、治療して生き返させるのです。
全知全能の神が自分を復活させてくれると信じる人がいる一方で、全知全能の科学者がそうしてくれると信じる人もいるのです。
ただ、生き返って墓から出てくるのは、できの悪いゾンビ映画のようで気持ちが悪いと考える人もいます。
身体は汚らわしいし、永遠の命を保障してくれるとも思えないのです。そういう人たちは、3つ目の物語を信じます。
物語3:永遠の魂の物語
肉体は滅びるが魂が永遠に生き続けるという物語です。
大半の人が自分は魂を持っていると信じています。実際、この考え方は、多くの宗教で教義の中心となっています。
今でも根強く信じられている魂の物語も、デジタル時代に合うように書き換えられています。
たとえば、身体は残して、心や本質、本当の自分をパソコンにアップロードし、アバターとして、エーテルの中で生きるのです。
もちろん、この説を疑っている人もいます。科学的なエビデンス、特に脳科学の研究を見れば、心や本質、本当の自分というものは、脳の中に存在するからです。
物語4:遺産が残る物語
そのような人たちは4つ目の不死の物語に安らぎを得ます。
「遺産」の物語です。後世に生きた証を残すのです。
ギリシャの偉大な戦士であったアキレスが、トロイ戦争で命と引き換えに、永遠の栄誉を得ようとしたように。
名誉を追求することは、昔も今も、よくあります。デジタル時代には、名誉を得るのはより簡単になっています。
偉大な戦士や王様、ヒーローでなくてもできます。
インターネットと猫の動画さえあれば。
ただ、もっと具体的なもの、たとえば、子孫を残したいと考える人もいます。
偉大なる国家、家族、部族の一部、遺伝子プールの一部として残りたいと考えます。
しかし、この考えを疑う人もいます。遺産を残すことが、不死と呼べるのか、と。
ウッディ・アレンは、「僕は国民の心の中に生き続けるより、自分のアパートで生き続けたい」と言いました。
以上が、4つの不死の物語です。これらの物語が時代に合わせて、どう語り継がれてきたのか説明しましょう。
バイアスがあるから怪しい物語を信じる
様々な異なる信念体系で、不死の物語が、似た形で繰り返されるのは、私たちが、どの物語に対しても疑いをもっているからでしょう。
全知全能の神が人を復活させることを信じる人がいる一方で、全知全能の科学者がそうしてくれると信じる人もいるのは、どちらにも、しっかりした証拠がないことを示しています。
私たちが不死の物語を信じるのは、証拠があるからではなく、バイアスのせいです。死を恐れているからバイアスをもつのです。
では、私たちは、たった一度の人生を、恐怖と否定をもとにに生きるしかないのでしょうか? それとも、バイアスを克服できるのでしょうか?
バイアスを克服するには?
ギリシャの哲学者のエピクロスは、それは可能だと言っています。
エピクロスは、死への恐怖は自然なものだが、理性的なものではないと言いました。
「私たちにとって死は何者でもない。なぜなら、私たちはここにいて、ここに死はないし、死がここにあるときは、私たちはいないのだから」。
この言葉はよく引用されますが、本当の意味で理解し、納得するのは難しいです。この言葉にある、私たちがいない状態(死後)を想像するのが難しいからです。
2000年たって、もう一人の哲学者、ウィトゲンシュタインはが、こう言いました。
「死は、人生における出来事ではない。私たちは死を経験するために生きてるのではない。その意味で、人生に終わりはない」。
子供のとき私が、無に飲み込まれることを恐れたのは自然なことでしたが、理性的なことではありませんでした。無に飲み込まれるということを、私たちは生きて経験できないのですから。
死に対する恐怖はとても根深いので、バイアスも乗り越えるのは簡単ではありません。
それでも、恐怖そのものが理性的なものではなく、恐怖を感じるとき、無意識にバイアスを持っていると考えれば、バイアスが人生に与える影響を最小限にできます。
人生を1冊の本だと考えてみる
私は人生を1冊の本として捉えるといいと思います。
本の中身が表紙と裏表紙の間にあるように、人の人生も誕生と死の間にあります。
本には、始まりと終わりがありますが、その中身は、遠くにある風景や異国の人々、幻想的な冒険です。
本に始まりと終わりがあっても、登場人物が終わりを知ることはありません。
登場人物は物語のその瞬間、瞬間だけを知っています。本が閉じられているときもそうです。
だから、登場人物は最後のページに近づくことを恐れはしないのです。
のっぽのジョン(Long John Silver)も、読者が『宝島』を読み終えることを恐れることはありません。
私たちもそうあるべきです。
皆さんの人生という本が誕生という表紙と死という裏表紙をもった本だと想像してください。
私たちが知ることができるのは、その間にある、人生の瞬間、瞬間だけです。
本の表紙の外側にあるものを怖がるのは無意味です。それが誕生前であろうと、死後であろうと。
本の厚さを気にする必要もありません。
大事なことは自分がよい物語を作ることだけです。
///抄訳ここまで///
単語の意味と補足
elixir 不老長寿の霊薬
cryonics 人体冷凍保存(術)
ether 雲の上の澄み切った天空、古代・中世文明で、空を満たし☆を構成すると考えられていた物質。
gene pool 遺伝子プール、互いに繁殖可能な個体からなる集団がもつ遺伝子の総体。
Long John Silver ジョン・シルバー、スティーヴンソンの小説『宝島』に登場する人物で、極悪非道の海賊で悪役ではあるが、人好きのする生活で、頭がよく、物分りがよかったりする複雑な人物像の持ち主。
ケイヴさんの著書です。
英語で読みたい方はこちら
恐怖に関するほかのプレゼン
「恐怖」が教えてくれること:カレン・トンプソン・ウォーカー(TED)
先送りをしない人生を生きるために、目標ではなく恐怖を明確にすべき理由:ティム・フェリス(TED)
恐怖を「克服する」方法(TED):恐怖心に対する新しいアプローチを知ろう。
心配性は自分で克服できる。恐怖と向き合うことを学ぶ(TED)
批判や心配に負けず、レジリアンス(立ち直る力)を高める方法(TED)
気候変動はもう止められない、こう感じたときにすべきこと(TED)
恐怖が生み出すありえないストーリー
今回紹介したプレゼンは、死の捉え方、よい人生とは何か、恐怖について、人間の理性の限界など、いろいろな観点からディスカッションできます。
それは、各人で友人や家族と話し合ってもらうとして、ここでは、断捨離にからめてバイアスについて書きます。
人は、死ぬのがとても怖く、死を受け入れたくないから、4つの物語を作り出し、文明や時代が変わっても、その物語を語り継いできました。
これほど、恐怖は、人の生活に大きな影響を与えます。
現実を受け入れるのがいやで、安らぎを得るために物語を生み出すことは、一概に悪いこととは言えません。
芸術や文化、科学を生み出す原動力になっていますから。
けれども、死への恐怖が妄想と否定だけをもたらしていたら、人生は豊かになりません。
哲学者たちが言うように、私たちは死ぬために生きているわけではないのですから。
不用品を捨てているときに、「これがないと何もかも失うんじゃないか」「これを捨てるとこれまでの私の人生が消えるんじゃないか」「捨てると物にたたられるんじゃないか」という恐怖を持っている人がいます(本当にそういうお便りをいただきます)。
もしこう感じたら、自分は何をそんなに怖がっているのか考えてみてください。
不安や恐怖も人間の思考が生み出しているだけです。
命を取られそうなときに感じる、本能的な恐怖もありますが、3年も5年も、押入れに入れっぱなしになっていた物を捨てることは、命を失うことと何の関係もありません。
「もしかしたら、あとで必要になる」という筋書きも、不安や恐怖が作り出している物語です。
その筋書きを信じるのも信じないのもあなた次第です。